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日蓮大聖人・池田大作

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第2章 母は、何ものにも負けない!  

「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)

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5  親が子どもの“善縁”となり可能性を伸ばす
 岡野 私が音楽が好きになったのも、母のおかげでした。
 まだ私が幼児期の頃、歌が下手にならないようにと(笑い)、童謡のレコードといっしょにプレーヤーを買ってくれたことがあったのです。最初は、母がレコードをかけ、歌を教えてくれていたのですが、次第に歌うのがおもしろくなって……。
 母が留守にしている時でも、自分でレコードをかけ、口ずさむようになり、自然と歌が好きになっていきました。
 高校生になって富士鼓笛隊に入ったのも、その影響があったからだと思いますし、毎日のように歌を歌う幼稚園に勤めて、さして苦労しなかったのも(笑い)、母の心遣いがあったからと感謝しています。
 池田 以前(一九九九年三月)お会いした、ニューヨーク市立大学クイーンズ・カレッジのセソムズ学長も、「科学への目」を開いたのは母親であったと語っておられた。
 家で簡単な「科学実験」を見せたりして、子どもが「知識」を肌身で感じられるように、努力をしてくれたというのです。
 学長は、当時を振り返り、こう述懐しておられた。
 「母は、何が良いとか悪いとか決めつけたり、優劣をつけたりもせず、ともかく『知的なもの』に接するようにしてくれたのです。
 そのためなら、私たちが何をやろうと、母は怒りませんでした。
 “科学実験”のおかげで、家の中をめちゃくちゃにしたり、眠ったふりをして、ふとんの中に懐中電灯を持ちこんで、明け方の四時まで本を読んだりしていても、見て見ぬふりをしてくれました。
 何でもいいから、学んだほうがいい――そういう考えだったのです」と。
 政森 すばらしいお母さまですね。
 池田 「自分が学びたいと思えば、何でも学べる」「こうなりたいと思えば、必ずなれる。また、なるべきである」――これが、学長のお母さまの強い信念であったそうです。
 セソムズ学長は、母親の「大きな心」につつまれながら、科学の道に進まれた。
 子どもが最も安心し、だれよりも心を寄せる存在が母親です。だからこそ、自ら“善縁”となり、子どもの豊かな可能性を育んでいく大事な使命が、母親にはあるのです。
 わずかな時間であったとしても、ともに語り合ったり、何かをいっしょに体験したり、感動し合った時間というのは、子どもの心に深く残っていく。
 今は社会も豊かになり、親が何でもしてあげられる環境が整ってきていますが、何か形にとらわれたり、特別なことを追い求める必要はありません。
 親から子へ、子から親へと通い合う「心の時間」こそが大事なのです。
 政森 今は、家族での長期旅行や海外旅行が珍しくなくなってきていますが、少し気になる傾向も感じられます。
 先日も、新幹線に乗っていて、こんな場面に出合いました。
 前の座席に座っていた子ども連れの家族が、あまりに静かなので、疲れて休んでいるのかなと思ったのですが、実際はそうではないんですね。でも、まったく会話がない。
 私なら、家族で旅行して列車に乗ったりすると、窓の外を眺めながら、「あっ、きれいな海だね」とか、「大きな山が見えるよ」とか、何かしら子どもと話します。
 そのうちに声が大きくなって、周りに迷惑をかけてしまったりすることもあったりしますが。(笑い)
 その家庭の“しつけ”という面もあるでしょうが、それにしても静かすぎました。
 よく見ると、ご主人も奥さんも、別々に雑誌や本を読んでいて、子どもは子どもでゲームをしている。それぞれ“自分の時間”を過ごしているんですね。
 大阪から東京までの時間、ずっとそんな状態で、「最近は、こういう家族もあるのかな」と感じたものでした。
6  食卓は子どもの心身を育む大切な場
 池田 “同じ場所”にいても、それぞれは“別の時間”を過ごしている――いわゆる「ホテル家族」と呼ばれる現象だね。
