Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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第5章 学ぶ心学ぶ意味
「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)
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1
対話者
蓬田のり子
よもぎだ のりこ
秋田県生まれ。県立中央高等学校卒。創価学会東北婦人部長。一男の母。
三井麻生
みつい あさみ
東京都生まれ。お茶の水女子大学文教育学部卒。創価学会山梨総県婦人部長。
2
子どもの「やる気」をどう引き出すか
蓬田
「学ぶ心 学ぶ意味」のテーマで、「子どもと勉強」に関して、三井さんといっしょに、うかがっていきたいと思います。
私は結婚して九年目に、ようやく子どもを授かりましたが、子どもの勉強では悩んだ時期がありました。
三井
婦人部の皆さんと話していると、どのお母さんも、それは悩みのようです。
「子どもが、いくら言っても勉強しないんです」「どうしたら勉強させられるでしょうか」と、よくお聞きします。子どもの成績に無関心な親はいません。
それに今、日本では、子どもの基礎的な学力の低下も問題になっていますね。
池田
日本全体の学力も大きな問題かもしれませんが、お母さんたちにとっては、「わが子」の学力が最大の心配ごとでしょう。(笑い)
以前、創価学会青年部の難民視察団が、カンボジアに行った時のことです。大変印象的だったらしく、報告してくれました。
悲惨な戦争を逃れてきた多くの避難民が、水や食糧の確保もままならないような、ぎりぎりの状況で生活していました。
青年部員は、そこにいる子どもたちに、「今、一番、何をしたい?」と聞いてみた。
すると、子どもたちは、輝く瞳で答えました。「早く学校に行って、勉強がしたい!」と――。
子どもは本来、「学ぼう!」「伸びよう!」「吸収しよう!」という意欲を持っているものです。
終戦直後の日本を振り返れば、よく分かります。生活は苦しく、皆、お腹をすかせていたが、青少年にとって、食べ物と同じくらい必要だったのは、精神の栄養でした。
皆「学ぶ」ことに飢えていました。
一冊の本を手に入れるために、長い行列に並んだものです。
三井
今は、勉強しようと思えば、いくらでもできる環境にあるのに、本当にもったいない気がします。
池田
要は子どもの「やる気」を、どう引き出すかだね。「勉強しなさい」と一方的にいくら言っても、子どもはかえって反発することが多い。
とくに子どもは「~しなさい」といった命令調の言葉が嫌いなのです。
蓬田
たしかに、そのとおりですね。
いくら言っても、本人がその気にならないかぎり、逆効果でした。
3
「人生に勝つため」に学ぶ
池田
お母さん方にしても、自分の子ども時代を振り返れば、そんなに「勉強しなさい」とは言えないはずでしょう。(笑い)
「勉強ができる」からといって、「幸福になる」とは限らない。
「いい学校を出た」からといって、「立派な人間」とは限らない。
この当たり前のことを、皆、忘れている。それを混同するから、多くの問題も生まれているのです。
「人間の偉さ」と「成績」は、関係ありません。
ではなぜ、勉強するのか。
「知は力なり」です。勉強は、自分に力をつけるためにするのです。「人生に勝つため」に学ぶのです。その力で社会に貢献するのです。
勉強していないと、将来、いざという時に、力を発揮できない。夢を持った時に、夢が実現できない。
勉強も、努力もしないで、立派になった人はいません。
三井
今はマスコミの影響なのか、努力とか、忍耐などの地味なことよりも、華やかな表面ばかりに目を向けがちだと思います。
池田
どんな世界であれ、勉強と努力なくして一流にはなれません。華やかに見えるスポーツや、音楽といった世界でも同じです。
もちろん、学校の勉強だけが、勉強ではない。人それぞれ、得意や不得意もある。
しかし「学ぼう」「勉強しよう」という心を持ち続けることが大切です。
「勉強ができる人」が偉いのではない。「勉強しようという心」を持ち続ける人こそ、偉いのです。
