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日蓮大聖人・池田大作

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関東ルネッサンス会議 大難は「法華経の行者」の証明

1996.1.14 メッセージ集(池田大作全集第67巻)

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1  きょうは、遠いととろ、また寒いなか、本当にご苦労さまです
 大切な大切な北関東の皆さまに、くれぐれもよろしくお伝えください
 本年も学会精神みなぎる名指揮を、お願いいたします
 戸田先生が戦後、全国への広布拡大の第一歩を踏み出されたのは、いずこであったか。それは北関東であります!(昭和21年〈1946年〉9月、栃木・群馬へ。一九九六年は五十周年にあたる)
 ここから大座談会運動も始まりました。本年、21世紀への「痛快なる大勝利行進」もまた、北関東から開始してください。
 私は確信しております。広宣流布へ、北関東がホシである。要である、と。その意味から記念のメッセージを贈らせていただきます。
2  人道の英雄エスキベル博士夫妻の信念の闘争
 先日、アルゼンチンの偉大なる人権の闘士、エスキベル博士(ノーベル平和賞受賞者)ご夫妻とお会いしました。(1995年12月8日、東京で)
 博士は、人権闘争を弾圧され、約十四ヶ月、投獄されました。(1977年〜78年)
 当時は、軍事政権を批判する者は、次々と、闇から闇へ葬られていたのです。いつ、人知れず殺されても、おかしくない状況でした。
 ある日のこと。パスポートの更新に行った博士を、当局は有無をいわさず、突然、逮捕してしまいました。そして、知らせを聞き、即座に駆けつけた夫人に、当局は「ご主人を逮捕なんかしてませんよ。ここにはいませんよ」と大ウソをついたのです。
 邪魔者をこっそりと消してしまおうという、どす黒い魂胆でした。事実、「エスキベル氏、行方不明」とのニュースが数日にわたって流されました。
 この時、もしも夫人が黙って引き下がっていたならば、博士の命は、なかったにちがいありません。しかし夫人は、すぐさま切り返した。断固として打ち返した。
 弁護士らとともに当局に乗り込み、公衆の前で宣言したのです。
 「私が、夫とパスポートの更新に来た時、夫はとの場所で逮捕されたのです!」
 じつは、博士が逮捕された時、夫人はその場にいなかった。しかし、人々に、「博士が不当に逮捕された」と知らせるために、あえてこう言ったのです。
 この夫人の勇気と知恵のおかげで、博士の不当逮捕が明るみに出て、もはや権力は博士を抹殺できなくなってしまいました。
 のちに博士は感謝を込めて語っておられます。
 「彼女の心の強さが(自分の命を救う)カギになりました」と。
3  「自由」のために、波瀾万丈の闘争を生きぬいてこられたご夫妻。その顔には、まことの英雄の輝きがありました。
 会見後、エスキベル博士ご夫妻は、帰国する前に私に次のような伝言を寄せてくださいました。
 「私は、私が信頼する人が非難され、悪口を言われ、圧迫を加えられている時は、その人に何も言いません。しかし、その人が、だれからも何も非難されなくなった時、(それは闘争をやめたことを意味するゆえに)私は不満を述べるでしょう。
 ドン・キホーテの物語に、『犬が吠えている。それは、われわれが馬に乗って進んでいる証である』とあるとおりです」と。
 権力と戦ってきた人には「真実」が見える。
 「世界の良心」からの私どもへのエール(応援)として紹介させていただきます。
4  大難のさなかに門下を激励
 文永元年(1264年)の冬、日蓮大聖人は南条兵衛七郎(南条時光の父親)に長文の御手紙を送られました。”病気で苦しんでいる”との報告を聞かれ、大聖人は励ましの筆をとられたのです。小松原の法難(同年11月11日)の、わずか一ヶ月後でありました。
 ご存じのように、小松原の法難は、大聖人が故郷の安房に帰られた折、地頭の東条景悟ひきいる数百人の暴徒に襲撃された大事件であります。この大難で大聖人は左手を骨折され、右の額に四寸(約12センチ)もの刀傷が残る大けがをされたと言われています。