 同じ家に住みながら、別々に食事をとり、それぞれが好きなテレビを見て、別々の部屋で自由に過ごし、別々の時間に休む……。
 ともあれ、昔と比べて「家族の団欒」の時間が減ってきていることだけは確かなようだね。
 岡野 はい。なかでも、子どもが一人で食事をする“孤食”が問題となっています。
 この前もテレビの番組で、小学校高学年の四人に一人が、朝食を一人で食べているという実態が紹介されていました。
 自分が食事をする姿を、子どもたちが絵に描いていたのですが、広いテーブルに子どもがたった一人で食べていて、親はいなかったり、別のことをしているという家庭が、予想以上に多くて……。とても驚きました。
 “孤食”は家族のコミュニケーション不足を招くだけでなく、子どもの「偏食」がふえている原因となっていると言われます。
 子どもの好き嫌いをなくすには、親がいっしょに食事をして、おいしそうに食べる姿を見せることが大切です。また、いっしょに食事ができなくても、何を食べて、何を残しているか、お母さんがしっかり見届けて、しっかり声をかけてあげることが大切ですね。
 番組を見ていて、こんな偏った食事ばかり続けていたら、子どもの成長が本当に心配だなと感じました。
 池田 食事は生活の基本であり、食卓は大切な家族の団欒の場ですから、子どもの健全な心と体の成長のためにも、親のほうで最大限、気を配ってあげる必要があるね。
 人と人とのコミュニケーションでも、食事の場は大切です。戸田先生は「食事をしながら話し合うと、互いに胸襟を開くものだよ」と、よく教えられた。
 私も機会を見ては、いろいろな人と食事をしながら懇談をし、激励を重ねてきました。
7  同じ目的に進む飛行機のような家庭に
 政森 以前、総理府の調査で注目すべき結果が出たと、新聞で報じていました。
 子育てをつらいと感じている女性が、その理由として挙げた項目の中で最も多かったのは、「自分の自由な時間がなくなる」という回答だったのです。
 また親の側だけでなく、“自分の好きなように時間を過ごしたい”と考える子どもがふえており、食卓の孤独化も、そうした家族の心の反映であるような気がします。
 この点、かつて読んだ、池田先生の『家庭革命』という本の中の、“現代の社会における家庭は城ではありません。飛行機に近い。飛行機と心得、この操縦を楽しみ、はるかな視野の広い彼方の同じ方向を見つめて行く、これが今日の健康な家庭である”との趣旨の話が忘れられません。
 池田 家族の団欒が大事といっても、生活形態や生活リズムがこれだけ多様化しているのだから、すべてが昔と同じようにいかないのも現実でしょう。
 また、お母さん方の「自分の自由な時間がほしい」という気持ちも、ある面で分かります。
 いまだに育児は母親の負担が重く、とくに精神面で周囲がどう支えていくかは、大きな社会的課題と言えます。
 とはいっても、家族が互いのことを思いやる気持ちだけは失ってはいけません。
 めいめいが別々の方向を向いて生活している“ホテル”ではなく、たとえ離れた席に座っていても、同じ目的地に向かって進む“飛行機”のように、心合わせて「家庭」を築いていくことが大切ではないでしょうか。
 岡野 本当にそうですね。
 親と子が心の奥でつながっているという安心感は、とくに小さいお子さんにとって、欠くことのできない成長の礎です。
 池田 飛行機といえば、戸田先生が、ある時、こんな話をされたことがあった。
 「昔、私は仙台から飛行機で東京へ帰ってきたことがあるが、その途上、阿武隈川の川下のあたりで、烈風にあった。
 その頃の飛行機は、今どきのと違って、六人乗りの簡単な飛行機だから、上下に激しく振動して、なかなか前には進まない。仙台から東京までの間、飛行機が気流と闘争していたが、その闘争は見ていて実に立派な闘争であった」と。
 具体的な話をとおして、すべては闘争だという本質を教えてくださる師でした。
 子育ても家庭のことも、すべて現実との格闘です。もとより楽なはずはないし、思いどおりにならないことのほうが多いかもしれない。しかし、目的地に向かって心を定め、苦悩の乱気流を突き抜ければ、そこには澄み切った希望の青空が広がっている。
 仏法では、「苦」と「楽」は表裏一体であり、「労苦」のなかにこそ「遊楽」はあると説きます。大事なことは、負けないことです。あきらめないことです。
 飛行機も飛び続けてこそ、目的地にたどりつけるように、人生の醍醐味は、深い労苦を勝ち越えてこそ満喫できるのです。
