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日蓮大聖人・池田大作

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「5・3」記念第21回本部幹部会 平和へ世界へ!「永遠不滅の大道」を

1998.4.20 スピーチ(1998.3〜)(池田大作全集第89巻)

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1  何があっても楽しく前進
 ゆったりと、自分の家にいるような気持ちで聞いていただきたい。学会の会合は、何も取りつくろう必要がないのである。
 先ほど、きょうの「五月三日記念の幹部会」の意義を知ったアメリカの著名な学者からファクスで、お祝いの一文が寄せられた。
 その中に、ソクラテスの言葉が引かれていた。
 「いかなる財宝とくらべようとも、良友にまさるものはないではないか」(『ソークタテースの思いで』佐々木理訳、岩波文庫)
 友人こそ宝である。
 またフランスの文豪ロマン・ロランの言葉もあった。
 「真の偉大さは喜びの中でも苦難の中でも楽しむ力があることで見分けがつく」(『ジャン・クリストフ』村上菊一郎訳、角川文庫)
 何があろうと、「楽しく」前進できる人が偉大な人なのである。
2  創価学会の目的は広宣流布である。だれがなんと言おうが、だれがなんと非難しようが、だれがどんな悪意をもち、妨害しようが、ただ広宣流布をしていくのである。これが御本仏・日蓮大聖人の仏意仏勅だからである。
 広宣流布に向かって戦闘していく人が、真の大聖人の門下であり、すなわち真の学会の同志であると私は言いたい。(拍手)
 広宣流布の活動をしない信者に、戸田先生の指導は、いつも厳しかった。それは旧信徒(法華講)も含んでのお話であった。
 広布の活動もせず、大聖人の法門通りにしない信心は「ネコが台所で、人間の食べ残しの食べ物を、盗み食いしているようなものである。それでは成仏という大功徳は得られない。永遠の幸福は得られない。畜生のごとき、ひとりよがりな卑屈な泥棒信心である」と。
 せっかく御本尊を教えていただき、大聖人の法門を聞きながら、自分は難を避け、苦労を避け、悪口を言われることを避けて、いい子になって、学会を利用している。そんな人間は「泥棒信心」であると、厳しく言われたのである。
 戸田先生は厳しかった。先生の前で嘘をつくような青年に対しては、「お前は、キツネになったのか! 青年のくせに!」と雷が落ちた。
 先生のご子息も「お父さんは学会本部にいくと、朝から晩まで怒っている」と驚かれていた。それほど厳しい先生であった。
3  目的は、ただ広宣流布へ!
 ともあれ私の青春、私の人生は、すべて学会のために、広宣流布のために尽くしてきた。自己を犠牲にして戸田先生に仕えてきた。
 また、あえて申し上げれば、かつての宗門にも、総本山にも、宗門始まって以来、七百年以上の間、だれもできなかった不滅の大供養をしてきた。皆さまとともに――。また、国家の安泰と繁栄のために、皆さま方と一緒に大変に苦労しながら、たくさんの政治家も送った。
 しかし、残念なことに、多くの人間に裏切られた。皆さまも、多くの人が無念に思っておられることを、私はよく存じ上げている。
 それはそれとして、私は申し上げたい。堂々と「広宣流布」に、いかなる苦難も乗り越えて活躍し、指揮を執ってくださる皆さま方の功徳は無量であり、無辺であり、大聖人の御心にかなった方々であり、かつまた最大に御称賛を受ける方々である、と。(拍手)
