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5 ”総合的思考”の特徴
「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)
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木を見て森を見る
季
”総合的思考”の特徴は、二つの概念で表すことができます。「総体概念」と「普遍関係」です。通俗的な言葉で言えば、木を見て森を見るということです。
医学をもってたとえれば、頭が痛いとき足をなおす。その逆もしかりということです。
池田
病める人間生命の全体をとらえるところに、中国漢方医学の特徴がありますね。
蒋
たしかにそのとおりです。中国漢方医学は、「身」と「心」、つまり「肉体」と「精神」を同じように重要視しています。たとえば、「身心健康」と「身を整えるには、まず心を整えるととである」という言い方も、中国漢方医学のこの特徴を表しています。
中国古代の「天人合一」思想は、東洋の思考モデルの最も典型的な代表です。
インドの古代哲学・宗教の「あなたはそれである」も同一の思想を表しております。インド仏教の「名相分析」は分析に見えて、その実、西洋の分析とまったく異なるものです。
池田
インドの学者であるB・K・マティラル等は、インド哲学やインド仏教を、現代の構造主義哲学や脱構築理論で解釈しようとしました。
たとえば、彼らはミシェル・フーコーやジァック・デリダと同様の思考を、竜樹に見ているのです。
今、言われた「名相」とは、サンスクリットでは、「ナーマ」と「サンスターナ」ということになりますが、現代的には名称と形態という意味であります。
仏教の中観派、唯識派や陳那(ディグナーガ)や法称(ダルマキールティ)などの仏教論理学派は、この名称と形態に関する考察、分析を進めています。
しかし、その考察、分析は、名称と形態の存在を主張するものではありません。名称と形態は、最後には否定されるのです。
それでは、なぜ、最終的に否定するものに対して考察を進めたのか。
彼らの論敵である説一切有部が、すべての認識の対象を実在であるとし、名称で呼ばれるものはすべて実在すると考えたからです。
ゆえに、中観派などは名称と形態について、説一切有部と論争をしながら、最終的には、名称も形態も、その本質は「空」であり、われわれの「虚妄分別」がっくりあげた妄想にすぎないとするのです。
たとえば、「日本人」という実体はありません。そとにいるのは、かけがえのない”人”だけです。それを私たちは、「日本人」とか「外国人」とかいう”わく”に入れて判断してしまう。それを「虚妄分別」と言います。
つまり、名称も形態もその本質は「空」であり、千変万化、流転してやまないのが実相であると「分析」するのが、中観派などの説でした。
これは、万物を、疑いえない「実在」「実体」として分析するインドの説一切有部の学説に対する批判だったのです。
『荘子』の「則陽篇」には、「道とは有るものともできず、無いものともできない、有無を越えたものである。道という名前も、仮りにそう呼んでいるに過ぎないのである。作用するものがあるとか、無作用であるとかいうのは、物の一端について言っているのであって、天地の大道とは何のかかわりもないのである」(市川安司・遠藤哲夫『荘子』下、『新訳漢文体系』8)とあります。
転変してやまない事象を固定的に見る立場を捨てて、その変化の様相を如実に見るとき、不変な主体が表れる。
ここにおいて、「名相」を固定的に分析するのではなく、如実に見つめる仏教の「空」の立場と、「天人合一」の思想は通底しているのではないでしようか。
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人類の未来と「東洋文化」
季
現在、世界を支配しているのは西洋文化です。これは事実であり、だれびとも否定することはできません。
しかし、これは一時の現象にすぎません。西洋人は東洋文化を軽視しており、それは実際、民族の偏見からきています。
しかし、東洋人、とくに中国人が東洋文化を軽視するのは、浅はかな考えであります。縦に数千年、横に数万キロを見てみなければ、事実の真相はわからないものです。
蒋
季先生のお話は重要です。
現在のような、西洋文化が支配する世界の局面は、十六世紀からしだいに形成されてきたものです。すでに五百年がたちましたが、人類文化の歴史と未来から比べるならば、「五百年」はたしかに短い期間にすぎません。
私の知るところによれば、少し前までは、西洋では合法的な地位が得られなかった中国漢方医学が、現在では、「代替療法」として西洋でも正式に認められ、なおかつ現在流行しつつあります。
これと対応するのは、中国に来て中国漢方医学を学ぶ西側の留学生の数が、明らかに増えていることです。私は、この現象は注目に値し、思索に値するものと考えています。
池田
トインビー博士の予言を待つまでもなく、西洋文化のもつ”分析的思考”の限界性が、今やあらゆる分野ーー自然観、生命観から政治、経済、教育などの分野にまで、あらわになっています。季先生の言われるように、人類史を「文化」発生の時点から、地球全体を視野におさめて概観すれば、西洋近代文明の支配は一時的現象になります。
新たな人類の未来に、おいて、「東洋文化」の特徴とされるか総合的思考がいかなる役割を果たしうるかを、人類史をふまえながら、論じあいたいと考えております。
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