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日蓮大聖人・池田大作

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1 世界平和と中国の役割  

「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)

前後
1  卜インビ博士の期待
 池田 トインビー博士は私に言いました。「中国こそ、世界の半分はおろか世界全体に、政治統合と平和をもたらす運命を担っているといえましょう」(前掲『二十一紀への対話』)と。
 私は、毎年、SGIの発足記念日である「一月二十六日」に記念提言をしてまいりました。
 二十一世紀に入った昨年は、「生命の世紀へ 大いなる潮流」と題する提言を行いました。
 ここで、とくに「中国」に焦点をあて、その中で、トインビー博士のこの言葉を引きました。全世界に、あらためて博士の中国観を伝えたかったのです。
  私は、トインビー博士の中国に対する見方と期待は、先を見通した優れた見識であり、池田先生も、トインビー博士のことを深く理解されていると思います。
  池田先生とトインビー博士の対談集『二十一紀への対話』は、すばらしい内容ですので、たいへん勉強になりました。
 池田先生は、対談集の「中国語版」に序文を寄せられ、こう述べられました。
 「西洋においては、トインビー博士のように、中国に世界平和に対するしかるべき役割の発揮をこれほどまでに期待した学者はじつにわずか」であった、と。
 その後、季先生は、この大著の中から、第二部第四章「一つの世界へ」の第二節から第六節、すなわち「トインビー博士の中国への期待」に関する数節を一九九七年に出版した『東西文化議論集』の上巻に収録しました。
 このことからも、季先生が、池田先生とトインビー博士の見解をたいへん重視していることがうかがえます。今日、『二十一世紀への対話』は、中国では名著に数えられるようになり、学術界でも広く注目を集めております。
 中国のいくつかの学術誌においても、この本を引用、あるいは参照しているのが頻繁に見受けられることからも、その影響の広さがわかるでしょう。
2  友好交流の道
 池田 ありがとうございます。私が、念願かなって中国を初訪問したのは、博士とロンドンでの語らいを終えた翌年の一九七四年のことでした。
 以来、ささやかながら文化、教育交流の道を率先して開き、中国との友好交流を深めようと努力してまいりました。
  ここ二、三年の聞に、中国のテレビ局は、大型ドキュメンタリー番組を二本放映しました。
 一つは、周思来総理生誕百周年を記念して制作された番組。もう一つは、中国の五十年にわたる外交史を回顧するために制作されたものです。
 この二本の番組の中で、池田先生は、記者のインタビューに答えて、中国人民に対する、あふれんばかりの友誼の心情を吐露しておられました。
 人民の友好の使者として、池田先生が、中日両国間の友好促進のためになされた際立った貢献は、中国ではだれもが知っており、口々に称賛していると言えましょう。
 一九七四年十二月、周総理が、なぜ、重病で衰弱した体をおしてまでも病院で池田先生に会われたのか。はばからず推察しますと、それは総理の池田先生に対する長期にわたる理解にもとづいていると思われます。
 池田先生こそ、将来、引き続き「中日両国の人民は必ず子々孫々にわたって友好的に付き合っていかねばならない」という崇高な目標を実現するために、信頼できる大事な日本の友人である、と判断したからにちがいありません。
 池田 恐縮です。重い病気をおして会見してくださった周総理の言葉は、その雄姿とともに、すべて、私の胸奥に刻み込まれております。
  諺にも「路遥かにして馬の力を知り日久しくして人の心を見る」(道が遠いと馬の力がわかり、日が久しくなると人の心がわかる)とあります。
 周恩来総理が逝去して、すでに二十六年がたちましたが、この二十六年間の事実が証明しているように、池田先生は、中日友好促進のために、最大限に力を尽くされました。このことに、私は深い尊敬の念をいだいてやみません。
 私は、池田先生が中日両国友好促進に尽力される理由について、よりいっそう理解を深めました。
 これらの理由は、池田先生の中国の歴史と現状に対する見解の正しさを余すところなく表しており、説得力があるものです。このことに対しても私は深く敬服しております。

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