ですから、お母さんは、子どもの成績に一喜一憂するよりも、子どもの「学ぼうとする心」を引き出し、讃えてあげてほしい。
「お前はだめだ」とか、「どうして、こんなことも分からないの」などと、絶対に言ってはいけません。
大事なのは、「やる気」を引き出すこと。「やればできる」という自信をつけさせることです。
「お母さんがしっかり見守って、祈っていてあげるから、あなたは安心して勉強しなさい」と、温かく包容し、励ましていくことが大事です。
「押しつけ」てはいけない。「引き出す」のです。
「命令」はいけない。「励ます」のです。
4
「今は勉学第一」と教えてくれた先輩婦人
三井
子どもの頃、私の一番の悩みは「左きき」だったことなんです。当時は「左きき」を無理にでも直そうという風潮でした。また少し吃音だったこともあり、とても内気な子になっていました。お使いにも一人では行けなかったんです。
母は何とか内気を直そうと、注意するのです。それが、とてもつらかったのを、よく覚えています。
蓬田
今の三井さんからは、なかなか想像できませんね。(笑い)
三井
わが家は私が一歳の頃、親戚のすすめで入会しました。
そして幼稚園の頃、その親戚の家のいとこから、「勤行して、題目をあげれば直るよ」と言われたのです。
それで家に帰って、親に勤行・唱題を教えてくれるよう、せがんだのですが、親は、「子どもは元気に遊んだほうがよい」という考えでした。小学校に入学してから、やっと教えてくれました。ですから勤行は、小学一年生の時から始めたのです。
創価学会の未来部の会合も、だれが誘いに来なくても、自分から会場となっているお宅に行って参加していました。
池田
そうですか。自立した子どもだったんだね。
三井
子ども心に、本当に悩んでいたのだと思います。親でも、それは分からなかったと思います。私なりに真剣に祈りました。そして、だんだんと自分が変わっていくのが分かって、信心への確信をつかんでいったのです。
それで積極性が出てきて、小学校の高学年になる頃から、自分なりの言葉で、友だちに学会のすばらしさを語っていました。
ところがある時、友だちに学会の悪口を言われ、とても悔しい思いをしたんです。
母は、私の思いをくんで、婦人部の方のところに相談に行きました。
そして帰ってきて、「『今は、勉強する時。悔しかったら、勉強で勝ちなさい』って言ってたよ」と。
その方は、一つの例として、私の家は東京の渋谷でしたので、“都立駒場高校に行って、お茶の水女子大学を目指してみれば”と言われました。
当時、創価学園は男子校で、創価大学もまだ開学していませんでした。また、わが家はそんなに裕福でありませんでしたし、国公立だと、お金はそんなにかかりませんから。
子どもの私は「そうだ!」と、完全に真に受けて、その日の日記から「都立駒場、お茶の水」「都立駒場、お茶の水……」と毎日、繰り返し書いて。(笑い)
その日から私は、一生懸命、勉強を始めました。
池田
子どもには「今、何をなすべきか」を教えることです。信心は一生だもの。「今は勉学第一」と教えてくれた、その方は的確な励ましをしてくれたね。
勉強は「全部、自分のため」です。このことが分かれば、子どもは進んで勉強する。
とくに、小学校の時代は大事です。学力の基礎をつける時期ですから、分からないのを、そのままで放っておくと、授業についていけなくなり、勉強がおもしろくなく、嫌いになってしまうものです。
蓬田
勉強をしても、なかなか成績が上がらないで、悩んでいる人もいます。
池田
以前、数学の世界的学者である、中国・復旦大学の蘇歩青名誉学長に「数学の学び方」をうかがった時、こう語っておられたのが忘れられません。
「私は数学を五〇年間教えてきました。その経験から言えることは、勉強するには一歩一歩、歩んでいくことです。
いつまでも歩き続け、自分の最高の目標に達するには、とうていできないと思うこともあるが、そこを我慢して、ある程度いくと開けていきます。
私は、これが悟るということに通じることではないかと思います」と。
三井
含蓄深い言葉ですね。
池田
どんなことも、最初の「一歩」から始まる。その最初の「一歩」を踏み出せるかどうかです。目標に到達するには、「一歩」また「一歩」を粘り強く積み重ねていくしかありません。
