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日蓮大聖人・池田大作

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2 英知を磨き正義に生きる  

「希望の世紀へ 宝の架け橋」趙文富(池田大作全集第112巻)

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8  青春時代の苦闘こそ人生の財産
 池田 逆境に屈することなく、前へ前へと進む青春は偉大です。
 私もこれまで多くの識者の方々と対話を重ねてきましたが、一流と呼ばれる人々は皆、少なからず若き日に苦闘を重ねておられます。
 人間、苦労なくして、本物の力も、本物の人格も鍛え上げられるものではありません。
 今の若い世代は、さまざまな面で恵まれている半面、そうした鍛えの機会が失われている半面、そうした鍛えの機会が失われていることは、とても残念な気がします。
 私の青春も苦闘の連続でした。なかでも、師である戸田先生の事業が苦境に陥った時が、一番苦しい時でした。
 寒い冬を迎えるというのに、コートを買うお金さえなく、ワイシャツ一枚で晩秋を過さなければならないほどでした。
 しかし私にとって、苦しい時に師とともに戦えること自体が何よりの幸せだったのです。
 戸田先生から、創価大学を設立する構想を聞いたのも、そんな苦境の最中にあった一九五〇年十一月のことでした。
 先生は、牧口初代会長が生前温めていた構想を話しながら、「大作、創価大学をつくうろうな。私の健在のうちにできればいいが、だめかもしれない。その時は大作、頼むよ。世界第一の大学にしようではないか」と、私に後事を託したのです。
  初めてうかがうお話です。創価大学の淵源に、そうした崇高な師弟の誓いがあったことに、感動を覚えます。
 池田会長のおっしゃるように、苦労は人間を大きくしてくれる財産です。また、苦労をともに味わう中で、絆も深まるものだと思います。
 私も大学入学前、中学校の臨時教員をしていた時代に、忘れられない一人の生徒と出会いました。
 彼の名は李明賢イミョンヒョンといい、家族ともども動乱の戦火を逃れて疎開してきたのですが、彼が、中学に入った頃、家族はソウルに帰ることになり、彼だけが一人残されてしまったのです。
 私は、自分の境遇にも似た彼のことを不思に感じて、一年間ほど寝食をともにしてあげたことがありました。
 彼は後に、ソウル大学で教授をしながら、韓国の教育改革に携わるなど、目覚ましい活躍をするようになりました。
 その彼が、私が済州大学の総長に就任した時(九七年九月)、新任の教育部長官(日本でいう文部大臣)として祝福に駆けつけてくれたのです。
 大学の総長の就任式に、教育部長官が直々に出席し、祝辞を述べるというのは、きわめて異例なことで、新聞でもその模様が詳しく報道されたほどでした。
 池田 趙博士の人徳の深さを物語るお話だと思います。李長官は、それだけ趙博士のことを、恩師として慕っておられたのですね。
 韓国では「師弟」を重んじる伝統が歴史的にあると思いますが、この師弟こそ最も尊く、美しい人間の絆ではないでしょうか。
 人生の最大の幸福は、こうした師弟の道を生き抜く中にあると思います。
 私という人間の九八パーセントは、師である戸田先生から学び、薫陶を受ける中で鍛え上げられたものです。どれだけ感謝してもしきれるものではありません。
 今年(二〇〇一年)で、戸田先生が創価学会の第二代会長に就任して五十周年の佳節を迎えましたが、戸田先生が私に託された具体的な構想は、創価大学の創立をはじめ、すべて実現することができました。
 私にとって、これ以上の誉れも、喜びもありません。

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