Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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第8章 子どもは、「希望」
「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)
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1
世界一えらい人――それは「お母さん」
小野
発刊された池田先生のエッセイ集『母の舞』(聖教新聞社)を読みました。
「聖教新聞」に連載された「『女性の世紀へ』大切なお母さんに贈る」も収められていて、とてもうれしく思いました。
また、日本や世界の、さまざまな“お母さん”の姿が、温かい眼差しをとおして描かれていて、一気に読んでしまいました。本当に勇気が出てきます。
大塚
装丁も、親しみやすく、温かい感じですね。表紙を飾る、池田先生が撮影したお花の写真に目を惹かれ、書店で、つい手に取ってしまったと友人が言っていました。
池田
そうですか。ありがたいことです。
世界で一番、えらい人。それは「お母さん」です。
世界で一番、頑張っている人。それは「お母さん」です。
世界で一番、感謝と喝采を受けるべき人。それが「お母さん」なのです。
自分を産み、育ててくれたお母さん。
昼も、夜も、休むことなく働き続けてきたお母さん。
いつもは口うるさくても、いざという時は必ず守ってくれたお母さん。
わが子のため、家族のために、ひたぶるな祈りを重ねてきたお母さん。
尊い、尊い、お母さんです。
どんな有名人や、政治家をさしおいても、無名のお母さんこそ、讃えていくべきです。だれが讃えなくとも、私は最大に称賛し、感謝の心を贈りたい。そうした心を込めて、この本を編みました。
皆さまへの、何らかの励ましになれば、これほどうれしいことはありません。
小野
『母の舞』の前にも、『母の詩』と『母の曲』など、女性に贈る数々のエッセイ集を編んでくださっていますが、読むたびに思うことがあります。
それは「自分だけで読むのはもったいない! ぜひ、だれかにも読んでほしい!」ということです。(笑い)
そこで、四国各県の婦人部では、少人数の会合などで『母の詩』『母の曲』を友人とともに読み合う機会を持ちました。本を贈呈した方も、おられました。
そして、友人の皆さんから読後感をうかがったのです。
徳島県では、『母の詩』を読んで、三万人もの方々が感想を寄せてくださいました。
なかには壮年の方も、けっこういらっしゃいました。また教師など現場の教育に携わる方が、とても丁寧に読んでくださったことも印象的でした。
大塚
それはすごいですね。私も、女性だけでなく、男性の方にも、ぜひ読んでほしいと強く思いました。
2
母は「永遠の故郷」
小野
多かったのは、自分のお母さんを思い出したという感想です。
「読んでいくうちに、母を思い出して、なんだか懐かしく、豊かな心になりました」「あらためて母への感謝を思わずにはいられませんでした」といった声です。
ある方は、こう綴っていました。
「『母の詩』――何と優しい言葉でしょう。母は『永遠の故郷』と書き出しにありましたが、まことに身に染みるお言葉です。
母は、故郷です。誰か故郷を想わざる。けれども、世相が徐々に変わったのでしょうか。
故郷を忘れ、母を捨てて、人は、ほかに何の幸福を願っているのでしょうか」
池田
最後の一言は、深く考えさせられる言葉だね。
「故郷を忘れ、母を捨てて」――。
自分が生まれ育った原点。それが、故郷であり、母親です。人間の「根っこ」と言ってもいい。
「原点」を忘れた人間は、根無し草になってしまいます。
母を忘れた時、人は正しい道から遠ざかる。そして、自分が道を踏み外していることに気づくことができない。
母を思い浮かべる時、人は優しくなれる。清らかな心を蘇らせることができる。
