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日蓮大聖人・池田大作

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4 鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』  

「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)

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1  経典の真意を伝える名訳
  鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』は『法華経』の七番目の漢訳本です。この訳本がひとたび世に出ると、それまでのすべての漢訳本に取って代わりました。
 また、八番目の漢訳本、すなわち、『添品妙法蓮華経』は、事実上、何の役割も果たしませんでした。
 要するに、羅什訳の『妙法蓮華経』は、『法華経』が中国や日本を含む東洋全体へ伝播するうえで、決定的な役割を果たしたのです。
 池田 日本でも、聖徳太子の時代に仏教が伝来したころから、もっぱら『妙法蓮華経』が用いられました。日蓮大聖人も『妙法蓮華経』を用いられております。
 蒋先生からみて、羅什訳はどのような点で他の訳本より優れている、と思われますか。
  鳩摩羅什が大乗仏教を広めるうえで、果たした貢献の大きさは、時代を画するものであり、古代において彼に匹敵する者はおりません。
 第一に、彼が当時のインドの仏教経典と仏教以外の経典に対して、全面的で系統だった研究を行っことです。
 第二に、仏教経典を翻訳する以前から、彼は当時の仏教内外のさまざまな教義についても、掌をさすように明るかったことがあげられます。
 第三に、彼が計画的に、そして、最も適した漢語を用いて仏教経典を正確に翻訳することができたので、彼の翻訳になる仏教経典は、最もすみやかに、最も広く、最も長きにわたって、流れ伝わったのです。
 なかんずく、最も多くの読者をひきつけたのが『妙法蓮華経』であったのです。『法華経』の最大の特徴は、”衆生の平等”にあります。
 どのような境遇にあっても、人々は皆、「仏」の一念を有しており、それをもって平等となす。これが、時空を超えた法華経』の魅力であるわけですが、池田先生の思想の根幹も、この「仏子」としての人間への、限りない信頼に貴かれているように思います。
 鳩摩羅什が経典を漢訳したとき、文字を忠実に追うのではなく、いわゆる意訳を用いて、その真意を伝えました。それが名訳と言われるのは、「法のため」「衆生のため」という思いがあったからではないでしょうか。
 これと同じことが、私は、池田先生の、『法華経』の縦横無尽とも思える現代的展開に、感じられてならないのです。
 池田 過分な評価に恐縮するばかりです。私は、人類のために、『法華経』が、現代にも、未来にも通じゆく、不滅のエネルギーをもっていることを証明したいのです。
 日蓮大聖人は、鳩摩羅什訳の『法華経』こそが、釈尊の精神を正しく伝えた訳であるとたたえ、次のように述べられています。
 「インドから中国へ経・論等を翻訳し伝えた人は、百七十六人である。そのなかで鳩摩羅什ただ一人だけが、教主釈尊の経文に自分勝手な言葉をまじえない人である」(御書1007ページ、通解)
 鳩摩羅什は、サンスクリットにも中国語にも精通していました。蒋先生が、今、正しく指摘されたように、たんなる直訳ではなく、文にこめられた意味、真意までくみ取って訳す力をもっておりました。
 彼が渾身の力をそそいだ苦心の訳業によって、仏教は巨大な中国文明圏へと流布し、民衆に広く受け入れられていきました。そこからさらに韓・朝鮮半島、日本など東アジアに多大な影響を与えていったのです。
2  漢訳本の決定版
  『法華経』が、中国仏教史と中国文化史において及ぼした影響は、きわめて広く、深く、長いものでした。ですから、特定のある一つの時代、ある一つの場所を取り上げて、くわしく紹介することはできませんし、またその必要もないと思います。
 ここでは、私自身が、比較的注意を払い、研究する価値があると思う問題だけをあげてみたいと思います。
 池田 ぜひとも、拝聴させてください。
  まず、第一点です。
 全体的にみると、『法華経』は中国に最も影響を与えた仏教経典であり、このような影響は鳩摩羅什が翻訳した『妙法蓮華経』によってもたらされたものです。
 現存する漢訳仏教経典の古写本の数量については、いまだに厳密な統計ができていない状況ですが、われわれは少なくとも、漢訳『法華経』は、最も古写本の多い漢訳仏教経典の一つであると言うことができます。
 しかも、漢訳『法華経』の古写本のなかでは、間違いなく、鳩摩羅什訳の『妙法蓮華経』が絶対的多数を占めています。
 少し前になりますが、私は、現存する最古の木版本の漢訳仏教経典も、やはり『妙法蓮華経』であることに気がつきました。
 池田 その最古の木版経典とは、どのようなものですか。
  聞くところによれば、その刊行された年代は、則天武后の周朝の中期、すなわち六九五年から六九九年より前の時期であったはずだということです。
 これは、以前に最古のものであると公認されていた、唐時代の咸通九年、すなわち八六八年に刊行された『金剛般若経』の木版本よりも、さらに約百七十年も古いものです。
 池田 そうなのですか。
 ところで、なぜ『法華経』がそれほど多く、書写されたり、出版されたりしたのでしょうか。
 前章で蒋先生が述べておられるように、『法華経』に”書写の功徳”が説かれているから、との説があります。たしかに功徳を期待する面もあったでしょう。
 それとともに、信奉者たちが”『法華経』を広めたい”と強く願ったことも大きな理由ではないか、と考えます。この点、蒋先生はどうお考えですか。
  おっしゃるとおりです。『法華経』の信奉者たちが皆、”『法華経』を広めたいとの強い願いをいだいていたことも、『法華経』が頻繁に書写されたり、出版されたりしたおもな理由の一つだったと考えられます。
 池田 ほかには、いかがでしょうか
  『法華経』の中国に対する影響の大きさは、粱の慧皎えこうによって書かれた『高僧伝』等の中国仏教史についての古典籍からもうかがえます。
 また、古代中国人の手になる『法華経』を説明、解釈したおびただしい著作からも考察することができます。

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