Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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青年よ二十一世紀の広布の山を登れ  

詩歌・贈言「青年の譜」「広宣の詩」(池田大作全集第39巻)

前後
1   
 「なぜ山に登るのか」
 「そこに山があるからだ」と
 かつて
 ある著名な登山家は言った
  
 我らは今
 広宣流布の山である
 二十一世紀の山を
 登攀せんとしているのだ
  
 我が 青年達よ
 妙法正義の旗を振りながら
 満ちたりたる人生の自立のために
 二十一世紀の山を
 勇敢に登り征け
  
 そのためにも
 大なり小なり
 自己に直面する日々の現実の山を
 一歩一歩
 また一つ一つ
 登りゆかねばならない
 その厳しき現実と
 社会の山を登りゆかんとする
 その生命の中にのみ
 真実の充実しきった
 青春の価値があるからだ
 そして その深く
 自身の決めたこの道にのみ
 無言にして
 無限の言い知れぬ
 広びろとした広野の如き
 自己自身をつくり
 見つめゆくことができるのである
2  我が 門下の青年よ
 生きて生きて生き抜くのだ
 絶対不滅にして
 永遠の大法のために
 また この世に生を受けた
 尊き自己自身の使命のために
 さらに
 我らの信条である
 世界に平和の鐘を
 社会に正義の旗を
 打ち建てゆくために
  
 今日も太陽は昇る
 春の桜のあしたにも
 かの炎熱の日々にも
 紅葉もみじの秋にも
 吹雪と嵐の曇天にも
 悠然と太陽は昇る
 と共に逞しく
 未来に生きゆく青年の胸中にも
 大法輝く太陽が
 刻々と昇りゆく
 青春であらねばならない
  
 若き君たちよ
 青春とは太陽の異名である
 その無限の可能性に
 光り輝く太陽を抱きながら
 今日一日を
 すべてに勝ち取っていく
 日々であっていただきたい
3  我が 太陽の仏法昇りきたりて
 法灯連綿七百年
 そしてまた
 「源遠ければ流長し」の
 原理のもとに
 その大河は
 満々と世界に流れ広がった
  
 昭和二十六年
 その太陽の仏法を掲げて
 勇敢にして信念の
 青年部の先輩立ちて三十年
 その時集いし不屈の
 凛々しき若武者と
 清純なる乙女ら
 二百六十余人
 今 ここ三十年の流れに
 ある時は
 岩にぶつかり
 ある時は
 嵐に水かさを増しながら
 ある時は
 炎熱の日々に水かさを減じながら
 今や四百万人の脈々たる奔流となる
 会長の後継者も
 全て青年部出身者であったことを
 忘れないでもらいたい
  
 この悠々たる大河の流れは
 誰人も
 決してとどめることはできない
 いかなる権力をもってしても
 いかなる邪悪な妨害ありとも
 時代の先取りとしながら
 さらにさらに
 水かさを広く深く拡げながら
 大海に向かって
 流れていくに違いない
4  この若き青年諸君の
 勇猛にして精進の弘法の力により
 日蓮大聖人の太陽の仏法は
 我が国を超えて
 世界へと輝きわたる
 また その妙法流布の大河の流れも
 九十数か国に流れわたった
 平和のため
 生命尊厳のため
 世界の大仏法として
 あらゆる慈悲を与えながら
 滔々と歓び渡る
  
 その先駆を切りし人々は
 すべて青年であったのだ
 御書に曰く
 「日蓮が慈悲曠大ならば
 南無妙法蓮華経は万年の外
 未来までもながるべし」と
  
 信教の自由を守るための
 我らの慈悲と哲理の秩序ある行進には
 階級もない
 国境もない
 全ての人が本源よりの
 自らの使命と権利と幸福を
 創りゆくためへの行進なのだ
5  我らは 絶対に暴力に反対する
 我らは 絶対に戦争に反対する
 この大仏法を基調として
 平和と文化の賛同を得ながら
 国境を越え
 イデオロギーを超え
 共鳴の華の輪を拡げゆくのだ
 人間は誰人たりといえども
 幸福になりゆく権利があるからだ
  