だれにも、お母さんがいます。あの人も、この人も、すべての人にお母さんがいるのです。たとえお母さんがこの世にいなくても、「母なる存在」を、必ず心に持っている。
物の豊かさと、経済の繁栄ばかりを追い求めてきた日本は、疲れ果て、荒廃し、どこに向かっていいか分からなくなっているように見える。「『母の心』を忘れた社会」と言えるかもしれません。
私は、「母の心」を今の社会に蘇らせたい。深い「母の愛」を現代人に思い起こしてほしいと思っています。
単純なことのようだが、「お母さんに感謝する心」を、もっと多くの人びとが持つようになれば、この世界は、もっと平和に、もっと幸福に変わっていくのではないでしょうか。
お母さんは“無私の愛”でわが子を育てる。その母を思えば、自分も、無私の心で人のために働けるのです。
3
叱るよりも、ほめることが、勇気を生む
大塚
池田先生は、世界中の指導者と対話されていますが、その方のお母さんにも光を当て、称賛されます。
先日も、韓国の元首相である李寿成博士との会談の模様を「聖教新聞」で読み、とても感動しました。
とくに、李博士のお母さまである、姜今福さんに賞(創価女子短期大学最高栄誉賞)を贈られたシーンに胸を打たれました。
池田先生が、「つつしんで、偉大なお母さまに捧げます」と、メダルと証書を李博士に直接、手渡されると、博士は大変に喜んでおられましたね。
「八十九歳の母に、このような栄光を与えていただいたことは、生涯忘れ得ぬ喜びです。私は親不孝者ですが、池田先生からいただいた賞を持って帰れば、母の恩の一部でも返すことができます」と。
池田
李博士は、韓国の名門・ソウル大学の総長も務められた方です。
「韓国子ども保護財団」の名誉総裁でもあられる。
博士のお父さまは著名な法律家であり、高潔な、信念の方であられた。しかし、博士が十代はじめの頃、朝鮮戦争のさなかに、拉致されて行方不明になってしまう。今も、安否は定かでありません。
お母さまは、一家の柱を失った後も、韓国伝統の靴である“コムシン”売りやタクシー業をしたり、家を何度も売ったりして、李博士をはじめ八人の子どもを立派に育て上げられた。
語り合うにつれ、博士が、偉大なご両親の「魂」をまっすぐに継いでおられることに感動しました。
博士のお母さまは、常々こう言われていたという。
「叱ることよりも、ほめることのほうが、男らしい勇気を生む『最上の教育』です」
「どんなに苦しくとも、正しくないことには、頭を下げてはならない」と。
小野
立派なお母さまですね。私など、子育てで思い出すのは失敗ばかりで……。
「もう一度、子育てをやり直せれば、もっといいお母さんになれるのに」と思うこともあります。(笑い)
池田
正直な「告白」ですね。(笑い)
そう思う人は、案外、多いかもしれない。
でも、たまに「しまった」と思うようなことがあっても、それを笑い飛ばして進んでいくのが、お母さんの強さ(笑い)。もちろん、子どもの気持ちを傷つけないよう、心配りは必要ですが、あまり、くよくよしても仕方ないこともある。
たしかに、子育てに「やり直し」はきかないが、お母さんが、今をどう生きているかが大事です。後ろ向きにならず、前向きに、未来に向かって進んでいくことです。
大塚
私もかつては、忙しさのあまり、二人の子どもに不自由な思いをさせたこともあったと思います。
ワーキングミセスとして、私は「心のチャンネル」をたくさん持つように心がけました。
「今は仕事」「今は子育て」「今は学会婦人部」と、「今、やるべきこと」に心のチャンネルを合わせて、短い時間でも集中するようにしたのです。
仕事をしている時に、子どものことばかり思ったり、子どもといっしょにいる時に、仕事のことを考えたり、その時にできないことを、くよくよ考えるのは無駄だと思いました。
ですから、たとえ五分でも、一〇分でも、子どもとかかわり合う「瞬間」を大切にしてきました。
子どもが保育園に通っていた頃は、夕方ゆっくりと遊ぶ時間がとれなかったので、早朝の六時前から近くの公園に出かけ、思い切り遊んだり、自転車の練習につきあったりしたこともありました。