 裏切ったり、金のために師匠を売るような人間とは大違いである。最も尊く、最も偉大な「信心即人生」「人生即仏法」に生き抜いておられる大聖人の真の門下――それは皆さま方である。
 大聖人の仏法を百カ国以上の国々に流布した原動力もまた、皆さま方である(=二〇〇一年八月現在、世界百七十七カ国・地域に)。三千年の仏法史上、全世界に妙法を流布したのは皆さま方以外にいない。永遠に輝く不滅の歴史である。「最高最大の誇り」としていただきたい。(拍手)
4  牧口先生の問い「人生の目的とは何か」
 あまり知られていないことであるが、牧口先生は、現在の芝浦工業大学で教えておられたことがある。昭和十三年(一九三八年)の四月から十月くらいまで、週一回、「倫理学」の講義をしておられた。
 当時の校名は東京高等工学校。その応用化学科で先生は教鞭を執られた。
 当時の学務部長は牧口先生を生徒に紹介するとき、「牧口先生は偉大な教育者です。一言一句も聞きもらさず勉強するように!」と言った。
 牧口先生は、東洋、西洋の倫理学を破折しながら、ご自身の倫理学を確信をもって講義された。
 ちょうど、講義が始まった四月には、「国家総動員法」が公布され、戦時体制が強まってきた時である。日本軍は中国で残虐な行為を続け、″盟友″のドイツではユダヤ人の大虐殺が始まろうとしていた。
 そんななか牧口先生は、中国を蔑視する生徒たちの先入観が、どんなに間違っているかを講義された。いつも、きちんと和服を着て、直立不動で講義する先生であったようである。
 試験問題は、ただ一問。それは「人生の目的とは」であった。
 全員が、「優」「良」「可」の評価のうち、「良」であった。先生は、授業は大変に厳しかったが、成績表は生徒の将来を考えて寛大だったのである。「真の教育者の心」を見る思いがする。
 しかし最優秀の「優」は、ひとりもいなかった。なぜか。
 牧口先生は、説明された。
 「諸君全員の解答に、世界平和まで論及した者が、ひとりもいなかったからです」
 そう言って先生は大変、悲しそうな顔をされたという。
 「世界平和という言葉を知らないのか」「それを私は教えたい。それを答えてほしかった」――こういうお気持ちであったろうか。
 大聖人の仏法は世界を見つめている。永遠を見つめている。牧口先生もまた、そこに焦点を当てておられた。
 人生の目的とは何か?
 それは世界平和に尽くすものでなければならないと牧口先生は信じておられた。それを教えたかった。
 日本が、国をあげて国家主義になっていくなか、先生は世界全体を平和にするために生きよ! と青年に教えておられたのである。(当時、授業を受けた学生の回想から)
5  あまりにも偉大な先生であられた。あまりにも偉大であるゆえに、小さな日本は、牧口先生と戸田先生の師弟を、もてあまして、なきものにしようと投獄したのである。
 今も、創価学会が目指すのは世界であり、永遠である。
 ちっぽけな「わづかの小島のぬしら主等」を見おろされた大聖人の御精神どおり、晴れ晴れと世界へ、また世界へと、栄光の「創価の道」をつくってまいりましょう!(拍手)
6  大聖人も戸田先生も「わが門下に臆病者はいらぬ」
 世界から集ってこられたSGI(創価学会インタナショナル)の「久遠の同志」の皆さま、本当に、ようこそいらっしゃいました! ご苦労さま!
 一閻浮提(世界)の崇高なる地涌の菩薩の皆さま方を、日蓮大聖人が、どれほど喜んで迎えておられることだろうか。(拍手)
 芸術部の皆さまも、ようこそ!