 私は諸君の成長をひたすら待っている
 否 祈っている
 それしか広宣流布の道がないことを
 知っているからだ
 そこで 私は申し上げたい
 現実の二十一世紀の山へ
 登りゆくためへの原動力は
 勤行 唱題であることを
 忘れてはならないということである
  
 「一丈のほりを こへぬもの
 十丈 二十丈のほりを こうべきか」
 の御聖訓のままに
 今 君達が存在するその場所で
 断じて勝たねばならない
 仏法の真髄である
 題目をあげぬいた人には
 誰人もかなわないからである
 この一点を
 君達は忘れてはならないし
 実践しぬいてもらいたい
  
 いかなる苦衷の最中さなかに入っても
 希望を失ってはいけない
 希望は力である
 これこそ信心であるからだ
6  ともあれ 人間のみが
 希望を生み出す
 価値ある存在であるからだ
 かりに 不運にも
 姿は敗れることがあったとしても
 信心の二字だけは
 決して敗れてはならない
 信心の二字が不撓であるならば
 いつの日か必ずや
 その人には
 勝利の満足のあかしが待っている
 その証は
 社会の中に厳然として
 明確に証明されるのが
 事の仏法であるからだ
  
 ここで 若き君達は
 聡明なリーダーとして
 成長していただきたい
 また
 民衆と共に歩みゆくことを
 絶対に忘れてはならない
 民衆が主権者であるからだ
 民衆は常に賢者であることを
 知らねばならない
  
 その民衆の支持と信仰があるかぎり
 我らの行進は
 いやが上にも
 限りなき前進の歴史を
 築くことができるからだ
  
 故に 若き君達は
 労多きことを誇りとしながら
 良き市民の人生の案内役
 そしてまた
 若き哲学者であっていただきたいのだ
7  来るべき時代は
 かかる若きリーダーを
 望み待っていることを
 私は知っている
 信仰と哲学なき人は
 羅針盤のなき船舶のようなものだ
 もはや
 物の時代から心の時代
 心の時代から生命の時代に
 刻々と移りかわっている
 そこにのみ真実の人生の幸福という
 価値あることを人々はめざめ始めた
 いまや
 有名とか 財産で偉さが決まる時代は
 全く過ぎ去ったといってよい
 大衆による大衆の時代なのだ
  
 この大衆の時代に
 大衆より信頼を得た人が
 真実のリーダーなのである
 人間は皆 すべて平等である
 上下などある筈がない
 若き君達よ
 朝な夕なに大衆と常に接し
 共に生き
 大衆と温かき連係をとりながら
 そして大衆と呼吸し
 共鳴してゆく
 若き新世紀のリーダーに
 なっていただきたいのだ
  
 私は 君達を信ずる
 君達に期待する
 君達を愛する
8  私も
 人生の恩師とめた
 戸田門下生の一人として
 あらゆる迫害を浴びながらも
 その時 誓いあった広宣流布という
 民衆のための法戦を
 貫き通してきたつもりである
 いわれなき冤罪は
 歴史が厳然と裁くことを
 断言しておきたい
  
 いかなる
 権威 権力をもって迫害されても
 一人の人間として
 どこまで難を乗り越えられるか
 その姿を示しゆくところに
 人間革命の実証があるとの
 信念に殉じて生きてきた
  
 絶対に
 卑怯者にはなりたくなかった
 また なってはならない
 裏切り者であってはならない
 それは
 いかに正義ぶった
 論調を展開しようとも
 もはや 野干になりさがった
 言々であることを知悉しているからだ
9  若き青年リーダーたちよ
 問題にあったて
 常に鋭く
 その事件の本質を
 見抜きゆく洞察力を持たねばならない
 また 様々な法戦にあって
 その背後にある
 陰謀 画策の構図を
 見破らねばならない
  
 故に 未来に生きゆく青年たちは
 賢者であらねばならない
 愚者であってはならない
 騙されてはならない
 聡明と智恵者であらねばならない
 これこそ
 「天晴れぬれば地明らかなリ」との如く
 信心の要件といわねばならないからだ
  