8  母の力は世界を一つに結ぶ
 政森 母親には、家族全員を幸福の道に運ぶ“名操縦士”としての使命があるということですね。
 こうした家庭のあり方を見つめ直す社会的な運動を、創価学会婦人部としても取り組んできました。その一つに、一九九四年、国連の「国際家族年」にスタートした「わたしたち地球ファミリー展」があります。
 全国で巡回展示を行なっており、広島で開催した時には、九万人を超える観賞者が訪れるなど、大きな反響を呼びました(一九九五年一月)。
 池田 会場の入り口ではユニセフ(国連児童基金)駐日代表事務所所長のジェヒー・ワイルダーさんから寄せられた、「『ゆりかごを動かす手が世界を動かす』――私の大好きな言葉です。創価学会婦人部の方に教えていただきました」とのメッセージが掲げられていたそうですね。
 「ゆりかごを動かす手」――それは、生命を育む母の力であり、この力こそ国境や民族も超えて世界を一つに結びゆく原動力と、私も確信します。
 岡野 展示された世界六五カ国の家族の写真などを見ると、家族のぬくもりのすばらしさに心が温まりますね。
 広島展では、被爆者の戦後五〇年の生活も写真や物品、手記で紹介されたそうですね。
 政森 ええ。一九九五年は、広島への原爆投下から五〇年にあたる節目の年であり、未来へ向けて「平和」への決意を込めて企画を進めました。
 ですから、「広島コーナー」では、被爆の苦しみを乗り越え、一家を支えながら「平和の心」を発信する六人の友の五〇年の歩みを紹介したのです。
 来賓の一人、詩画家のはらみちをさんは、こんな声を寄せてくださいました。
 「私は、母をテーマに二五年ぐらい描き続けてきましたが、戦争をはじめとする暴力の歴史のなかで、母はいつも悲しい尻拭いの役割を強いられてきました。
 しかし、創価学会婦人部の皆さんは、子どもたちを守るために立ち上がり、戦おうとされている。その心に感動しました」と。
 池田 二十一世紀は、女性が時代をリードし、皆が平和で幸福な社会を築く時代です。
 二〇年以上も前のことですが、ヨーロッパ統合の推進者であったカレルギー伯と対談したことがあります。
 その中で、「女性の幸不幸の姿こそ、一つの社会、一つの国が安泰であり、健在であるかどうかの具体的なあらわれである」と述べた私に対し、カレルギー伯はこう語っておられた。
 「女性がより大きな役割を果たす機会が与えられれば、それだけ世界が平和になるということです。なぜなら、女性は本来、平和主義者だからです」
 「世界中で女性が、議会と政府の半分を占めるようになれば、世界平和は盤石になるだろう」――と。
 忘れることのできない、含蓄深い言葉でした。
9  平和の世紀を築くのは女性
 岡野 ガンジーやタゴールをはじめ、平和学者のガルトゥング博士や、アルゼンチンの人権の闘士・エスキベル博士など、世界一級の知性の人びとは、“平和の世紀を築くのは女性である”と訴えていますね。
 池田 そのとおりです。それが、まぎれもない時代の潮流なのです。
 かつてガンジーは、インドの独立闘争のなかで戦う女性たちの姿を讃え、「もし、『力』が精神の力を意味するのであれば、女性は計り知れないほど男性よりもすぐれている。もし非暴力が、私たち人間の法則であれば、未来は女性のものである」と述べました。
 このガンジーのもとで、独立運動に挺身していたメータ女史もこう語っています。
 「ガンジーは『勇気をもって、正義のために戦え。真実を語れ』と教えてくれました。また『女性が心の平和を確立することによって、社会の平和は築き上がる。その時、女性のもつ平和の力は爆発的な偉大な力となり、社会は変えられる』と教えてくれました」と。
 婦人部の皆さま方は、自らの行動をもって、その時代の最先端を切り開かれている。世のため人のため、懸命に活動しておられる。本当に尊いことだ。合掌する思いです。
 皆さん方が、世界の希望です。人類が皆さんの未来への行動を見つめています。
 一つひとつの行動は目立たないかもしれないが、着実に、社会を世界を、「幸福」の方向へと導いている。その行動は、そのまま、お子さんたちの「希望の未来」を開いていることにもなるのです。
 誇りをもって進みましょう。
 「平和の世紀」を築くために!
 「使命の人生」を勝ち取りながら!

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