地域の役員や、保護者会の運営などにも携わり、あまりの忙しさに悲鳴を上げたくなる時もありましたが、「すべて、家族のため、友のために、一生懸命、頑張っているんだ」と自分に言い聞かせてきました。
4
喜びは「心の潤滑油」
池田
よく、頑張ってきましたね。
大事なのは、忙しさに負けないこと。「心」が負けないことです。
時間がたくさんあるからといって、いい子育てができるわけではない。
時間がいくらあっても、「心」がなければ、子どもとの本当の触れ合いは生まれないものです。
忙しさに心が負けると、「愚痴」が出る。「いやだな」と思いながらやっていると、よけい心に余裕がなくなり、つらい思いばかりが、どんどん積もってしまいます。
それでは、せっかく一生懸命やっていても、「喜び」は生まれない。「悪循環」です。
反対に、前向きになって、「喜び」をもって取り組めば、生命が回転を始める。「喜んで」取り組むことが、生命を回転させる「潤滑油」になるのです。
喜びが「心の潤滑油」だとすれば、愚痴は、「心のさび」と言えるかもしれません。心がさびつくと、生命の回転が鈍くなり、固まってしまう。本来ならば、できるようなことも、できなくなってしまう。
時間がある、ないではない。「心」です。
人生は戦いです。「さあ、戦おう!」という心を燃やせば、自分が思ってもみなかったような力が出せるものです。
小野
本当ですね。いくら時間があっても、気持ちが後ろ向きになっていると、何もできないものです。
かえって忙しい時のほうが、気持ちが充実していて、いろんなことができます。
私も母親らしいことは、あまりしてあげられませんでしたが、子どもたちにいつも、「お母さんが、あんたたちを思う気持ちは地球よりも重たいけんね」と言い聞かせていました。
せめて言葉だけでも、と。(笑い)
でも、本当に、心の底からそう思っていたのです。
池田
よく分かります。真剣な思いは、必ずお子さんに伝わっているはずです。
小野
ありがとうございます。
わが家の娘たちは、幸い、あまり手のかからない子どもでした。それでも、小さい頃、たまにカゼなどひくと、寝ずに看病したりしたものでした。
私は、そうしたことを忘れていましたが、長女が高校生になった頃、「小学生の時、母はどんなに疲れていても、夜遅くまで看病してくれました」と、ある文章に綴ってくれたことがありました。やはり、うれしいものです。
5
母と子がしっかり向きあう
池田
大人から見れば、ささいなことであっても、子どもはよく覚えているね。親のさりげない振る舞いや言葉のほうが、子どもの命に刻まれることが多いかもしれない。子どもは、親の姿をよく見ているものです。
子どもは、いつも母親のほうを向いている。
私は『母の舞』の「まえがき」に記しました。
母は太陽。
母は大海。
母は春風。
母はひまわり。
見方を変えれば、お母さんを見つめる、子どもの明るい笑顔もまた、「ひまわり」のように見える。
あたかも、太陽を見つめる、ひまわりのように――。
「ひまわり」という名前の由来は、花が太陽の動きについて回ると思われていたからのようです。
実際に花が咲いてからは、そういうことはないようですが、たしかにその姿は、いつも太陽のほうへ、太陽のほうへと向かっているように見えます。
同じように、子どもはいつも、お母さんという太陽に向かっているのです。お母さんも、子どもとしっかり向き合うことです。
小野
一九九九年度の「小学生文化新聞」(聖教新聞社発行)の作文コンクールで、「お母さん大好き!」という気持ちがいっぱい詰まった詩が入選していました。
タイトルは「ひっこし」。奈良県の、小学二年生の女の子(萩原安衣子さん)が書いた作品です。
この女の子は、夜の間に何度も「ひっこし」するそうです。
大塚
それは、どういうことですか。
小野
つまり、夜、寝る時、お母さんに「朝まで、わたしとねてや」とお願いするのですが、お母さんは女の子が寝ると、お兄ちゃんやお姉ちゃんの所の様子を見に行くんです。
