Nichiren・Ikeda
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文化交流の世界的拡がり
「古典を語る」根本誠(池田大作全集第16巻)
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1 池田 七年半ぶりに愛媛に行ってきました。それから徳島、香川を回り、きょう、こちらの創価女子学園(=現関西創価学園)へ着いたところです。
根本 ハード・スケジュールですね。道後温泉は『古事記』と関係深い所ですが、行かれましたか。
池田 松山には行きましたが、道後温泉は道すがらの車の中から眺めただけでした。(笑い)
根本 それはどうも……。
池田 温泉には入れませんでしたが、詩情豊かな風土のたたずまいは、思わぬ古典の旅の一齣(こま)でした。私は訪れる土地の歴史や風土性に関心があり、暇をみては、思索してみたいと思っています
根本 歴史といえば、道後の湯には、たしか大国主の伝説もあり、聖徳太子も入湯したと言われている、
池田 ええ。正岡子規が随筆「故郷の暖気」でふれていますが、愛媛は昔から風光明媚の温暖地で、早くから人が住みついたのでしょう。
根本 縄文遺跡も多いようですね。
池田 『古事記』にも、国生みの段に、「故、伊予国は愛比売と謂ひ」(大系1)と記されている。
国生みの最初が淡路島で、次が四国というのも、当時の大和からの路順を意識したものではないでしようか。
根本 なるほど、そんなところにも『古事記』の編纂者たちの経験が表れているのかもしれません。さて、『古事記』については、前回、宿題が一つ残されました。
それは『古事記』に対する、仏教の影響という問題です。
小泉八雲は“世界中の神話、伝説の大部分は、何らかの意味で仏教から派生している”と指摘していますが、日本の神話である『古事記』にも、同じことが言えるか、どうか――。
池田 重要な論点ですね。
私は、その跡をたどることは、『古事記』の世界性という側面に、新たな光を照射するばかりでなく、およそ思想、文化の交流というものの、一つの原型を明らかにすることになる、と思うのです。
もちろん、『古事記』は主として日本固有の伝承を基盤にして成立したものです。
だが、原初の日本は、また世界は、現在の私たちが考える以上に、開かれた、文化の流通、伝播、接触があった、とみたい。
それは、鎖国主義的な視界では、とらえきれないものがある。
根本 たしかに、視野を広くして考えなければならない問題ですね。
池田 古代における文化交流が、いかに世界的な拡がりをもっていたか――それを証明する事例は、枚挙にいとまがないと言っていい。
これは碩学、中村元博士があげられている一つの例ですが、仏教渡来以前の日本に、すでにインド文化の影響が考えられる。それが米の名称にも見られるというのです。(『東西文化の交流』、『中村元選集』第9巻所収、春秋社)
根本 それはおもしろい……。
池田 粳(うるち)の古名「うるしね」というのは、サンスクリット語の「ヴリ-ヒ」から由来している。さらに興味深いのは、この言葉が、西洋に伝わって、「ライス」と言われるようになった。つまり、「うるち」と「ライス」はインドを中心とした文化交流の具体例なのですね。
根本 私たちのごく身近なところに、驚くべき伝播の痕跡が残されているものですね。現在のような発達した交通・通信機関のない時代の、東西文明の相渉る経路を想像すると、奇跡を見るような気がします。
池田 そうです。しかし、たしかに奇跡は実在したのです。
歴史時代に入れば、その足跡はよりはっきりしてくる。たとえば、『日本書紀』には、白雉五年(654年)の記事として、「夏四月に、吐火羅国の男二人・女二人、舎衛の女一人、風に被ひて日向に流れ来れり」(大系68)とある。
この「吐火羅」は、今のタイのメコン川下流の王国とされているが、「舎衛」は、祇園精舎で知られる中インドの国でしょう。これは漂流で日本に着いた例ですが、そのほか渡来僧の記録もある。ともかく交流は、さまざまの形で行われた、と考えられます。
根本 まえに話の出た、高山樗牛の神話論(『文豪及史傳下』、『樗牛全集』第三巻所収、博文館)でも、たしか、『ヴェーダ』の代表的な神であるインドラと、日本神話のスサノオとの類比を論じていましたね。
池田 ええ。現在では、否定されているようですが、私には、樗牛の着眼点はすばらしいもののように思えてならない。
根本 インドラは雷霆神と言われますが、勇猛で、悪竜ヴリトラを退治した英雄神であるところなど、スサノオに通ずる点ですね。
反面また、暁紅神ウシヤスの車駕を破壊したり、太陽神ス-ルヤの車輪を奪ったり、粗暴な性質もある――スサノオの高天原(たかまがはら)での乱暴を連想させるところがあります。
池田 もちろん、類似点があるといっても、かならずしも伝播だけとはかぎらない。それぞれ独自に発生したものとも考えられるからです。
だが、それにしても、インドラ神はスサノオの面影をほうふつさせるものがある。学問的には問題があるにせよ、古代インドとの交流を示唆するという意味では、十分に傾聴すべき点があると思うのです。
根本 彼の議論は、大胆な仮説で論議を呼び起こした――とにかく先駆的な業績であったことは否定できないですね。
池田 あまり評価すると、専門の人から笑われるかもしれませんね……。
根本 では、この話はそのへんにとどめて(笑い)、――今まで、一般的な交流についてみてきましたが、焦点を仏教との関係にしぼっていきたいと思います。