Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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3 使命が育む「人生の喜び」
「人間と文化の虹の架け橋」趙文富(池田大作全集第112巻)
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都市部の受験戦争が過熱
趙
同感です。私が憂慮しているのも、まさにそのことです。
今日の教育は、真の人間を創造して、個人の幸福と人類社会の幸福を追求していく人格と力を養うことに目標を置くべきなのに、国家主義や経済第一主義を追求する利己的な政治家たちの手段や道具に埋没しかねない状況にあります。
また残念ながら、そうした風潮を社会が後押ししている面があります。
韓国における”受験戦争”は激しくなる一方で、最近、低年齢化してきています。とくにソウルなどの都市部では、親たちの「教育熱」が歪みつつあり、少しでも環境が充実した「いい塾」に通わせることが教育だと、錯覚してしまう傾向が強まっています。
その結果、ある地域では、一部のお金持ちによって「学校以外の教育」の比重が増え、経済的に余裕のない層がまるで「家庭教育的に遅れている」かのような扱いを受けるととさえあります。実際、父母の集いなどで疎外感を受けたりするのです。
その一方で、お金持ちの母親たちが集まると、「今、うちの子は何々を勉強している」と自慢し合うという光景が見受けられるのです。
池田
日本でも似たような状況が見られます。
もちろん塾や習い事は、子どもたちの限りない可能性を育む上で、大きな役割を果たす面があります。むしろ問題なのは、それが真に”子どもたちの幸福”のためなのか、”親自身の見栄や願望”のためなのか、という点ではないでしょうか。
また、塾や習い事を重視するあまり、学校教育に対する関心や期待が弱まってしまえば、本末転倒になってしまう。
学校教育には、単に知識の伝授だけでなく、生きる力を育み、豊かな人間関係を広げる心の土台づくりを果たす役割がある。そのことに目を向けずして、学校教育を先細りさせてしまえば、大きな禍根を残しかねません。
趙
私も、そのことを心配しているのです。
済州道では幸いなととに、そうした誤った教育熱は、まだ広がっていません。
都市部との環境のちがいや、歴史的な伝統のちがいとともに、貧富の差が比較的小さいことが、背景としてあるのかもしれません。
済州道でも昔から教育熱は高いですが、ソウルなどの都市部とちがって、塾に行かせたり、家庭教師を雇ったりする家庭は少ないようです。
済州市内の高校における大学・短期大学への進学率は八割を超えるなど、他の地域にくらべて進学率が高いにもかかわらず、不思議なととに塾は市内に数カ所しかありません。
済州市の人口は約二十九万人で都市としては中規模ですが、道庁所在地でもあり、学校や公共機関が集中しているにもかかわらずです。
5
人生観を育む親子のかかわり
池田
進学率が八割というのは、かなりの高さですね。済州道がそれだけの進学率を誇っている背景は、何ですか。
趙
そうですね。いろいろ理由が挙げられると思います。一つにはよい意味で、済州道の人々には、「団結心にとらわれず、個人主義的である」という傾向があるからかもしれません。
以前、韓国社会では学闘による先輩・後輩のつながりや団結が強い場合があることを紹介しましたが、済州道では例外的にそれがありません。
慶尚
キョンサン
道、
全羅
チョルラ
道など、他の地域で見られるような、後輩を一緒になって応援して盛り上げ、引っ張っていく先輩の姿は、済州道ではあまり見かけないのです。
ですから皆、小さいころから、「何でも自分でやらなくてはいけない」と考えており、親だけでなく子ども自身も、そうしたつながりに頼らず、自分の力を磨いていくしかないという人生観を、知らず知らずのうちに身に付けているのです。
父が子どもの自立と自発的な努力を願ぃ、自身の姿をもって、そのような生き方を見せる。そして子どもたちもまた、同じような人生観を学んで育ち、一人立ちしていく。そのような親子関係が、済州道では長い年月をかけて培われてきたと言えましょう。
池田
興味深いお話です。
以前、お会いしたアメリカ・モアハウス大学のキング国際チャペルのカーター所長は、キング博士を「人種差別撤廃の闘士」へと育んだのは両親であると言われていました。
「キング博士の非暴力の信念は母親から受け継いだものだ、と信じられています。また、頑固な牡牛のような勇気は、父から受け継いだと言われています」と。
親は、子どもの正しい「鑑」となっていかねばなりませんね。
ともあれ、日本の社会では、付和雷同的な生き方や”長いものには巻かれろ”式の生き方がいまだ根強い。こうした集団主義的な風潮は、一人一人の人間がもっ可能性や強さを発揮しにくい環境をつくりあげてしまう面があります。
もちろん「団結」は重要ですが、それが甘えや馴れ合いになってしまえば自身も周りも成長が止まってしまいかねない。
牧口初代会長は、社会の正義と人類の幸福のために、「羊千匹よりも獅子一匹たれ」と訴えました。
そうした心は、屹立した人格と人格との触れ合いのなかでこそ育まれるものです。
博士が指摘されたように、人間の善なる心や本当の強さというのは、子どもたちの身近にいる大人たちの真剣な生き方を通してこそ初めて伝えることができるそれは、いくらお金をかけたととろで決して得ることのできない性質のものです。
6
子を思う親の願いを表す風習
趙
本当にそう思います。
もちろん私も、親や社会の「教育熱」を否定するものではありません。大切なのは、それが何を目的とし、どの方向に向いているかです。
