Nichiren・Ikeda
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宗教的な記念碑
「古典を語る」根本誠(池田大作全集第16巻)
前後
1 池田 これを通観してみると、明らかに、像末の世相のなかで、ひたすら現世利益を願い、また、切実に苦患の現世を厭離する、逼迫(ぽく)した民衆の姿が、リアルに示されています。
おそらく、作者の眼には、現実は六道輪廻の流転そのものと映じたにちがいない。芥川は、いみじく
も「修羅、餓鬼、地獄、畜生等の世界はいつも現世の外にあったのではない」(前掲「今昔物語鑑賞」)と喝破していますね。
瞋恚、貪欲、愚痴、諂曲等の情念の織りなす四悪趣の世界も、所詮は、この世の現実であり、汝自身の生命に実在するものにほかならない。――これが、『今昔』の作者が、観念ではなく、体験をとおしてつかんだ「人間」発見だった。
根本 なるほど。――それが『今昔』の「世俗」「悪行」部の世界であるわけですね。しかし、いわゆる十界の範疇には、六道のみでなく、仏・菩薩や声聞・縁覚のような四聖の境界もある。「仏法」部には、それが描かれている、と考えていいでしょうか。
池田 そう思います。私は『今昔』全体の構成には、壮大なスケールの十界絵図を完成しようという意図があった、と推測してみたい。
根本 ただ、十界という概念には、六道から四聖へ一つの価値意識がありますね。この点は、あまり明確には表れていない――というより、作者はむしろ、六道のドラマに、より多くの興味と関心、さらには共感を寄せているように思うのですが。
池田 そう。そこに『今昔』の作者の、いわば文学的な資質が表れていると見られるでしょう。と同時に、すでに既成の価値基準では律しきれない「末世法減」の時代の現実があったことを考えねばならない。
この現実に直面して、作者は、価値的な整序よりも、むしろ、その混沌と矛盾のままに、すべてを、一つの坩堝のなかに投げ入れる道を選んだ。
その柑塙から、何が生みだされるかの確たる見とおしはなかったにちがいない。彼は、あくまで相対主義的な認識者として、いわば混沌の眼で、現実を、人間を凝視したのではないでしょうか。
根本 そう考えると、たしかに『今昔』全体をつつむ、あの混沌たる雰囲気は、よく理解できるような気がしますね。
池田 六道から四聖への上昇志向よりも、四聖から六道への下降志向のほうが、表面的には色濃く表れているのも、そうした作者の立場を反映しているのでしょう。しかし、さらに、深く掘り下げてみると、それは本来、仏教の出発点であり、本質的なあり方を示すものだった、と考えたい。
この点で、私は繰り返して、あの全巻冒頭の説話(巻一・第1、大系22)が、重い、深い意味をもって迫ってくることが痛感されてならないのです。それは――「兜率天ノ内院」にいた釈迦菩薩が、その「天ノ宮ヲ捨テ」「閻浮提ニ下生シナム」として、下天・托胎する物語でした。そしてまた、四門出遊の説話は、釈尊が、王宮の栄楽を捨て、出家するにいたる端緒が何であったかを、象徴的に語るものでした。
根本 生老病死という、人間存在の根源的な苦悩の解決が問題だった……。
池田 『今昔』の作者には、もちろん、どうにも出口のない六道輪廻の巷にあって、堕ちよ、生きよ、と叫んでいる趣がないわけではない。
だが、その胸中に入って、あえて大胆な想像をしてみるならば、そこには、一つの予知があったのではないかと思える。なぜなら、末法という危機的な転換期は、一つの時代の終わりを意味すると同時に、一つの新たなる時代の始まりを告知するものでもあるからです。
闇が深いほど黎明が近いように、この白法隠没せんとする時代の黄昏は、まさに画期的な宗教改革とルネサンスを内に秘めていた。
『今昔』の作者は、明らかにその一歩手前に佇んでいた。彼には、来るべきものが何かは混沌として見えなかったでしょうが、それが近づきつつあること、いや、それはそれは到来しなければならないという想いは、しっかりと胸奥にいだかれていたにちがいない。
私はあまりに心情的な臆見にかたむいているかもしれません。しかし、部分的にではなく、総体とし『今昔』をとらえようとするならば、それは何よりも、未曾有の危機的時代における宗教的な記念碑(モニュメント)であったということを看過してはならないと思うのです。