Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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(三)
小説 青春編「アレクサンドロの決断」他(池田大作全集第50巻)
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7
歓迎親善会は、学校の講堂で行われた。
力をつくして、熱闘を展開した両軍の選手はもちろん、全校の生徒や教師もこの場に集っている。
パブリック・スクールのサッカーチームの監督が演壇に立った。豊かな銀髪が波打っている。がっしりした体格だ。通訳は英語の先生がやるらしい。
背筋をしゃんと伸ばすと、監督は白い眉を寄せ、悲しげな表情になって肩をすくめた。
「私は……困っているのです。十年後のワールドカップの大会に、このような日本の少年たちが出てくることになると、わがイングランドは大いに苦しめられることになるでしょう……」
会場に爆笑がわいた。銀髪の監督も、ニコニコ笑っている。
試合は三対二でM中が勝った。最後のぎりぎりの瞬間に、剣司の放ったヘディング・シュートでかちとった奇跡的な勝利であった。
「子どものころ――私の父が、よくこんな話をしてくれました。それは、清水善造というひとりの日本人の物語です。いまから、もう七十年近く前の出来事ですから、日本にも記憶されている方はあまりいないかもしれません……」
――一九二〇年のことである。ウィンブルドンのテニス大会に、初めてひとりの日本人が出場した。清水善造というその小柄なプレーヤーは、大方の予想を裏切ってグングン勝ち進み、オールカマーズの決勝にまで進出した。
ロンドンの市民は驚いた。極東からきた小さな日本人が、並みいる強豪を次から次へと打ち破っていく。しかもマナーがさわやかだ。
清水の活躍を、ロンドンの新聞は競って、書きたてた。評判はみるみるうちに高まり、人々は親しみをこめて、彼を「シミー」と呼んだ。
決勝戦の相手は、不世出の天才プレーヤーといわれるチルデンであった。
白熱した試合であった。
第三セットのとき、チルデンがつまずいてコートに倒れた。
清水にとっては絶好のチャンスである。ところが彼は、ゆるい球をチルデンの目の前に返した。
観客は、その清水のプレーに絶賛の拍手を送った。これこそ、スポーツマンシップの鑑であると――。
「シミーという名で親しまれたひとりの日本人プレーヤーに、父は強い印象を受けたのです。父だけではありません。当時のイギリス人は、シミーという人間を通して、日本が好きになったのでした――」
監督が言葉をきって、会場を見まわした。
「スポーツマンシップは、世界の心です。国境を超えて、人と人とを結びつけます。きょうのサッカーの試合で、さわやかな熱戦を展開した日本の少年たちを、私は生涯忘れません。この戦いによって、新しい出会いが生まれ、新しい友情が芽生えました。みなさん、ありがとう――」
剣司は、はっきりと理解した。フェアな心こそが、人間と人間の絆をはぐくむ最大の力なんだ。竜太のように素直で正直な心こそが、ほんとうの強さなんだ。
素直に、正直に、相手にぶつかっていかなくちゃいけない。飾ったり、ごまかしたりするのは弱さだ。
会場では、サンドイッチとジュースの交歓会が始まった。
海野も立石も、中村も、激しい戦いを繰り広げたパブリック・スクールの選手たちとなごやかに談笑している。
あちらでは、花岡咲子や夏井リエが、金髪のハンサムな少年に身ぶり手ぶりで語りかけている。
剣司は、竜太を求めて周囲を見まわした。広い講堂の中は、はずむような笑いと語らいの響きがこだましている。
竜太がそっと講堂の扉を開けて出ていくのを、そのとき剣司は見つけた。ひとりで、どこへいくのだろう。
剣司は急いであとを追った。みんなのわきをすり抜けて、講堂から一歩足を踏み出すと、本校舎へと続く長い廊下の向こうに、片足を引きずりながら歩く竜太の姿が見えた。
ひんやりした空気が体を包む。ふたりのほかには、だれもいない。講堂の中のざわめきが、かすかな潮騒のように聞こえる。
剣司が小走りになった。竜太の後ろ姿が、まだ、あぶなっかしい歩きぶりだ。その姿を見つめるうち、熱いかたまりが胸のなかで大きくなってくるのを剣司は感じた。
「竜太!」
その声に、竜太が立ち止まって振り向いた。しかしそのとたん、バランスを失って倒れそうになった。剣司が飛びついた。そして、支えるように竜太を固く抱きとめた。