その間、目に見えるような成果が上がらない時もあります。しかし、必ず力はついている。努力を重ねて、ある一定のレベルに達すると、一気に目の前が開けていく。ちょうど山の峰を越えた時、急に眼前が開けるように。そこまでが我慢のしどころです。
以前(一九八九年)、ロンドンのダウニング街十番地(首相官邸)で、当時のイギリスの首相だったサッチャーさんとお会いしました。
サッチャー首相は、今も感謝している父親からの教訓といって、次のような言葉を紹介してくださいました。「まずベストを尽くせ。たとえ失敗しても、もう一度トライ(挑戦)せよ。そして再びベストを尽くせ」というものです。この精神です。
5
「前に進もうとする子どもの心」を励ます
三井
女子部時代に、池田先生から「『決意』が『実践』になり、『実践』が『習慣』になった人は強い」と指導していただいたことがありますが、勉強も、決意して実践し、習慣にしていくことが大事でしょうね。
次元は違いますが、社会人の時、私は「毎朝、一時間の唱題を一カ月続けられた人は一生涯、続けられる」とうかがい、決意しました。それで、毎朝、早朝に起きて、唱題し続けたことが懐かしい思い出です。
池田
「持続は力なり」です。
何ごとであれ、苦労も、辛抱もしないで、いきなり伸びるようなことは、ありません。そんなのは幻です。
途中の困難を避けて、成果だけ得ようとするのは怠惰であり、要領です。「どうせ、分からないから」と、あきらめてしまうのは弱さです。
時には、負けそうになることもあるでしょう。投げ出したくなったり、あきらめたくなることもある。挫折することもある。
しかし、途中で少々、止まってしまったとしても、もう一度、決意を新たにして、粘り強く進んでいけばよいのです。それが本当の強さです。
お母さんにも、辛抱が必要です。じっと見守りながら、子どもの「前へ進もうとする心」を励ましてあげるのです。少しでも、一歩でも前進したら、「頑張ったね」「よくやったね」「さすがだね」と大いにほめてあげるのです。
蓬田
悔しさをばねに頑張ったといえば、私は高校時代のことを思い出します。応援団に入っていて、女子生徒の責任者をしていました。
全校生徒が体育館に集まる壮行会の時など、壇上に上がって応援をリードするのですが、私が登壇すると、会場から「ソウカガッカーイ!」とヤジがあがりました。
まだ、学会に対する認識も浅かった時代です。
そのおかげで私は、「そうだ! 学会っ子だ! 私は立派な生徒として、必ず実証を示そう!」と力がわいてきました。
池田
若いころから、心強く頑張ってきたのだね。
大切なのは「負けじ魂」です。
人生は順調な時ばかりではない。逆境に立ち向かい、逆境と戦ってこそ、人格が鍛えられるのです。
どんな世界であれ、創造的な仕事をしたり、何ごとかをなそうという人は、多かれ少なかれ、必ず圧迫を受けるものです。少々の悪口を言われて、引き下がってしまうようでは、本物ではない。臆病では、何ごともできない。勇気です。
日蓮大聖人は「
賢聖は罵詈して試みるなるべし
」と言われています。
その人が、“本物”であるかどうかは、悪口や、非難を言われてみて、分かる。それに負けないのが“本物”です。
わが子にも、いざという時に、信念を貫ける強さを養っていきたいものです。
蓬田
高校時代の、この出来事は、すばらしい「出会い」も与えてくれました。この様子を見ていた後輩の女子生徒が、後で「私も学会員なんです」と言ってきたのです。その子とともに信仰に励み、彼女は今、秋田で分県婦人部長として活躍しています。
実は、彼女のお兄さんが、今の私の夫です。
池田
そうでしたか。(笑い)
6
徹した人にはかなわない
三井
私も“学会っ子”として本当に決意したのは、高校時代でした。学会未来部の人材グループである「東京未来会第二期」結成の時、池田先生とお会いしました。
昭和四十五年(一九七〇年)でした。私は高校一年生で、場所は神奈川の三崎研修所でした。志望どおり、都立駒場高校に通っていました。
小・中・高の代表約六〇人が、池田先生のもとに集まりましたが、先生は、私たちを前に、こう言われました。
「何でもいいから、一番を目指しなさい。
数学でも、英語でもいい。国語でもいい。勉強に限ることではないよ。『優しさ』でもいいんだよ。とにかく何かで、『一番』になりなさい」と。
「よし、私も必ず何かで『一番』になろう!」と強く決意しました。
池田
どんな分野であれ、高い目標を目指して頑張っていけば、必ず、すべてに通じていくものです。