 また、最も地道な「信心の英雄」であられる″無冠の友″(聖教新聞の配達員の方々)も参加されている。いつも、さまざまなご苦労、本当にありがとう!(拍手)
 新聞配達はいちばん大変である。いやがる人が多い。その中を、皆さまは勇んで広布のために苦労されている。何と尊い方々か。朝早く起きて、行動する皆さまは、いちばん健康になれる方々である。一日を、いちばんすがすがしい境涯で出発できる方々である。重ねて「ありがとう」と心より感謝申し上げたい。(拍手)
 また、きょう四月二十日は、輝く「聖教新聞」の創刊記念日でもある(昭和二十六年四月二十日創刊)。おめでとう!(拍手)
7  大聖人は常に、大宇宙の天座から地球全体を包みこむような大境涯で、全世界と全人類を展望しておられた。ここが大事である。ゆえに、日本一国の騒ぎなど、悠々と、豆粒のごとくに、御覧になっていたにちがいない。
 また大聖人は、この小島に、「一闡提」という不信・謗法の者たちが生み広げた国が日本であると述べておられる。
 (佐渡御書に「彼等がうみひろ生広げて今の世の日本国の一切衆生となれるなり」と)
 また「日本は、宇宙の五逆罪の者を一カ所に集めたような国である」とも仰せである。
 (「たとえば十方世界の五逆の者を一処に集めたるが如し」。五逆罪とは、父母を殺害するなど、仏法上、最も重い五つの罪のこと)
 崇高な信仰心をもつこともなく、権威・権力の言うままに従い、すぐに戦争を起こし、正義の人を迫害する。そういう歴史の繰り返しの日本である。その日本から救済を始めるために、大聖人は日本にお生まれになったのである。
8  「弘安二年」すなわち「一二七九年」の五月、大聖人は御手紙で仰せである。
 「日本国の男女・四十九億九万四千八百二十八人ましますが・某一人を不思議なる者に思いて余の四十九億九万四千八百二十七人は皆敵と成り
 ――日本国の男女は、四百九十九万四千八百二十八人いるが、私(=大聖人)一人のことを、奇怪な者だと思って、他の四百九十九万四千八百二十七人は皆、(私の)敵となった――。
 「或はり或はち或は処を追ひ或は讒言して流罪し死罪に行はるれば、貧なる者は富めるをへつらひ賤き者は貴きを仰ぎ無勢は多勢にしたがう事なれば、適法華経を信ずる様なる人人も世間をはばかり人を恐れて多分は地獄へ堕つる事不便なり
 ――そして、(大聖人を)あるいは罵り、あるいは打ち、あるいは追放し、あるいは讒言(うその告げ口)をして、流罪し死罪に処したのである。それゆえ、「貧しい者は富める者にへつらい、身分の低い者は身分の高い者を仰ぎ、無勢(少人数)は多勢に従う」のが世の習いであるから、たまたま法華経を信じたような人々も、世間をはばかり、人を恐れて退転し、多くは地獄へ堕ちてしまう。かわいそうなことである――。
 少々の非難や批判で退転するのは、まことの信心ではない。これほど、はかないことはない。
9  戸田先生は厳しく言われた。
 「そんな連中は、学会にいてもらう必要はない。臆病者は邪魔になる!」と。
 そういう厳しさのなか、退転せずに信心を貫いた方たちが、今日の学会を築いたのである。
 絶対に退転だけはしてはならない。
 大事なのは勇気である。意気地なしではいけない。意気地なしでは、妻に笑われ、子どもに笑われ、友人や世間からも笑われるであろう。
 「わが門下に意気地なしはいらない」――そう大聖人は仰せである。
 (「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」)
 戸田先生も、同じように教えられた。
 わが創価学会の同志には「意気地なしなど一人もいない」と私は信じる。(拍手)
 戸田先生は「私と本物の弟子が二、三人いれば、たとえ臆病者が皆、退転しても、いつでも大創価学会をつくってみせる!」との大確信をお持ちであった。
 私も、この言葉の意味が、よくわかる。
10  「難を受けた人」が真の仏法者
 創価学会は、大聖人の法門の通りに活躍している。戦っている。だから、大聖人の時代と同じように迫害を受ける。当然の道理なのである。
 法華経には明確に記されている。
 「悪口罵詈」(「勧持品」開結四四一㌻)――悪口を言われ、ののしられる、と。
 また「猶多怨嫉」(「法師」品開結三九一㌻)と。
