Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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第5章 学ぶ心学ぶ意味  

「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)

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8  善き人や物事との出あいを大切に
 蓬田 息子は中学の途中までは、それほど勉強してはいませんでした。
 しかし、仙台に引っ越し、学園生のお子さんをもつ婦人部の方との出会いがきっかけで、息子を、関西創価学園の見学に連れて行ったのです。ちょうど、秋の「健康祭」という行事が行なわれていました。
 学園の活発な雰囲気に、秋田しか知らない息子は、とても強い刺激を受けたようです。
 何といっても、学園生の生き生きとした、元気はつらつの姿に感動しました。
 また、周りに落ちているゴミを、生徒の皆さんが自発的に掃除して集めている姿にも、心を打たれたようです。
 ある学園生からは「自分の進む道を、全力で頑張れ!」と激励されました。息子にとって、人生観が変わるような一日だったのです。
 関西創価学園に行きたいと決意したらしく、仙台に帰ってから、自分から進んで、猛然と勉強を始めました。
 池田 子どもというのは、何がきっかけで、伸びるか分からないものです。
 世の中は、子どもたちにとって、いろんな刺激に満ち満ちている。堕落のほうへ、悪のほうへと引っ張っていくような存在も多い。
 だからこそ、私たちが、成長のほうへ、善のほうへと、子どもによい刺激を与えていくしかありません。
 仏法で「善知識」ともいいますが、人間が正しい人生を歩んでいくために、一番、大切なのは、善き人や物事との「出あい」なのです。子どもが「伸びよう」「頑張ろう」と思えるような、きっかけをどれだけ与えられるかです。
 蓬田 そう思います。息子は高校時代、生徒会の議会団の議長をしていて、いい先生、いい友だちに恵まれて、読書にも積極的に挑戦しました。
9  母子ともに読書に挑戦を!
 三井 私が読書好きになったのも、ちょっとしたことがきっかけでした。
 小学五年生の頃だったと記憶しています。
 父がボーナスの日、おみやげを買ってくるのを楽しみに、きょうだいみんな、玄関で帰りを今か今かと待っていました。
 すると、父が、大きな段ボール箱を二つ抱えて、ふうふう言いながら、帰ってきました。
 「いったいなんだろう!」と、わくわくしながら箱を開けてみると、中に入っていたのは、何と「世界文学全集」。
 ごちそうとか、おもちゃとかを期待していた私たちは、がっかりしました。
 しかし、そのせいで読書の楽しさを知るようになったのです。
 母は、あまり読書が好きではありませんでしたが、「本を買う」ことは好きでした。
 「本は読むものでなくて、買うもの」と思っていたくらいでしたが(笑い)、それも私たち子どものためだったと、今は思えるようになりました。
 それと、創価学会の出版物もたくさん買ってありました。一つひとつを読み進めるのが私の楽しみになって、仏法の偉大さや学会のすばらしさを深く知ることができました。
 池田 良書は、かけがえのない財産だからね。
 私は、現在の活字離れの風潮を深刻に考えている一人です。今はコンピュータも発達したし、本以外にも、情報を得るには、いろいろと便利なものはある。
 しかし、じっくり本を読むことによって、頭が鍛えられる。批判力もつくし、想像力も豊かになっていきます。
 また、「読書によって、学力の基本が身につく」と指摘する識者は多い。
 社会人として生活するために必要な「読み書き」の力も自然に備わっていきます。
 ですから、お子さんには、本に親しむ「習慣」をつけてほしい。
 何も、難しく、かたくるしいだけの本を子どもに読ませる必要はない。子どもが「おもしろい」と感じられるような本を、子どもといっしょになって読み、聞かせていけばよいのです。