努力すること。耐えること。あきらめないこと。弱い自分に打ち勝つこと。人生にとって必要な、そうした一切が含まれていく。
なんであれ、徹することです。徹した人には、かなわない。
蓬田
三井さんは、何で一番を目指したんですか。
三井
実はその頃、勉強では、どれをとっても一番になるのは無理だと思いました。(笑い)
そこで私は、「今からでも一番になれるもの――そうだ、御書で一番になろう!」と決意したんです。
蓬田
そこに“教学の三井さん”の原点があったのですね。(笑い)
三井
あの日、池田先生と過ごした一瞬一瞬の光景が、今も鮮やかに胸に刻まれています。
集まった私たちに、先生は、自分の手で一本ずつジュースの栓を抜いて、一人ひとりに手渡してくださったのです。
自分が直接、先生からジュースを手渡された時、ずしっと先生の真心が響いてきました。
また、虫よけのために蚊取り線香がたいてあったのですが、先生は、うちわで、その煙を私たちに向けてかけてくださるのです。
「みんな大事な体だ。蚊なんかにくわれてたまるか」と言われながら。
本当に感動しました。
「これほどまでに私たちのことを思ってくれる人が、いるだろうか。先生の期待にお応えしよう。人々のため、平和のために働ける人材に成長しよう」と固く固く誓いました。これが私の原点です。
池田
子どもたちは「未来からの使者」です。私たちの世界は、すべて、子どもたちに受け継いでいってもらう以外にない。私は、子どもを信じている。子どもの「伸びる力」を信じている。みんな、かけがえのない使命を持った人たちだもの。
だから私は、子どもたちに「尊敬」の心で接しているのです。だから、全力なのです。
「手抜き」や「小手先」で子どもとかかわっていると、後悔することになりかねない。
私はいつも、子どもたちと会った時は、何か思い出をつくってあげたいと思っています。
7
忘れられない雪の街頭座談会
蓬田
私と息子にとっての原点は、何といっても、昭和五十七年(一九八二年)一月、池田先生が秋田に来られた時のことです。
三井
あの“雪の座談会”で有名な時ですね!
蓬田
そうです。あの時、先生は、悪い僧侶の策謀に苦しんだ秋田の同志を励ますために、暖かくなってからでは遅いと、厳密の一月にやってきてくださいました。
先生の来訪を知った秋田の私たちは、居ても立ってもいられなくなり、先生の飛行機が着く頃には、秋田空港から秋田文化会館まで、先生が通るだろう道中のあちこちに、人々が集まりだしました。迷惑をかけてはいけないと、物陰に隠れたりしていました。ついには数十人になったところもありました。
一目でもいいから、先生にお会いしたい。「私たちは大丈夫です! 先生、ありがとうございます!」という、やむにやまれぬ思いだったのです。
当時、私は支部婦人部長をしていました。生まれて九カ月になる長男を背負って、同志とともに待っていました。
すると向こうから、一台の車が近づいてきました。
車は、私たちのすぐそばで停まりました。「もしや……」という気持ちと、「まさか……」という気持ちです。そして、ドアが開きました。
「あけましておめでとう」「私が来たから、もう大丈夫! 安心してください」と、力強い声が響きました。
何と、池田先生が車から降りて、私たちのもとに歩み寄ってこられたのです。
池田
寒い日だったね。
蓬田
はい。一月といえば、地元の人でも、とても寒い季節です。そんななかを、先生は、白い息を吐きながら、慣れない雪道を踏みしめて私たちのもとに歩いてきてくださったのです。
すぐに即席の街頭座談会が始まりました。
先生は、皆といっしょに記念撮影をしてくださいました。
私は、ちょうど、先生のすぐ後ろにいたのですが、撮影が終わると、先生はくるっと振り向かれ、お母さんといっしょに来た女のお子さんを励まされ、次に、私が背におぶっていた息子を見つめ、「男の子だね。創価大学で待っていますよ」と声をかけてくださいました。
ほんの数分の出来事でしたが、私たちにとって、生涯を貫く原点となりました。当時のことを、ことあるごとに子どもと語り合いながら、育ててきました。
池田
あの時は、会館に着くまでの間に、たしか九回、車から降りて、同志の皆さんとの雪の座談会となり、懇談させていただいた。