言葉にならなかった。あふれ返る心の激流に、剣司はただ、肩をふるわせるばかりであった。初めはびっくりした竜太も、やがてすがすがしい真情が剣司のなかから流れ出ていることに気づいた。
新しい剣司が、いま生まれ出ようとしている――。そう思うと、心と心がひとつに溶けあうのを、竜太は深く実感したのだった。
胸のなかのかたまりが、熱いしずくとなって剣司のほおをぬらしている。悲しさでもない。うれしさでもない。それは、剣司が初めて味わう、晴れ晴れとした不思議な安らぎに満ちた涙であった……。
8
剣司からすべてを打ち明けられた島野先生は、口元をギュッと引き締めながら、しばらく天井をふりあおいでから話し始めた。
「そうか……。うん、わかっていたんだ。先生は全部、知っていた……。よし、このことは、だれにもしゃべる必要はない。あとは、ぼくにまかせておけ――」
放課後の教室であった。ふたりのほかには、だれもいない。午後のおだやかな日差しが、先生と剣司にやさしく降り注いでいた。開け放たれた窓からは、クラブ活動に励む生徒たちのはずむような喚声が、風に乗って流れてくる……。
剣司はすべてを話してくれた。だから、剣司の“あの動作”についても、問いただすことはもうやめよう。ひとり自分の胸にしまって、新しく生まれかわった剣司のために、そしてM中サッカー部のみんなのために、監督としてこれまで以上の力を注いでいこう。島野先生はそう心に決めると、にこやかな笑顔を見せて立ち上がった。
島野先生の心に引っかかっていた“あの動作”とは、例のタックル事故の起きる直前に目撃した剣司の動きのことである。
シュートしようとする竜太めがけて、剣司が猛然とタックルをしかけにいく。そのとき剣司は、ボールをねらいにいったのか、それとも竜太の足をけろうとしたのか――。
あのとき剣司はどういうわけか、竜太へ向かって走っていくとき、ちょうど「く」の字を描くような進路をとったのだった。
なぜ、まっすぐに突っこまないで、わざわざ曲がっていったのか。
それは、主審の目をごまかすためであったにちがいない――と島野先生はすぐににらんだ。つまり、わざと足をねらったことが主審から見えないように、「竜太──自分──主審」の線が一直線になる角度で、剣司はタックルをかけたのだ。
島野先生にとって、あの瞬間の剣司の意図は明白であった。と同時に、不正行為とはいえ、とっさの場合にあれだけの計算をした剣司に、島野先生が内心ひそかに舌を巻いたのも事実であった。
剣司の素直な告白を耳にしたいま、しかし彼の過去を問うことは、島野先生にはもはや無意味に思われた。ここにいるきょうの剣司を、そして未来へ伸びるあしたの剣司を、どこまでも見つめていくことが大切だ。
剣司は立派に立ち上がった。彼のたくましい若芽は、いまこそ青空へ向かってぐんぐん伸びていくにちがいない。
「さあ、剣司! 練習だ。サッカー部のみんなが待ってるぞ。行ってこい!」
島野先生のその言葉に、剣司は輝くひとみをあげて、大きくうなずいた。
9
竜太のケガの全快は、地区予選の始まりに間にあわなかった。しかし、そのかわり、剣司が申し分のない活躍を展開した。
竜太の登場は、第三戦からであった。それからのM中サッカー部は、すばらしい勢いで勝ち進んだ。なにしろ、竜太と剣司のコンビが絶妙であったからだ。
相手がいまなにを考えているかが、ふたりにはわかった。そして、自分がいまなにをしなければならないかが、即座に判断できた。しかも、たぐいまれな敏捷性を備えた竜太である。燃えるようなファイトを満々とたたえた剣司である。
地区大会での優勝は、だから当然のことであったといってもいい。
そして彼らは、都大会へと駒を進めた。そこでも、竜太と剣司の連係プレーは、抜群の威力を発揮した。さらに、そのあとには、あこがれの全国大会が……。竜太と剣司とM中の選手たちの戦いぶりは、そこでも大きな旋風を巻き起こしたという話である。
フィールドには、さまざまな風が吹く。
勝利の風もあろう。敗北の風もあろう。喜びの風も吹こう。忍耐の風も吹こう。だが、フェアな心さえ失わなければ、そこには成長と友情の薫り高き風がそよぐにちがいない。
君のなかにも、剣司がいる――。
君のなかにも、竜太がいる――。
あしたのフィールドには、そうした剣司や竜太たちの、すがすがしいファイトに満ちたプレーが、さわやかな日差しのもとに躍動していることだろう……。
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