 (「如来の現在すら、猶怨嫉多し。況んや滅度の後をや」〈開結三九〇ページ〉)
 釈尊の在世でさえ、怨嫉が多かった。いわんや末法において、より多くの怨嫉を受け、難にあうのは当然である――そう説かれている。
 そして、御書の中で、大聖人は繰り返し強調しておられる。
 「私(大聖人)以外のいったいだれが『悪口罵詈』され、迫害されているのか! ただ私一人ではないか! もし、私がいなければ、この仏の未来記(予言)は、妄語もうご(うそ)になってしまうではないか!」と。
 (たとえば、開目抄には「今の世を見るに日蓮より外の諸僧たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈せられ刀杖等を加えらるる者ある、日蓮なくば此の一偈の未来記は妄語となりぬ」と)
 当時、鎌倉にも日本の各地にも、あらゆる宗派の僧がいた。たくさんいた。しかし、法華経の通り、釈尊の教え通りに「悪口罵詈」され、弾圧された仏法者は、日蓮以外にいるのか!――こう仰せなのである。この深き意義を、よく、かみしめていただきたい。
11  有名な「撰時抄」には仰せである。
 「漢土・日本に智慧すぐれ才能いみじき聖人は度度ありしかどもいまだ日蓮ほど法華経のかたうど方人して国土に強敵多くまうけたる者なきなり、まづ眼前の事をもつて日蓮は閻浮提第一の者としるべし」――これまで、中国や日本に、智慧も勝れ、才能も素晴らしい聖人は、たびたび出現したが、いまだ日蓮ほど法華経の味方をして、国土に強敵を多くつくった者はいない。まず、この眼前の事実から、「日蓮は世界第一の者である」と知るべきである――。
 我らは、この大聖人に直結し、三類の強敵を呼び起こし、打ち破りながら、広宣流布の大道を切り開いてきた。これが初代、二代、三代にわたる創価学会の会長の誉れである。
 創価学会こそ、仏意仏勅の一閻浮提第一の団体である厳然たる証明なのである。(拍手)
12  獄中でも「国家主義」と戦った牧口先生
 本日は、牧口先生、戸田先生ゆかりの方々にもお越しいただいた。心から御礼申し上げたい。
 牧口先生は、獄中で、特高刑事らの苛烈な取り調べに対しても、毅然たる折伏精神で、正義を訴え、真実を語った。当時の状況を知っている人は、それがどれほど勇気ある行動だったか、想像できるであろう。
 「訊問調書」によれば、″「法華経」は、いかなる教えか″という質問に対して、こう答えておられる。
 「仏法は、決して釈尊によって作られたものではありません。無始無終にして、始めなき久遠より、終わりなき永劫にわたり、常に流動しつつ、たえず一切の森羅万象を活躍させているところの法――その法自体に相応(合致)するように行動することが仏法であり、妙法なのであります」(『牧口常三郎全集』第十巻。一部、現代の表記に改めた)
 牧口先生は、この「永遠不滅の生命の哲理」にのっとって、最後の最後まで生き生きと信念を貫かれた。
 何があろうと、断じて行きづまらない。これが妙法であり信心である。
13  さらに、牧口先生は、当時の「大日本帝国憲法」と「法華経の大法」の関係について尋問される。これに対しても、厳然と答えておられる。
 「法華経の法は宇宙根本の大法でありまして、過去・現在・未来の三世を通じて、絶対に不変であり、万古不易(永遠に変わらない)の大法であります。その時代時代によって改正されたり、廃止されたりする法律や諸制度とは違うのでありまして、終世変わらない人類の行動の規範が示し顕されているのであります。ゆえに、この大法にもとる(=反する)ことは、人類としても、また国家としても許されないことであり、これに反すれば直ちに法罰を受けるのであります」(同前)
 何と勇気ある発言であろうか。何と堂々たる境涯であろうか。
 皆さまも、相手がだれであろうと、こと「正義」に関しては、こびたり、へつらったりしてはならない。臆病であってはならない。堂々と、言うべきことを言いきっていくべきである。正義を、真実を叫びきっていただきたい。
14  「大法」に反し、聖人、賢人を迫害すれば、国が亡びる。日蓮大聖人が示されたこの方程式に照らせば、一国の現在も、また未来も、見通すことができる。