 忙しい毎日だと思いますが、子どもばかりでなく、お母さんも読書に挑戦してほしい。その姿から、子どもは何かを感じ取っていくでしょう。
10  勉強に取り組むには家庭の「安心感」が必要
 三井 そういう意味では、学会の世界はありがたいですね。「聖教新聞」や、御書など、読むべきものがたくさんあります。(笑い)
 また 池田先生のスピーチや、各界の指導者との対談を読むことによって、歴史、文学、世界のことなど、本当にあらゆることを学ぶことができます。
 蓬田 本当ですね。私の人生も、学会との出合いがなければ考えられません。
 子どもの頃のわが家は、経済的に大変な状態でした。しかし、何よりも一番、つらかったのは、父が母に暴力をふるうことでした。
 父の母は、青森で、一代でデパートを築きました。父は長男だったのですが、商才がなかったせいか、跡を継ぐことはありませんでした。
 ふだんは温厚な父が、何か気にくわないことがあると、突然、人が変わったように暴れたのも、人生の挫折感からだったのかもしれません。
 つらい日々に絶望のあまり、子どもを背負い、手を引いて線路を歩いている母を、学会の方が見つけてくれて、祈りとして叶わざるなしの仏法の話を聞き、入会したのです。
 “夫の暴力を何とかしたい。できれば別れたい”というのが、母が入会した動機でした。
 ある時など、父が怒ってストーブの上の熱湯を誤ってこぼしてしまい、母にかかったことがありました。
 そんな家庭で育った私にとって、創価学会の世界は、本当に心の安らぐ場所でした。
 とくに、座談会は大好きでした。また、力強い学会歌にどれだけ励まされたことでしょう。
 雪が降りしきる夜道を、座談会の会場へ、母の手を引いて歩いていきました。玄関を入るとストーブが一つ。そこは、温かい「かまくら」のような世界でした。
 時には、母の膝で寝入ってしまうこともありましたが、学会のぬくもりが、体にしみこんでくるような気がしました。学会の世界が、子どもの私に、心の安らぎをくれました。
 池田 苦労されたんだね。苦労した分、すべてが財産になっているんだよ。
 蓬田 母には感謝しています。父もだんだん変わっていきました。父が病気で倒れて、亡くなるまでの一年数カ月の間、母は看病に尽くしました。父が息を引き取った時、母は「のり子、こさこい(こっちへおいで)」と、父の傍らに私を呼んで、こう言いました。母は、自分のことを「おれ」と言います。
 「おれ(私)、また来世も、この人といっしょになりて! 父さんも苦しかったんだ。それを分かってやれなかった、おれも悪かった。本当は、いい人だったんだよな」
 かつて母が、あれほど、いじめられ、苦しめられた父を……。
 驚きました。そして、感動しました。
 「別れたい」というのが信仰を始めた動機だったのに、最後は「来世もいっしょになりたい」とまで。これが信心の賜物なんだな、と心底、思いました。
 言葉は悪いですが、「ばか」がつくくらい正直に、まじめに、学会ひとすじの信心を貫いた父と母です。
 経済的に大変で、自分たちの食べる物がなくても、わが家を拠点に使っていただき、同志に尽くした父と母です。
 よく先輩に諭されるのです。
 “父さん、母さんの愚直な信心があって、今のあなたがあることを忘れてはいけない”と。
 池田 本当に、そのとおりだ。苦労して育ててくれた、お父さん、お母さんの恩を決して忘れてはいけないね。
 「人間革命」のための信仰です。ご両親とも、信仰によって、大きく変わっていったんだね。お母さんの深い愛情と、健気な信心は、これからも一家一族を守り、大福運でつつんでいくことでしょう。
 子どもがすこやかに成長していくためには、家庭の雰囲気が与える影響は大きい。「安心感」は欠かせません。
 勉強に落ち着いて取り組むためにも、「安心感」が必要です。
 とくに試験や、受験の時など、力が十分に発揮できるよう、周囲が温かなかかわりをしていくことが大事になります。
11  高等部員の“希望の星”に、と決意
 池田 ところで、三井さんのお茶の水女子大のほうは、どうなったのかな。
 三井 それが、小学生の時に受験を決意して駒場高校に進んだものの、高校では、勉強より読書に夢中になってしまい、大学受験の勉強をしていなかったんです。