それで、この女の子は目を覚まし、お母さんのそばに三回も「ひっこし」するというのです。
女の子は、お母さんに対する気持ちを、こう詩に託しています。
だってお母さんが、大すきだから。
ちきゅうぐらい、大すきだから。
だから、朝までわたしのよこでねてや。
お母さんのそばにいたら
いっぱいエネルギーもらって
元気になるねんで。
お母さんにぎゅうぎゅうしてもらったら
うれしくなって
しあわせな気もちになんねんで。
だから
「子どもとねたら、かたこる」って、言わんと
わたしとずっと朝までねてや。
「ぜったいねてや」
せやけど
たまには
おねえちゃんとも
おにいちゃんともねたってや。
大塚
かわいらしいですね。(笑い)
ちょっぴりユーモラスで、でも、聞いていると、なんだか、じーんと心が温かくなってきます。
池田
お母さんから、いっぱいエネルギーをもらって元気になる、というのは正直な気持ちでしょうね。
お母さんというのは、いるだけで、大きな力を与えているのです。
太陽が、ひまわりを育むように、お母さんは、太陽のような愛情を、子どもたちに降り注いであげてほしい。
子どもの時に注がれた愛情のエネルギーで、人間は、その後の人生を力強く生きてゆけるのだから。
6
「太陽となって、光のシャワーを」
大塚
今のお話をうかがっていて、ある光景を思い出しました。
長野研修道場で、池田先生がアメリカSGIのメンバーを激励された時のことです。たしか、平成三年(一九九一年)の八月だったと思います。
その研修会に、私は北陸の代表として参加していました。
アメリカSGIからは、大学教授や、学者の集まりである文化本部の方々が来日していました。
研修会の間、先生は、遠くから、はるばるやってきたメンバーと何度も懇談され、質問に答えたり、一人ひとりを激励しておられました。
日程も終わりに近づき、アメリカのメンバーが、私たちより一足早く帰ることになりました。
その日の午後、アメリカの皆さんが移動のマイクロバスに乗り込み始めると、先生が、わざわざお仕事を中断して見送りに出てこられたのです。
先生の姿を見つけたアメリカの友は歓声をあげました。メンバーの一人が、先生に、こう決意を語りました。
「池田先生、本当にありがとうございました。私たちは、今はまだまだ小さな苗木です。しかし、アメリカに帰って、大樹に育っていきます!」
大塚
池田先生は、深くうなずかれ、こう語られました。
「分かりました。皆さんは、アメリカに“人材の森”を育ててください」
そして、晴れ渡った青空に輝く太陽を指さされ、「私は、太陽になります。太陽となって、皆さまに光のシャワーを注ぎます。どうか、お元気で!」と――。
池田
優秀な知性のリーダーの方々でした。大学の副学長をされたり、研究機関の要職にあるなど、皆、すばらしい活躍をされています。
あの時の約束どおり、今、アメリカには、堂々たる“人材の森”が築かれています。
大塚
私は、先生とアメリカの友のやりとりを目の当たりにして、深く感動しました。
“人生の師匠”の前で、成長を誓うアメリカの友。皆の成長と幸福を願い、限りない慈愛でつつまれる池田先生――。
国籍も、言葉も、世代も違う。
しかし、何の別け隔てもなく、同じ人間として語り合い、深い尊敬と愛情の心で結びついている。
私は、幼い頃から学会の中で育ってきましたが、創価学会という世界の広大さ、先生が人材を育てる慈愛は、自分が考えていたよりも、ずっと大きい、ずっと深いものなんだ!――と、あらためて目を開かされた思いがしました。
すると、こんなすばらしい世界の中で、自分を育ててくれた母に、深い感謝がわいてきたんです。
すぐに、母に電話をかけ、「私を学会の中で育てていただき、ありがとうございました」と心の底からのお礼を言いました。
小野
突然の電話に、お母さんは驚かれたかもしれませんね(笑い)。でも、苦労して大塚さんを育ててこられたお母さんは、その言葉を聞いて、本当にうれしかったでしょうね。
