Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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6 東洋と西洋の自然観
「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)
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「文闘」と「武闘」
季
人は依然として大自然のなかで生活し、生存するうえで必要な衣、食、住、行のどれをとっても、大自然と無関係ではありません。いずれも大自然から取り立でなければなりません。
ここにどう取り立てるかという問題が起こってきますが、方法は二種類あります。
もし「四人組」当時の言い方が許されるなら、一つは「文闘」、もう一つは「武闘」です。
いわゆる「文闘」とは、比較的文明的な方法で、刀や槍を使わず、武力を用いず、自然から自分が必要なものを取り入れるというものです。
「武闘」とは武力、刀や槍を用いて、大自然を敵視することです。たとえは適切でないかもしれませんが、『水滸伝』のならず者のように、差し出さなければ、武力をもって何がなんでも差し出させるというものです。
これが、人類と大自然との関係を処理する基本的な二種類の方法ですが、さらに、もっと広い角度から見て、もし世界を東洋と西洋の二大地域に分けるならば、東洋は「文」を用いることを主張し、西洋は「武」をもって自然を征服することを主張します。
中国の英漢辞典の中にある「conqure(征服する)」という単語の用例までもが「to conqure the nature(自然を征服する)となっています。これは東西の明らかに異なる重要な一面だと言えるでしょう。
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「共存」「調和」の原理
池田
中国思想においては、儒家、道家を含め、季先生が言われるところの「文闘」、すなわち自然との調和を説いてきました。
自然との調和を重視する点については、先ほど紹介した「依正不二」の原理にあるように、仏教も同じです。大自然の営為を尊重しながら、生態系との調和をたもち、共存していく、非暴力的な「共存」「調和」の原理こそ、東洋の自然観の特徴なのです。
それに対し、近代西洋は、「武闘」、すなわち自然と人間を対立させ、自然生態系を支配することによって、人間の欲望をかなえようとする行き方をとりました。その結果、「欲望」が「貧欲」と化し、それとともに「支配」が、暴力的な「搾取」となってしまいました。
このような東洋と西洋の自然観の相違については、私が対話した知識人の多くも、関心をもっていました。
たとえばトインビー博士に、仏教の「依正不二」論についての見解を求めたところ、博士は「”依正不二”の理念が、道義上の義務をともなう宗教的信念として、全世界に受け入れられるよう期待しています」(『二十一世紀への対話』。本全集3巻収録)と述べておられました。
東西の自然観の相違は、深く東西の文化の”思考法”に根ざしているように思えます。
そこで章を改めて、「東西文化」の比較思想論に入りたいと思います。
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