Nichiren・Ikeda
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法華経、維摩経の影響
「古典を語る」根本誠(池田大作全集第16巻)
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1 根本 『古事記』の神話の部分などは、仏典にこめられた豊かな想像力の成果に刺激されて、日本の各地に散在していた神話伝承を結集したとも指摘されていますね。
池田 ここは神田教授の研究成果を、ほとんどそのまま、借用させてもらうのですが、『古事記』の文体と構成には、たしかに法華経、維摩経の影響が大きい。
たとえば、『古事記』のなかには、多くの古代歌謡が巧みに織りこまれていますが、それは仏典における「偈」を模倣したものと考えられます。
事実、法華経(「方便品第二」)では、散文の叙述の後に、「欲重宣此義。而説偈言(重ねて此の義を宣べんと欲して偈を説いて言わく)」(開結155㌻)といって、韻文でもう一度同じことが言われる例が数多い。こうした詩と散文の双在という独特の形式は、『ヴェーダ』をもつ古代インドに源泉があり、それが仏教東漸によって日本にも伝えられた、とする指摘は、含蓄の深いものがある。
根本 まさに卓見ですね。
池田 たしかに『古事記』の暢達でリズミカルな文体は、口唱されたということもあって、かなり仏典と似た要素が多い。
また、維摩経に、世尊から維摩居士の病気見舞いに行くようにと言われた弟子や菩薩が、みな、かつての経験から、自分はその任に堪えないと言って辞退するところが、繰り返し表れる。
彼らはみな「所以者何(所以は何ん)」(大正十四巻)といって、理由を述べる。
その話の終わりが「故我不任詣彼問疾(故に我彼に詣って疾を問うに任えず)」(同前)という言葉で結ばれています。
神田教授は『古事記』の文体は、相当にこの問答形式に学んだとみるべき痕跡が多い、と言っている。たとえば、天の石屋戸の段で、アマテラスが、「何由以、天宇受売者為(レ)楽、亦八百万神諸咲(何由以、天宇受売は楽を為、亦八百万の神諸咲へる)」(大系1)と問い、アメノウズメが答えて「益二汝命一而貴神坐。故、歓喜咲楽区(汝命に益して貴き神坐す。故、歓喜び咲ひ楽ぶぞ)」(大系1)というところがあります。
これはたしかに、『古事記』が維摩経や法華経から会得した文体だと言えますね。
根本 「所以者何」と「故」が、いわば、係り結びのように照応する文体は、中国古典にはない例ですね。
池田 また、神話、伝説に登場する人物が、神々や天皇に「……」と申し上げた、というような場合の「白」という敬語的表現も、漢訳仏典からきたものだと判断していいですね。
「弥勒菩薩等。倶白仏言(弥勅菩薩等、倶に仏に白して言さく)」(開結492㌻)これは、法華経(「如来寿量品第十六」)のなかの一例ですが、こうした敬語的な「白」の用法は、中国固有の古典にはないということです。
根本 そうですね。中国古典の「白」は、白色の意ですから。