私も今、学会の中で生きていけるありがたさをかみしめる毎日です。世の中は、暗いニュースや、悲しくなるような出来事ばかりですから、よけいにそう思います。
先生がつくってくださった学会の人間愛の世界を、社会に大きく広げていこうと決意しています。
池田
「私を育ててくれて、ありがとう」――この言葉こそ、何よりもうれしい「お母さんの勲章」だね。
小さい頃は、そんなことは言ってくれないかもしれないが(笑い)、勝負はずっと先です。
子育て、教育というのは、長い目で見ていかねばなりません。そこに教育の難しさもある。「大きな心」と「忍耐」がなければできません。
7
病気と貧乏に負けなかった母
大塚
先日、富山に住む婦人部の方から、経済苦や、自分の病気に負けず、未来を見つめ、未来を信じて、二人のお子さんを育ててこられた半生をうかがいました。
もともと病弱だったこの方は、命に及ぶ病気にかかり、いつ倒れるか分からない、明日の命も危ないような状況が続きました。「子どもが一人前に育つまで、どうか私の生命をもちこたえさせてください」と必死に祈ったそうです。
そうしたなかで書き綴った、当時の日記を見せてもらい、心打たれました。本人のご了解を得て、紹介させていただきます。
「元気に学校に保育所にと出かける後ろ姿に手を合わす。すなおな子に育ってほしい。なさけ深い子に育ってほしい。いかなる難ものり越える強い心の子供になってほしい」
「こんなにつらいのに私の心は晴ればれとしている。信心に強盛な主人がいる。そして信心をほこりに思っている幼い二人の子供がいる。無心に手を合わすこの子供達のためにも私は健康で家庭を守りぬくのだ」
「どんなに苦しくても、つらくても、母たる、妻たる私は笑顔を出すのだ。
心の富を御本尊様にいただいている事に感謝しながら……。
この子達は何もしらない。私から受けるものだけがつたわる……だから明るくふるまうのだ。
いつか、子供達が大きくなった時、わらって話せる時がくる」
小野
大変な状況なのに、愚痴めいた言葉は一言もないんですね。
「子どもたちには、私から受けるものだけが伝わる」という思いで、常に明るく振る舞う「強さ」がすごいと思います。
大塚
このお母さんは、その後、すべてに打ち勝って、二人のお子さんを立派に育て上げました。
二人の息子さんは、一人は東大、一人は京大を卒業。ご両親の心を受け継ぎ、それぞれの分野で人のため、広布のために活躍しています。
お母さん自身も、今はすっかり元気になり、地域で婦人部の本部長をされています。
池田
立派だね。
「子どもたちが大きくなった時、笑って話せる時がくる」と、自分を励まし、未来への希望を燃やして生き抜かれた――その姿は、いかなる英雄よりも崇高です。
「希望」です。どんな大変な時も、下を向いて、うつむいてばかりいては、希望は生まれません。頭を上げて、「未来を見つめて」いくことです。
8
子どもたちは「宝の人々」
小野
池田先生は、学会員はもちろんのことですが、世界中の子どもたちに希望を送ってくださいます。
昨年(一九九九年)、行なわれた未来部総会で、こんな出来事がありました。
ある婦人部のお母さんが、小学生の息子さんと、そのお友だちを連れて、未来部総会の衛星中継に参加しました。
そこで池田先生は、次のようにスピーチされました。
「今日、来られた皆さんのなかには、ご両親がいない人もいるかもしれない。お父さんがいない人は、『自分がお父さんだ!』と思って生きなさい。弟や妹を大事にしてあげなさい。お母さんがいない人は、『私がお母さんだ!』と思って生き抜きなさい。
さびしがったり、悲観的になったり、悲しい顔をするのは不幸です」
お友だちの男の子は、真剣な顔をして聞き入っていたそうです。
後日、男の子のお母さんから、婦人部の方のところに電話がありました。
実は、その家庭では二年前にお父さんを病気で亡くしていたのです。
ところが、未来部総会のあった日、男の子が家に帰るやいなや、「今日からぼくがお父さんだから、ビシビシやるよ」(笑い)と言ったというのです。
