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日蓮大聖人・池田大作

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3 儒教の”仁愛”と仏教の”慈悲”  

「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)

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1  社会の進歩と教育
 池田 日蓮大聖人の主著の一つ「立正安国論」も、人間の成長と、人的、社会的環境との関係性を説いています。
 「立正安国論」自体が、主人と客の「対話」の形式でつづられていて、主人の話を聞いて、客がしだいに仏教の法理を理解していく展開になっています。そのなかで、主人が客をたたえて、こう言います。
 「悦ばしいことである。あなたは蘭室の友に交わって麻畝の性となった」(たいへんにうれしいことです。香りの高い蘭の花のある室にいると、その香りが身体にしみてくるように、あなたは、仏教を理解され、蓬のように曲がっていた心が、麻のようにまっすぐになりました〈御書31ページ、通解〉)
  有名な歴史物語の「孟母三遷」は、孟子の母が幼い孟子に優れた学習環境を与えるために、三たび引っ越しをしたという話ですが、それもこの道理を説明しています。
 まさしく「善」あるいは「コントロールの能力」が後天的に習得するものであるがゆえに、人類文明の存続と発展に、歴史的な責任感をいだいている有識者は、一様に教育事業を社会の進歩をうながす最重要事としてとらえているのです。
 孔子は、「学んで厭わない自分に対して」、他人に対して「教えて倦まない」人でしたが、これは儒教の学習と教育を重要視する精神を典型的に表していると言えるでしょう。
 儒教は「道を修め、徳を養う」ことを重要視し、大乗仏教は「菩薩道を修める」ことを重要視します。いずれも人間を教育し、善に向かわせることで、積極的な社会的意義をもっています
 儒教が提唱するが”仁愛”と、大乗仏教が提唱する”慈悲”、この両者の倫理的意義は一致します。
 孔子の「自分が立ちたいと思えば、まず人を立たせてやる」という言葉をあてはめれば、大乗仏教の「自分が助けてもらいたいと思えば、まず人を助ける」という表現で表すことができると思います。
 実際、中国の民間において、良い人は「菩薩」ともたたえられ、良い心は「菩薩の心根」ともたたえられています。
2  「人間」が座標軸
 池田 「仁愛」のお話をうかがっていて、あらためて思いますが、中国哲学は、つねに「人間」という座標軸から離れませんね。「哲学の目的」を、現実社会を、人間を、どう変えていくかという一点を見すえています。そこに、一つの大きな特徴があると思います。
 これは、北京大学の三度の講演(一九八〇、八四、九〇年)でも、中国社会科学院の講演(九二年)でも強調したことです。
  一九九二年秋、池田先生は中国社会科学院から「名誉研究教授」の称号を受けられ、その授与式の席上、記念講演をされました。
 先生は、東アジア文明の「共生のエートス(道徳的気風)」という概念を論じられ、儒学思想の内容と歴史的役割について、急所を突いた分析と論評をされておりました。
 私も記念講演を拝聴し、たいへん勉強になりました。とくに、周恩来総理を「共生のエートス」の理想的人間像にあげられた部分は、強く印象に残っています。

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