 現在の日本も同様である。正法を弾圧して、衰退の一途をたどっている。何の希望もなき国となってしまっている。
 三畳一間の狭い牢獄に囚われながら、牧口先生は、最後の最後まで獅子吼なされた。
 仏法の「人間主義」「平和主義」に立脚せよ! 偏狭な国家主義を超えよ! 偏狭な民族主義を変えよ! 人類は永遠に連帯せよ! こう叫ばれたのである。
15  「5・3」は永遠に新しき出発の日
 大聖人は明言されている。
 「終には一閻浮提に広宣流布せん事一定なるべし」――(妙法が)ついには全世界に広宣流布することは、間違いないことである――。
 それから七百年。晴れわたる一九五一年(昭和二十六年)の五月の三日。戸田先生は、大聖人正統の創価学会の第二代会長に就任なされた。
 私もまた、一九六〇年(同三十五年)の五月の三日、三十二歳で、「一閻浮提の広宣流布」へ、第三代の指揮を開始した。恐れなく、また、堂々と。
 以来、三十八星霜。私は世界の同志とともに、この「大聖人の未来記」を「現実」にしてきた。
 SGIは、「一閻浮提の広宣流布」の大道を確固として開いた。「一閻浮提の広宣流布」を立派に建設し始めた。
 その一方で、日顕宗はいったい何をしてきたか。ただ、広布の道を閉ざそう、広宣流布を破壊しようとしただけである。(拍手)
16  わが青年部が二十一世紀の大舞台に大活躍しゆく準備は、厳然と完成した。私は、これまで、その準備に生命を注いできたのである。
 わが青年部の団結と前進によって、二十一世紀は、晴れやかな「創価学会の時代」となりゆくことを、私は確信する。(拍手)
 大聖人は断言されている。
 「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもなが流布るべし」――日蓮の慈悲が広大であるならば、南無妙法蓮華経は万年のほか、未来の果てまでも流布するであろう――。
 創価学会にとって、五月三日は、永遠に新たなる出発の日である。この日から万年へ、そして永遠へ、限りなき勝利の大行進を、恐れなく、歓喜にあふれて、開始してきたのである。これからも同じである。
 明年の五月三日を目指して、きょうから戦闘を開始しましょう!(拍手)
 きょうは、ご多忙のなか、大変に著名な慶応大学の小林節先生ご夫妻が出席してくださっている。厚く御礼申し上げたい。(拍手)
17  獅子となって立ち上がれ
 最後に、ヨーロッパの学者からも、お祝いの連絡があったので、ご紹介したい。
 彼はゲーテの言葉を引いていた。
 「世間全体が動揺している時だから、ちぎりを一そうかたくしよう。持ちこたえ、耐え通し、おたがいの心も立派な財産もしっかり守って行こう。動揺する時代に心まで動揺するものは、禍を増し、ますますひろげるばかりだ」(『ゲーテの言葉』高橋健二訳、彌生書房)
 乱世だからこそ団結せよ! と。
 アメリカの思想家・エマソンの言葉もあった。
 「他人の嘲りを心にとめず、敗北にも挫けず、勇気をもってまた起ちあがれ、いっさいの正義にはやがて勝利がおとずれるのだ」(『エマソン選集』3,小泉一郎訳、日本教文社)
18  あちらこちらから励ましの言葉を頂戴している。
 ゲーテいわく、「すぐれたものを認めないことこそ、即ち野蛮だ」(前掲『ゲーテの言葉』)
 偉大な人物、優れたものを認められない人間こそ野蛮人だ――と。
 フランスの思想家・ルソーの言葉には「下劣な人間は、偉大な人物のあることを決して信じない」(『社会契約論』桑原武夫・前川貞次郎訳、岩波文庫から)とある。
 さらにゲーテは「ばかなことにかかわりあっていると、こっちまでばかになってしまう」(エッカーマン『ゲーテとの対話』山下肇訳、岩波文庫)と言っている(爆笑)。
19  どうか大事な大事な、わが同志の皆さま! この一年、獅子となって猛然と立ち上がり、敢然と戦い、悠然と勝利し、来年の五月三日に堂々と、朗らかにまた朗らかに集い合いましょう!(拍手)
 一人ももれなく、皆、生き抜いて、元気に集い合いましょう! 皆さまの「健康」と「福運」、これからの「大活躍」をお祈りして、私のスピーチを終わりたい。
 ありがとう! サンキュー・ソー・マッチ!
 (東京牧口記念会館)

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