延べ一〇〇〇人近くの方がおられたと思います。初めは車を停めるたびに、周りの幹部は、何が起きたのかと思ったようだ。(笑い)
銀世界の中での街頭座談会の思い出は、私も忘れることができません。あの訪問の折、皆が真心でつくってくださった「かまくら」に入れていただいことも、よく覚えています。
蓬田
ある時、息子が「お母さんは池田先生にお会いできて、いいなあ。ぼくは一度も会ったことがない」と言いました。
私は息子を座らせ、膝をつき合わせて、あの時の記念写真を見せて、言い聞かせました。
「これが、あなたよ。人の陰になっていて、よく見えないけど、このちょっと見えているのがあなたよ。あなたは先生にお会いしているのよ」と。
池田
お子さんは、今、どうされていますか。
蓬田
関西創価高校を卒業し、創価大学の児童教育学科に進みました。
一人っ子でしたので、とくに、私と夫が二人で同時に叱らないように気をつけました。
夫は、「重箱の隅をつつく」のではなく、「重箱をしゃもじですくう」ように、細かいことは大目に見ていくべきだ、と言っていました。
三井
「しゃもじ」ですか。うまい表現ですね。(笑い)
8
善き人や物事との出あいを大切に
蓬田
息子は中学の途中までは、それほど勉強してはいませんでした。
しかし、仙台に引っ越し、学園生のお子さんをもつ婦人部の方との出会いがきっかけで、息子を、関西創価学園の見学に連れて行ったのです。ちょうど、秋の「健康祭」という行事が行なわれていました。
学園の活発な雰囲気に、秋田しか知らない息子は、とても強い刺激を受けたようです。
何といっても、学園生の生き生きとした、元気はつらつの姿に感動しました。
また、周りに落ちているゴミを、生徒の皆さんが自発的に掃除して集めている姿にも、心を打たれたようです。
ある学園生からは「自分の進む道を、全力で頑張れ!」と激励されました。息子にとって、人生観が変わるような一日だったのです。
関西創価学園に行きたいと決意したらしく、仙台に帰ってから、自分から進んで、猛然と勉強を始めました。
池田
子どもというのは、何がきっかけで、伸びるか分からないものです。
世の中は、子どもたちにとって、いろんな刺激に満ち満ちている。堕落のほうへ、悪のほうへと引っ張っていくような存在も多い。
だからこそ、私たちが、成長のほうへ、善のほうへと、子どもによい刺激を与えていくしかありません。
仏法で「善知識」ともいいますが、人間が正しい人生を歩んでいくために、一番、大切なのは、善き人や物事との「出あい」なのです。子どもが「伸びよう」「頑張ろう」と思えるような、きっかけをどれだけ与えられるかです。
蓬田
そう思います。息子は高校時代、生徒会の議会団の議長をしていて、いい先生、いい友だちに恵まれて、読書にも積極的に挑戦しました。
9
母子ともに読書に挑戦を!
三井
私が読書好きになったのも、ちょっとしたことがきっかけでした。
小学五年生の頃だったと記憶しています。
父がボーナスの日、おみやげを買ってくるのを楽しみに、きょうだいみんな、玄関で帰りを今か今かと待っていました。
すると、父が、大きな段ボール箱を二つ抱えて、ふうふう言いながら、帰ってきました。
「いったいなんだろう!」と、わくわくしながら箱を開けてみると、中に入っていたのは、何と「世界文学全集」。
ごちそうとか、おもちゃとかを期待していた私たちは、がっかりしました。
しかし、そのせいで読書の楽しさを知るようになったのです。
母は、あまり読書が好きではありませんでしたが、「本を買う」ことは好きでした。
「本は読むものでなくて、買うもの」と思っていたくらいでしたが(笑い)、それも私たち子どものためだったと、今は思えるようになりました。
それと、創価学会の出版物もたくさん買ってありました。一つひとつを読み進めるのが私の楽しみになって、仏法の偉大さや学会のすばらしさを深く知ることができました。
池田
良書は、かけがえのない財産だからね。
私は、現在の活字離れの風潮を深刻に考えている一人です。今はコンピュータも発達したし、本以外にも、情報を得るには、いろいろと便利なものはある。
しかし、じっくり本を読むことによって、頭が鍛えられる。批判力もつくし、想像力も豊かになっていきます。
また、「読書によって、学力の基本が身につく」と指摘する識者は多い。
社会人として生活するために必要な「読み書き」の力も自然に備わっていきます。