 ですから受験勉強を始めようとした高校三年の時は、まったく合格不可能な成績でした。
 教師に相談しても、「だめだめ、一発勝負屋は受からない」と言われて。(笑い)
 でも私は思ったんです。
 「常に勉強ができて成績優秀な人が、いい大学に入ったら、それは当たり前だ。
 成績がそれほどでもないのに、必死に勉強して合格したという体験をすれば、それを見て、後に続く高等部員が『自分にもできる』という自信を持ってくれるのではないか」と。
 それで、少し大げさですが(笑い)、「自分を高等部員の希望の星にしてください!」と、真剣に祈りながら勉強を開始しました。
 池田 なるほど。とらえ方だね。「心強き人」には、すべてが前進の糧となるものです。
 三井 決意してからは、本当に死にものぐるいで、それこそ体をイスに縛りつけて勉強しました。(笑い)
 そうして、とうとう受験の日を迎えるのですが、試験会場に行くと、周りの人が、みんな頭のよさそうな人に見えるんです。「自分はきっと落ちるんじゃないかな」と弱気になってしまいました。
 そして数学の試験。問題を見た瞬間、真っ青になりました。まったく、分からないんです。
 「もうだめだ」と思い、鉛筆を投げ出し、突っ伏して寝てしまいました。
 蓬田 周りの人も、びっくりしたかもしれませんね。(笑い)
 三井 でもしばらくすると、これまで応援してくれた母の姿を思い出し、「私はいったい、何のためにここまで頑張ってきたんだ! 最後まであきらめないで、やってみよう!」と思い直しました。
 あらためて、冷静になって問題を見直すと、こんどは全部、分かるんです。(笑い)
 残された時間で、すべて解答し、合格を勝ち取ることができました。
 池田 おそらく試験会場の独特の雰囲気にのまれて、心が縮み上がってしまったんだろう。心一つで、大きな違いが出るものだね。
 “見れども見えず”という状態では、いくら力があっても、一〇〇パーセント発揮することはできない。
 ある人が受験の思い出を語っていた。
 「家を出る時、母は、『何も心配しないで、しっかり力を出し切ってらっしゃい。試験の時間、お母さんがずっと題目を送っているからね』と言って送り出してくれた。母が祈ってくれているということが、どれほど心強かったか分からない」と。
 一生懸命、何かに打ち込んだ後は、「自分はこれだけやった」という「自信」が残りますね。
 三井 はい。受験のおかげで「真剣に努力すれば、乗り越えられない困難はない!」という信念を培うことができました。この時の経験が、その後の生きる力ともなったと思います。
12  学び続ける人は深い人生を生きる
 池田 受験に限らず、地道に努力を重ねた人には、かなわない。“一夜漬け”で学んだものは、所詮、付け焼き刃です。一日少しずつでも、学び続けたものは、血肉となり、自分の力となっていくものです。
 蓬田 人生も同じですね。
 池田 戸田先生は、最後の最後まで「勉強せよ。勉強しない者は私の弟子ではない」と厳しく言われていました。
 先生の教えどおり、今も私は、学び続けています。
 戸田先生の事業が一番、苦境にあった頃、それを支える私は、大学に行きたくても行けなかった。
 しかし先生は、「心配するな。ぼくが大学の勉強を、みんな教えるからな。勉強は、ぼくにまかしておけ」と言われ、毎日曜日、ご自身の休養もさしおいて、ありとあらゆる学問を個人教授してくださった。日曜だけでは足りず、会社の始業時間前の早朝もです。
 生命を削ってでも、ご自身の持てるすべてを、私に伝えきっておこうという気迫であられた。
 ありがたい師匠でした。私は「戸田大学」の卒業生です。それが一番の誇りです。
 子どもだけでなく、お母さんも学びましょう。「女性の世紀」を開きゆく皆さんは、賢明な女性となっていただきたい。
 「学は光」「無学は闇」――学び続ける人は美しい。学ぶ姿は、すがすがしい。一歩、深い人生を生きることができる。
 母も、子も、ともに学びながら、限りない向上の人生を歩んでいこうではありませんか。

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