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日蓮大聖人・池田大作

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人間くさい神々  

「古典を語る」根本誠(池田大作全集第16巻)

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1  根本 ところで、『古事記』は上・中・下三巻から成っており、上巻が神代、中・下巻が人代の物語と、ふつう言われている。しかし、人代の物語でも、神武天皇とか、神功皇后とか、倭建命ヤマトタケルノミコトなどをはじめとして、明らかに神話的な範疇に属するものも多いわけですね。もっとも、これについては、歴史学の観点から、議論の多いところですが、ここでは、あくまで文学として、人間の劇としての『古事記』について話を進めたいと思います。
 池田 そうですね。そういう点では、神代と人代とで、あまり違いはないといっていい。『古事記』のなかで活躍する神々は、いずれも非超越的な性格に見えるし、その意味で人間的と言えます。イザナギ、イザナミから、アマテラス、スサノオの登場で、いよいよ人間の存在の対立、葛藤をめぐる物語の世界が展開するわけですが……怒り、笑い、泣き、喜び、嫉み、疑う人間くさいドラマが。
 根本 まず、イザナギ、イザナミの対偶神ですが、二神の結婚と出産、妻である女神の死、黄泉よみの国での対面となっています。それでイザナギが、逃げだすのですが、この遁走神話というのは、やはり世界に広く分布しているタイプですね。逃げるときに投げる物の数が三つ、という点まで一致しているそうです。
 池田 この話が、離婚と死の起源についての神話とされているのもおもしろい。妻は自分の醜い姿を見られたく・ない。それを覗き見されてしまう。逃げる男を追って、女の愛情が憎悪に変わる。黄泉比良坂よもつひらさかの岩に向かい合って、イザナミが、「愛しき那勢なせみことば、いましの国の人草、一日ひとひ千頭ちがしらくびり殺さむ」(大系1)というのが、死の起源だというのですが、逃げるあたりの話は、何だか現代的な話でもある。(笑い) 
 根本 妻の腐爛した死体を見て、百年の恋も一時に醒めたのでしょうか。私はイザナギに同情したい。(笑い)
 それから、アマテラス、ツクヨミ、スサノオの、いわゆる三貴子きしの誕生ですね。その三貴子が、それぞれ高天原たかまがはら、夜の食国おすくに、海原の統治を命ぜられるが、スサノオは命令を聞かないで、泣いてばかりいる……。
 池田 「其の泣くさまは、青山は枯山からやまの如く泣き枯らし、河海は悉に泣きしき」(大系1)――火山の爆発するような、すさまじい号泣ですね。そしてスサノオが、罪を背負って高天原から放逐され、出雲へ降り立つという設定は、のちの国譲りのための伏線でしょうが、彼には激情に揺さぶられる青年の魅力がおもしろい。どこか近代小説の登場人物を連想させるようなところがあります。芥川龍之介が、小説化(『素戔鳴尊』『老いたる素戔鳴尊』)していますが、芥川は、スサノオの野性に満ちた人間味に惹かれたのかもしれない。
 根本 次の大国主命オオクニヌシノミコトの話には、系統の異なるさまざまな神話、伝承がまとめられているようですが、これは試練と恋愛の物語ですね。神代史のなかでも、長いストーリーの部分ですが、との試練は、成人式、即位儀礼の神話化と解釈されています。

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