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日蓮大聖人・池田大作

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人生と創造の関わり  

「古典を語る」根本誠(池田大作全集第16巻)

前後
1  池田 私は、王朝の女流作家たちの、辛労と懊悩にみちた実人生というものを考えると、ふと、人生と創造との奥深い、不思議な関わりあいに、感銘せざるをえないときがあります。
 「かく年月はつもれど思ふやうにもあらぬ身をしなげゞば、声あらたまるもよろこぼしからず、猶ものはかなきを思へば、あるかなきかの心ちするかげろふの日記といふべし」(長谷川政春・今西祐一郎・伊藤博・吉岡曠校注、『新日本古典文学大系』24所収、岩波書居)と書いた右大将道綱の母。
 ひなに育ち、物語の世界に憧れた夢想の少女時代から京に上り、宮仕えし、結婚し、子どもを産み、やがて夫と死別するという生涯を淡々とした筆致でつづりながら、最後に、「年月はすぎかはりゆけど、夢のやうなりしほどを思いづれば、心地もまどひ、目もかきくらすやうなれば、そのほどの事はまださだかにもおぼえず」(同前)と、晩年の孤独な心境を記す、『更級日記』の作者――。
 紫式部も含めて、彼女たちの境涯は、当時の女性として、おそらくありふれたものであったにちがいないと思える。
 根本 時代も、環境も、風習も異なるのに、そこに書き留められた心の記録は、たしかに、真実の響きを伝えるものがありますね。
 池田 紫式部の生きた時代は、道長が「望月の欠けたることなし」と観ずるように栄華を極めていた。その絶頂のなかにすでに崩壊への兆しは現れていた。王朝の女流たちの描いた現実は、当時の閉ざされた日本の、そのごく一部の狭い範囲から切り取られて見られたものにすぎない。しかし、その鋭い現実透視の眼は、いち早くこの社会の繁栄の底にある脆弱さを見抜き、普遍的な人間の真実を探りあてていた。その頂点に現れたのが『源氏物語』であったと思うのです。

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