そのお母さんは、男の子から先生のスピーチについて聞き、大変喜んで、電話をかけてきたのです。受話器の向こう側で涙ぐんでいたそうです。
池田
それはよかった。本当にうれしいことです。
子どもたちは皆、かけがえのない「可能性」をもった「宝の人びと」です。一人ひとりが、「希望」の存在です。生命には「希望」が、いっぱい詰まっている。
もしも、子どもたちの中に息づく「希望」を、傷つけたり、窒息させたりするようなことがあれば、それは大人の責任ではないだろうか。
私は、そういう現代の社会を見るにつけ、心が強く痛みます。
子どもたちの瞳が、恐怖や、悲しみの涙で曇るのを見たくない。そういう社会は、絶対に変えていかねばならない。
子どもは、大人の社会を映す鏡の存在です。大人たちが曇っていたり、病んでいれば、子どもたちも病んでくるのです。
すべての子どもたちから、悲しみの涙をぬぐい去りましょう! 子どもたちを守り、勇気と、力と、生命を与えていくのです。
人類の「希望」である子どもたちを育んでいるのが、皆さま方、お母さんなのです。何と、尊いことか。どれほど、大きな使命と責任があることか。
小野
私も、「子どもが希望」というのは、実感として分かります。子育ては苦労もありましたが、子どもがいたからこそ、大変な時も、頑張ってこれたと思うのです。
母の使命を自覚して、頑張ってまいります。
9
進もう! この「幸福の大道」を
池田
よろしくお願いします。
二十一世紀へ、わが子とともに歩みゆくお母さん方に贈りたい詩があります。
昨年(一九九九年)、韓国の
済州
チェジュ
島を訪問した際に聞いた「ケンチャヌルコヤ(大丈夫)」という歌の一節です。韓国の人気歌手である
朴恵卿
パクヘギョン
さんが歌ってくださいました。朴さんは、私のスピーチを読んで、作詞されたとうかがいました。
大塚
池田先生が、国立済州大学の名誉博士号を受けられた時のことですね。私も新聞で拝見しました。朴さんは、「母」の歌も歌ってくださったそうですね。「オモニー……」と、韓国語で。そしてまた、「母よー……」と、日本語で。
心に染み入る歌声に、多くの人が涙を流しながら聞き入っていたと……。新聞で読んで、「母を思う心」に国境はないと思いました。
池田
そのとおりだね。
実は朴さんは、小学四年生の時にお父さんをなくし、お母さんの女手ひとつで育てられたそうです。
朴さんの「大丈夫」は、こんな歌詞です。
私の選んだ この道は
そんなに たやすくはない
けれど 心だけは永遠の青い海のように
ああ そのまま ああ いつまでも
そうだ 静かに いつも 堂々と
岩にぶつかり 光る波のように
世の中に ぶつかっていくのだ
信ずるとおりになるよう 幸せになるよう
私が選んだ この道を
どこまでも 私は進んでいく!
小野
力強く、心が広々となる歌詞ですね。強い決意が、ひしひしと伝わってきます。
池田
私は、二十一世紀を、「母と子の笑いさざめく世紀」としていきたい。
人類の「希望」である子どもたちが、すこやかに、まっすぐに成長していける社会をつくりたい。
私は、「母と子」を守り、励ますために、自分にできることは、すべてやっていこうという思いです。
「母と子」を守ることは、「生命」を守ることです。「平和」と、そして「未来」を守ることです。ここにすべての根本がある。
私は今、そのために、全力で戦っています。
先ほどの歌にあったように、皆さんも、朗らかに、強い心で、「私が選んだこの道」を歩み抜いていただきたい。いっしょに、希望の未来をつくっていただきたい。
そのためには「勇気」です。
自分一人でも悪と戦っていく。そして、どんな困難があっても、負けずに「勇気」をもって挑戦していく。
そういう強いお母さんであっていただきたい。
進みましょう! この「幸福の大道」を!
いつまでも! どこまでも! ともどもに!
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