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日蓮大聖人・池田大作

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6 民間の『法華経』信仰  

「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)

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1  観音信仰の広がり
 池田 ところで、民間の次元では、『法華経』はどのように信仰されていたのですか。
  古代中国の民間において、ないしは現代中国の民間において、『法華経』が中国社会にもたらした影響の大きさは、大慈大悲、救苦救難の観音菩薩への敬慶な信仰の面で際立って表れました。
 中国の多くの所で、いずれも法華寺という名の、観音菩薩だけを供養する仏教寺院がつくられたことがあります。
 観音信仰は、すでに中国民族の一つの重要な構成部分となっています。
 池田 敦煌の壁画にも、『法華経』の「観音品」を題材とした名作がありますね。
 また『法華経』の「譬喩品」で説かれた「三車火宅の譬」も絵画で描かれています。
 このたとえは、「煩悩の火に包まれた家(火宅)で、危険を知らずに遊び戯れている子どもたち(衆生)に、彼らが喜ぶ三つの車(三乗=声聞・縁覚・菩薩乗のたとえ)を与えることを約束して、火宅から救出する」という話です。
 しかし仏の本当の目的は、「三乗」よりももっとすばらしい車、すなわち仏界という「一仏乗」の境涯に目覚めさせるととであったことを教えています。
 このたとえを、敦煌ではさらに、だれもが一目でわかるよう工夫し、ビデオテープを見るように、「だれにとっても、わかりやすく」描かれています。このこと自体が『法華経』の心なのですね。
  私も多くの洞窟の中で、多くの「経変」を見ることができました。たとえば、「法華経変」「楞伽経変」「金光明経変」などです。
 芸術家は、経の中の多くの章節を、経文によらず、経変によって、絵画という形で表したのです。
 これらの経変のなかでも、『法華経』が最も好まれたもののようです。
 「観音品」では、だれでも一心に観世音菩薩の名を唱えれば、大火に入っても大火に焼けず、大水に入っても大水に漂わない。
 宝を求めて海に乗り出して暴風に遭い、船が異国に漂着しても、難をまぬかれることができる。迫害にあって刑にのぞんでも、刑刀はバラバラに折れる。
 女子が男子を授かりたいと求めれば、福徳智慧の男子が生まれ、女子を授かりたいと求めれば、美しい容貌の女の子が生まれる、と種々の功徳を説いています。
 要するに、その功徳の力は明らかで、願えば必ず霊験があるというのです。
 なかでも最も多く描かれているのは、今、まさに刑刀で寸断されんとする情景です。これは、最も生き生きと観音菩薩の法力を表している題材のようです。
2  『観音経』として独立した経典に
 池田 『法華経』の「観音品」は、『観音経』と呼ばれる独立した経典として広まりました。現世における種々の利益を説くので、信仰を集めたのですね。
 「法華経とシルクロード」展でも、西夏語の「観音品」で絵入りのものが展示されていました。
 『法華経』は、国家の次元でも重視されました。
 さらにまた、広く民間にも、『法華経』の信仰が根を張っていったのですね。
  要するに、『法華経』は中国文化の発展に対してゆるがせにできない重大な役割を果たしたのです。
 したがって、もし中国の法華文化を研究しなければ、中国文化を全面的にまた深く立ち入って理解することはできないのです。
 そして、ついに紀元七世紀までには、韓・朝鮮半島を経て中国から貴国・日本へと伝わり、西から東へのルートを進みました。

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