 詮ずる所は
 不幸と幸福
 邪悪と正義
 魔と仏の戦いが
 仏法の仏法たる所以であることを
 自覚していただきたいのだ
 ともあれ 若き君達は
 同信退転の
 あわれな友を乗り越え 乗り越えて
 生命の宝塔の
 求道の人々と交わりながら
 ひたすらに
 運動の繰り返しを
 回転しぬいていただきたい
10  真実の
 充実しきった意義ある人生には
 真実の
 偉大な仏法と信仰が必要なのである
 君達の最高の誇りは
 日蓮大聖人の仏法を持(たも)ち
 青春を乱舞しぬいているということに
 つきることを知らねばならない
  
 二十一世紀の山は近い
 もはや彼方に見える
 二十一世紀は
 全てが君達のものだ
 君達の暁であり
 檜舞台である
 君達が存分に活躍しゆく
 総仕上げの大舞台である
  
 二〇〇一年五月三日――
 この日が
 私共の そして君達の
 大いなる
 目標登攀の日であるといってよい
 広布第二幕の勝負は
 この時で決せられることを
 忘れないでほしいのだ
 愛する君達よ
 その日まで労苦の修行を
 足も軽やかに
 健康で
 日々歩んでいただきたい
11  全てが自身のためと思い
 そして 民衆のためと思い
 悩める友のためと思いながらの
 修行であっていただきたい
 そして永遠に刻みゆく
 忘れ得ぬ自己自身の
 歴史の綴りであることを思いながらの
 精進であっていただきたい
 どうか 苦しき時
 行き詰まりそうになった時に
 あの雄々しき多くの同志がいることを
 忘れてはならない
 また 彼の地にも
 あの先輩が
 あの同志がいることを
 決して忘れてはならない
 そのために 自身に克ちゆく唱題も
 忘れてはならない
  
 我らの そして君達の
 行動と活躍の全ては
 三世を通観なされる
 日蓮大聖人の御照覧が
 常にあることを忘れてはならない
 また この経を持(たも)つ人には
 必ず諸天の厳たる護りがあることを
 疑ってはならない
 これを信心というのだ
  
 少々の屈辱と侮蔑の
 非難を浴びせられても
 釈尊もそうであられたし
 ましてや
 日蓮大聖人の大迫害よりみるならば
 あまりにも小さき難であることを
 凡夫である我々は
 感謝しなければならないのだ
 かの熱原の法難を
 そして近くは
 我が学会の誉れある
 初代 二代会長の法難を
 想い起こしてもらいたい
12  どうか 後継の諸君よ
 老いたる親を大切に
 そして社会を大切に
 泥沼の如き労苦の社会の中にこそ
 「如蓮華在水」の原理があることを
 知っていただきたいのだ
 その複雑きわまりなき社会にあって
 若き地涌の後継者たる君達は
 厳然として自己の宮殿をひらきながら
 悠然と
 ある時はさらに走り
 ある時は耐え
 そして
 ある時は青春の叫びを訴えながら
 またと来らざるこの一日一日を
 前へ前へと
 進みゆくことを願ってやまない
  
 信仰とは
 何ものをも恐れぬことだ
 自己をして自己の信念を
 法と人と社会のために
 果たしゆくことだ
 社会は厳しい
 甘えてはならない
 刻々と変遷しゆく
 社会に流されるのではなくして
 君達は堂々と歴史を作りゆく
 主体者であることを自覚されたいのだ
 表面的な社会の現状に紛動され
 毀誉褒貶の八風に
 侵されゆく自分であっては
 もはや大聖人門下の
 偉大なる信仰者とはいえないのだ
13  私が願ってやまない
 若き 仏子達よ
 今再び
 スクラムを組みかえながら
 たまには菜の花の広野で
 次の目標への打ち合わせをしながら
 また ある時は
 「くれないの歌」
 「緑のあの道」を
 高らかにうたいながら
 堂々と若き後継の友を拡大しながら
 ついに目指した
 金剛の二十一世紀の山へと
 共進を開始していただきたいのだ
  
 その二十一世紀の
 山に登りきったならば
 あとは一切
 君達のものである
 それからは 広宣流布第三章の
 平和と幸福への
 歓喜の法戦を
 全て君達に託したい
  (1981.12.10)

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