 まだ、その傷も癒えぬ御体でありながら、大聖人は、仏子のために揮身の激励をしてくださったのです。その御手紙には、法難の様子をつぶさに記され、こう仰せです。
 「日蓮は唯一人・十人ばかり・ものの要にふものは・わづかに三四人なり、あめごとし・たち太刀いなづまのごとし、弟子一人は当座にうちとられ・二人は大事のにて候、自身もられ打たれ結句にて候いし程に、いかが候いけん・ちもらされて・いままできてはべり、いよいよ法華経こそ信心まさり候へ
 ――(数百人の待ちぶせに対して)日蓮は唯一人。十人ばかりの供の者も、役に立つ者はわずかに三、四人である。(敵が)射る矢は降る雨のようであり、ねらってくる太刀は稲妻のようであった。弟子一人は即座に討ち取られ(殺され)、二人は深手を負いました。私も斬られ、打たれ、もはやこれまでというありさまでしたが、どうしたことでしょうか、討ち漏らされて、今まで生きております。いよいよ法華経への信心は増すばかりです――。
 このように大聖人は、御自身が総攻撃の標的となられながら、厳然と戦われたのです。
 その僻叡をしのびつつ、私どもは、いよいよ強盛に「信心の勢い」を増してまいろうではありませんか。
5  永遠不滅の大歓喜の人生を
 御書には続いて、こう仰せです。
 「四の巻に云く「而も此の経は如来の現在すら猶怨嫉多しいわんや滅度の後をや」第五の巻に云く「一切世間怨多くして信じ難し」等云云、日本国に法華経み学する人これ多し、人の妻をねらひ・ぬすみ等にて打はらるる人は多けれども・法華経の故にあやまたるる人は一人もなし、されば日本国の持経者じきょうしゃは・いまだ此の経文にはわせ給はず唯日蓮一人こそみはべれ・我不愛身命但惜無上道是なりされば日蓮は日本第一の法華経の行者なり
 ――(法華経の)第四の巻(の法師品第十)には「しかもこの経(法華経)は仏の在世でさえ、なお怨嫉(うらみ。ねたみ)が多い。いわんや仏の入滅の後においては、なおさらである」と。
 第五の巻(の安楽行品第十四)には「一切世間に怨嫉が多いので(法華経は)信じがたい」等とある。(中略)日本国の法華経を持つ人々は、いまだ、この経文を体験しておられません。ただ日蓮一人だけが(この経文を身で)読んだのです。
 (法華経勧持品第十三の)「我身命を愛せず但無上道を惜しむ」とは、このことです。ゆえに日蓮は、日本第一の法華経の行者であります――と。
 仏法者は、迫害こそ最大の誉れであります。
 わが学会は大聖人の仏法の正統中の正統として、御書のとおり、法華経のとおりの行動を、まっすぐに、堂々と貫いております。だから難があるのです。大聖人は、心から、おほめくださっているであろうと確信いたします。
6  病床の南条兵衛七郎に対して、大聖人は、こう励ましておられます。
 「もし・さきにたたせ給はば梵天・帝釈・四大天王・閻魔大王等にも申させ給うべし、日本第一の法華経の行者・日蓮房の弟子なりとなのらせ給へ、よもはうしん芳心なき事は候はじ
 ――もし、あなたが(私より)先立たれたならば、梵天・帝釈・四大天王・閣魔大王等にも、「日本第一の法華経の行者・日蓮房の弟子である」と名乗りをお上げなさい。(そうすれば)よもや、粗略な扱いはされないでしょう(それらの諸天がこぞって、あなたを大事にし、守るでしょう)――。
 「われ、創価学会員なり!」と、喜びの唱題を重ねていくことです。その信心に、生死を超えて、三世十方の仏菩薩・諸天善神が、皆さま方を守ります。抱きかかえて走ります。その人が、未来永遠に「仏」と輝くのです。
 何より、私どもの広布への赤誠は、すべて大聖人が御照覧です。
 この、水遠不滅の「大歓喜の人生」を、北関東の皆さまは、頭を上げ、胸を張って、楽しく生きぬいてください。それぞれの県、それぞれの圏を断固として守り、希望の指揮をとってください。
 きょうは、本当にご苦労さまです。どうか地域の皆さま、ご家族の方々に、くれぐれもよろしくお伝えください。
 (東京牧口記念会館)

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