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日蓮大聖人・池田大作

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第6章 親と子が向き合う時  

「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)

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7  三人の子どもが次々と「不登校」に
 三井 創価学会の多くの先輩方のすばらしい体験を聞くたびに、そう実感します。
 現在、子育てに関する悩みで、最も多いのがお子さんの「不登校」に関するものです。そのなかで、山梨のある婦人部の方の体験で、大きな感動を広げている話があります。
 その方は、三人のお子さんがいるのですが、中学に入った長男が「いじめ」を受けて「不登校」になってから、その後、長女と次女も、小学生の時、別の理由でそれぞれ「不登校」になってしまったというのです。
 蓬田 一人でも悩んでしまうのに、三人の子ども全員が「不登校」になるなんて……。さぞや、思い悩まれたことでしょうね。
 三井 ええ。ですから、周囲の人たちからも白い眼で見られ、“どうして、うちだけ、こんな目にあうのか”と、親のほうが自暴自棄になりかけた時もあったそうです。
 しかし、題目をあげて気を取り直し、やっとの思いで夫婦で、創価学会の教育部の皆さんがボランティアで取り組まれている教育相談室を訪れました。
 そこで、「世間ばかり気にして、どうするのですか。世間は決して、お子さんたちを幸せにはしてくれませんよ。三人のお子さんを幸せにできるのは、お父さん、お母さん、あなたたちだけなのです。何よりも一番苦しんでいるのは、子どもたちではありませんか」と、激励されたのです。
 ハッとしたご夫婦は以来、「子どもたちの未来のために、一日一日を大事にしよう。一歩でも前に進もう」と決意され、時間を見つけては、お子さんたちとスキンシップを図るように心がけたそうです。
 また学会の先輩からも、「三人のお子さんたちは、この体験をとおして、人のために、お役に立つ使命を持っているんですよ。今は、回り道をしているように思るかもしれませんが、最後には必ず幸せになれますから」と励まされ、勇気がわいたといいます。
 池田 釈尊の言葉に、「悩める人びとのあいだにあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう。悩める人びとのあいだにあって、悩み無く暮らそう」という言葉がある。
 この“悩み無く”は、悩みから逃れるのではありません。「煩悩即菩提」――つまり、悩みや苦しみも人生を充実させる糧に変えていこうという、決定した一念が込められています。
 仏の別名を「能忍(よく忍ぶ)」ともいうが、どんなことがあっても負けない、くじけない人が、幸福なのです。順風満帆で整った人生などからは、得るべきものは何もない。そんな人生は、からっぽです。
 “あの人は大変だ”と人から言われて落ち込むのではなく、“だからこそ、私は頑張れる”と誇りに変えていけばよいのです。
 一歩ずつでも前進を続けていけば、やがて、永遠に崩れない“生命の勲章”が輝いていきます。
 三井 本当に、そう思います。
 先ほどの婦人部の方の体験談のタイトルは、「長い暗闇のトンネルを抜けて」ですが、一つの光明が見え始めたのは、唱題に取り組むなかで“子どもたちを長い目で見守っていこう”と決意された時からでした。
 もちろん、家事や活動にも全力で取り組み、大忙しでした。
 そんなある日、息子さんが照れくさそうに、「お母さん、忙しかったら茶碗洗いでも手伝おうか」と、声をかけたそうで……。
 もともと、その息子さんは、お母さんの家事を手伝ったりする、明るいお子さんでした。しかし、不登校になって以来、家に閉じこもり、やり場のないストレスに苦しんでいました。それだけに、この一言を聞いたとき、わが子が、一歩前に踏みだせたとの喜びで、胸がいっぱいになったそうです。
 以来、親子の心が徐々に通い合うようになり、息子さんは、担任の先生の勧めを受け、高校に進学し、無事、卒業されました。
 また、上の娘さんは女子部の方の励ましを受けて高校に進み、現在は創価大学で学んでおり、もう一人の娘さんも、今では元気に高校生活を送っているそうです。
 その方は、しみじみと語っておられました。
 「人生八○年、そのうちの、たった数年のことではないかと思い直し、心の底から子どもたちを信頼して、見守ってあげられるようになった時から、子どもたちが変わってきたように思います」
 「皆さんの励ましのおかげで、乗り越えることができました。これからは、自分の体験をとおして、人びとを励ましていける一人になっていきたいと思います」と。
 池田 尊いことです。勇気を出して苦難を乗り越えていけば、自分や家族の幸福だけではなく、他の人びとも守り、幸福にしていく力が備わっていくのです。だからこそ、この仏法は「無上道」であると説くのです。
 大変な時こそ、「獅子王」の心を燃やして立ち向かっていくのが学会精神です。
8  自分で決めるのが本当の「使命」
 蓬田 昭和五十七年(一九八二年)一月、池田先生が寒い雪の中、秋田に来てくださいました。
 あの時、秋田文化会館前で、先生と「人間革命の歌」をいっしょに歌ったことは、“雪の街頭座談会”とともに、秋田のメンバーにとって最高の“金の思い出”となっています。
 「吹雪に胸張り いざや往け」との一節に、先生のお心が伝わってきて、涙ながらに歌ったことを覚えています。
 池田 秋田の皆さま方と、一人でも多くお会いし、直接、励ましてさしあげたかった――その一心でした。
 まだ嵐の渦中にあった、その年の十一月十八日、「創価学会創立記念日」の日記に、私は自らの心情を一首にしたため、戸田先生に捧げました。
  仏勅の
    学会守らむ
      此の世をば
    紅涙したたる
      日々があるとも
         戸田先生弟子 大作
 この師弟の誓いのままに、逆風の中で私は再びの戦闘を開始し、時を創り、人を育て、すべてを上げ潮に変えていきました。
 戸田先生の生誕一〇〇周年でもある、二〇〇〇年の学会創立七〇周年を、絢爛たる勝利の凱歌で飾ろうと、私は決意しています。
 ともあれ、使命は果たしてこそ「使命」であり、そこに人生を賭けた勝負がある。
 「使命」とは、決して人から与えられるものでもなければ、あらかじめだれかによって決められるものでもない。自分で決め、自分で定めていくものです。単なる「義務」でもなく、だれかから頼まれるような「仕事」とは、別次元のものです。
 自分も子どもも、家族も、そして社会全体をも幸福にしていく――母親であるということ自体、どれだけ崇高な「使命」を担っているか、計り知れません。
 その最高の誇りをもって歩んでいく人にこそ、人生の栄冠は輝いていくのです。

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