ですから、お子さんには、本に親しむ「習慣」をつけてほしい。
何も、難しく、かたくるしいだけの本を子どもに読ませる必要はない。子どもが「おもしろい」と感じられるような本を、子どもといっしょになって読み、聞かせていけばよいのです。
忙しい毎日だと思いますが、子どもばかりでなく、お母さんも読書に挑戦してほしい。その姿から、子どもは何かを感じ取っていくでしょう。
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勉強に取り組むには家庭の「安心感」が必要
三井
そういう意味では、学会の世界はありがたいですね。「聖教新聞」や、御書など、読むべきものがたくさんあります。(笑い)
また 池田先生のスピーチや、各界の指導者との対談を読むことによって、歴史、文学、世界のことなど、本当にあらゆることを学ぶことができます。
蓬田
本当ですね。私の人生も、学会との出合いがなければ考えられません。
子どもの頃のわが家は、経済的に大変な状態でした。しかし、何よりも一番、つらかったのは、父が母に暴力をふるうことでした。
父の母は、青森で、一代でデパートを築きました。父は長男だったのですが、商才がなかったせいか、跡を継ぐことはありませんでした。
ふだんは温厚な父が、何か気にくわないことがあると、突然、人が変わったように暴れたのも、人生の挫折感からだったのかもしれません。
つらい日々に絶望のあまり、子どもを背負い、手を引いて線路を歩いている母を、学会の方が見つけてくれて、祈りとして叶わざるなしの仏法の話を聞き、入会したのです。
“夫の暴力を何とかしたい。できれば別れたい”というのが、母が入会した動機でした。
ある時など、父が怒ってストーブの上の熱湯を誤ってこぼしてしまい、母にかかったことがありました。
そんな家庭で育った私にとって、創価学会の世界は、本当に心の安らぐ場所でした。
とくに、座談会は大好きでした。また、力強い学会歌にどれだけ励まされたことでしょう。
雪が降りしきる夜道を、座談会の会場へ、母の手を引いて歩いていきました。玄関を入るとストーブが一つ。そこは、温かい「かまくら」のような世界でした。
時には、母の膝で寝入ってしまうこともありましたが、学会のぬくもりが、体にしみこんでくるような気がしました。学会の世界が、子どもの私に、心の安らぎをくれました。
池田
苦労されたんだね。苦労した分、すべてが財産になっているんだよ。
蓬田
母には感謝しています。父もだんだん変わっていきました。父が病気で倒れて、亡くなるまでの一年数カ月の間、母は看病に尽くしました。父が息を引き取った時、母は「のり子、こさこい(こっちへおいで)」と、父の傍らに私を呼んで、こう言いました。母は、自分のことを「おれ」と言います。
「おれ(私)、また来世も、この人といっしょになりて! 父さんも苦しかったんだ。それを分かってやれなかった、おれも悪かった。本当は、いい人だったんだよな」
かつて母が、あれほど、いじめられ、苦しめられた父を……。
驚きました。そして、感動しました。
「別れたい」というのが信仰を始めた動機だったのに、最後は「来世もいっしょになりたい」とまで。これが信心の賜物なんだな、と心底、思いました。
言葉は悪いですが、「ばか」がつくくらい正直に、まじめに、学会ひとすじの信心を貫いた父と母です。
経済的に大変で、自分たちの食べる物がなくても、わが家を拠点に使っていただき、同志に尽くした父と母です。
よく先輩に諭されるのです。
“父さん、母さんの愚直な信心があって、今のあなたがあることを忘れてはいけない”と。
池田
本当に、そのとおりだ。苦労して育ててくれた、お父さん、お母さんの恩を決して忘れてはいけないね。
「人間革命」のための信仰です。ご両親とも、信仰によって、大きく変わっていったんだね。お母さんの深い愛情と、健気な信心は、これからも一家一族を守り、大福運でつつんでいくことでしょう。
子どもがすこやかに成長していくためには、家庭の雰囲気が与える影響は大きい。「安心感」は欠かせません。
勉強に落ち着いて取り組むためにも、「安心感」が必要です。
とくに試験や、受験の時など、力が十分に発揮できるよう、周囲が温かなかかわりをしていくことが大事になります。
11
高等部員の“希望の星”に、と決意
池田
ところで、三井さんのお茶の水女子大のほうは、どうなったのかな。
三井
それが、小学生の時に受験を決意して駒場高校に進んだものの、高校では、勉強より読書に夢中になってしまい、大学受験の勉強をしていなかったんです。
ですから受験勉強を始めようとした高校三年の時は、まったく合格不可能な成績でした。
教師に相談しても、「だめだめ、一発勝負屋は受からない」と言われて。(笑い)
でも私は思ったんです。
「常に勉強ができて成績優秀な人が、いい大学に入ったら、それは当たり前だ。
成績がそれほどでもないのに、必死に勉強して合格したという体験をすれば、それを見て、後に続く高等部員が『自分にもできる』という自信を持ってくれるのではないか」と。
それで、少し大げさですが(笑い)、「自分を高等部員の希望の星にしてください!」と、真剣に祈りながら勉強を開始しました。
池田
なるほど。とらえ方だね。「心強き人」には、すべてが前進の糧となるものです。
三井
決意してからは、本当に死にものぐるいで、それこそ体をイスに縛りつけて勉強しました。(笑い)
そうして、とうとう受験の日を迎えるのですが、試験会場に行くと、周りの人が、みんな頭のよさそうな人に見えるんです。「自分はきっと落ちるんじゃないかな」と弱気になってしまいました。
そして数学の試験。問題を見た瞬間、真っ青になりました。まったく、分からないんです。
「もうだめだ」と思い、鉛筆を投げ出し、突っ伏して寝てしまいました。
蓬田
周りの人も、びっくりしたかもしれませんね。(笑い)
三井
でもしばらくすると、これまで応援してくれた母の姿を思い出し、「私はいったい、何のためにここまで頑張ってきたんだ! 最後まであきらめないで、やってみよう!」と思い直しました。
あらためて、冷静になって問題を見直すと、こんどは全部、分かるんです。(笑い)
残された時間で、すべて解答し、合格を勝ち取ることができました。
池田
おそらく試験会場の独特の雰囲気にのまれて、心が縮み上がってしまったんだろう。心一つで、大きな違いが出るものだね。
“見れども見えず”という状態では、いくら力があっても、一〇〇パーセント発揮することはできない。
ある人が受験の思い出を語っていた。
「家を出る時、母は、『何も心配しないで、しっかり力を出し切ってらっしゃい。試験の時間、お母さんがずっと題目を送っているからね』と言って送り出してくれた。母が祈ってくれているということが、どれほど心強かったか分からない」と。
一生懸命、何かに打ち込んだ後は、「自分はこれだけやった」という「自信」が残りますね。
三井
はい。受験のおかげで「真剣に努力すれば、乗り越えられない困難はない!」という信念を培うことができました。この時の経験が、その後の生きる力ともなったと思います。
12
学び続ける人は深い人生を生きる
池田
受験に限らず、地道に努力を重ねた人には、かなわない。“一夜漬け”で学んだものは、所詮、付け焼き刃です。一日少しずつでも、学び続けたものは、血肉となり、自分の力となっていくものです。
蓬田
人生も同じですね。
池田
戸田先生は、最後の最後まで「勉強せよ。勉強しない者は私の弟子ではない」と厳しく言われていました。
先生の教えどおり、今も私は、学び続けています。
戸田先生の事業が一番、苦境にあった頃、それを支える私は、大学に行きたくても行けなかった。
しかし先生は、「心配するな。ぼくが大学の勉強を、みんな教えるからな。勉強は、ぼくにまかしておけ」と言われ、毎日曜日、ご自身の休養もさしおいて、ありとあらゆる学問を個人教授してくださった。日曜だけでは足りず、会社の始業時間前の早朝もです。
生命を削ってでも、ご自身の持てるすべてを、私に伝えきっておこうという気迫であられた。
ありがたい師匠でした。私は「戸田大学」の卒業生です。それが一番の誇りです。
子どもだけでなく、お母さんも学びましょう。「女性の世紀」を開きゆく皆さんは、賢明な女性となっていただきたい。
「学は光」「無学は闇」――学び続ける人は美しい。学ぶ姿は、すがすがしい。一歩、深い人生を生きることができる。
母も、子も、ともに学びながら、限りない向上の人生を歩んでいこうではありませんか。
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