親からしてみれば、子どもが志望校に合格することは、やはりうれしいことにちがいありません。韓国では、受験生の合格を願って、子どもに餅を持たせることがよくありますが、それも親心の一つと言えましょう。
餅には、「離れずくっつく」、つまり「合格する」という意味が込められており、受験生へのお土産に渡すことが多いのです。
池田
なるほど、おもしろいですね。
それでは逆に、受験生に食べさせてはいけないものはありますか。
趙
それは、ワカメです。つるつると「よく滑る」からです。(笑い)
池田
日本でも、「滑る」とか「落ちる」といった言葉を受験生の前で口にするのはよくないとされているようです。
ところで、ワカメなどの海藻類は済川島の特産でもありますね。
趙
ええ。
特産の豚肉と並び、済州島民の長寿の秘訣となっているのが海産物です。沖縄と同じですね。
また、食べ物に関連して、韓国にはこんな風習もあります。それは、子どもの満一歳の誕生日を迎える時に行う風習です。韓国では日常、いわゆる「数え年」で年齢を言うので、子どもの二歳の誕生日となります。
その日は、家庭で盛大にお祝いするのですが、子どもが座るテーブルの上に、餅や果物や、鉛筆、ノート、ボール、お金など、いろんなものを置きます。そして親は、子どもが最初に何を手にするか、じっと待つのです。
「食べ物」を手にすれば、一生、食べるものには困らない。「文房具」を持てば学者、「お金」なら実業家といった具合に、子どもの将来をそれによって占う風習なのです。
池田
ほほ笑ましい光景が目に浮かびます。
日本でも、一部の地域では、満一歳の誕生日に子どもの背中に大きな餅を背負わせて、食べ物に困らないように願う風習があります。子を思う親の気持ちは、国がちがっても変わらないものですね。
しかし近年、日本では、子どもが成長するにつれ、家族の食事も別々となり、会話もあまり交わさなくなるといった家庭が増えています。
また、子どもたちを取り巻く社会環境が変化し、歪んだ競争社会となったことも起因しているのか、何事も長続きせず衝動的な行動が目立つ、いわゆる「キレやすい」子どもも増えてきました。
この点、韓国ではどうでしょうか。
趙
残念ながら、韓国でも、そうした傾向は顕著になってきています。
情緒面の成長が不十分で、感情がコントロールできず、忍耐力が身に付かない子どもが増えているのです。
ゲムやコンピューターに囲まれ、自然と親しむ機会が少なく、しかも受験勉強に追われて家族とすら話をすることが減っている。
「心のバランス」が崩れてしまうのも分かる気がします。犯罪も低年齢化しており、この前は、中学一年生が小学生を殺害する事件が起こりました。
池田先生はかつて「教育提言」で、こうした問題の解決のためには、人間と人間との絆や、人間と自然との結びつきを蘇らせることが重要だと訴えられていましたね。私もまったく同感です。
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人と人の触れ合いが教育の基盤
池田
現代社会には”自分さえよければ、他人はどうなっても構わない”という風潮が蔓延して、それが子どもたちの心にも暗い影を落としています。
その結果、子どもたちも、他人の痛みや苦しみにだんだん無関心となり、自分の世界に引きこもったり、ささいなことでキレて暴力や犯罪に走ったりしてしまう面もあるのではないでしょうか。
済州島にも訪れた、ゴルバチョフ元ソ連大統領夫人のライサさんは、「人生は、忍耐が大事です」とよく話しておられました。
そのライサさんが心から尊敬していたのが、お母様でした。ライサさんは、鉄道員のお父様をもち、少女時代、広大在ロシア各地を転々とする生活でした。
とくに戦時中、お父様が徴兵され、経済的にも大変に苦労した。しかし、お母様は、「やりぬくの、やりぬくの」と家族を励まし、朝から晩まで働き続け、人々に尽くしながら、ライサさんはじめ三人のお子さんを立派に育てていった。
お母様は、満足な教育を受けていません。しかし、ライサさんは、この母こそ、「本当の才能の持ち主」であると、深い感謝を捧げておられたのです。(ライーサ・ゴルバチョフ『ゴルバチョフとともに』山口瑞彦訳、読売新聞社、参照)
親子の勝利の劇だと思います。
ともあれ、人間が人間らしくあること、また生きていることの本当の喜びや充足感は、本来、”結びつき”をとおしてしか得られないものです。それは、仏法の説く人間観、幸福観の核心でもあります。
趙
おっしゃるとおりですね。そうした社会の風潮が、子どもたちを取り巻く教育環境に歪みを生じさせている気がしてなりません。
学校教育の場では、教師がサラリーマン化し、自分の教えるべき時間だけ教えて給料をもらえば、余計なことはしたくないと考えるような人たちが目立つようになりました。
そこには、児童・生徒の恩師として教育を営む姿はありません。
一方、家庭教育においても、親や子どもたちの両方が忙しすぎて、ゆっくり話す機会もなくなり、教育どころではなくなっています。
そのような家庭が集まってつくりあげる地域の教育など、推して知るべしでしよう。
また、子どもたちはもっと、自然と触れ合うべきです。今の社会は、あまりにも機械的に発展しすぎています。そのため、悪い教育が、子どもと自然との関係を断ち切ってしまうのです。
そのような社会の風潮や環境が、少年犯罪を助長しているのではないかと私は思います。
池田
子どもの教育の基盤となり、安心して成長するための土台となる”触れ合い”が、さまざまな面で少なくなってきていることは、本当に心配なことです。
「創価教育」の道を開いた牧口先生と戸田先生が一番に心がけていたのは、授業中であろうが、それ以外の時間であろうが関係なく、一人一人の子どもと直に触れ合いながら、徹して励まし、希望を与えることでした。
その戸田先生も、小学校時代の担任の先生のことが忘れられないと、よく語っていました。
かつて戸田先生の故郷である北海道の厚田村にご一緒した時には、「小学校の授業が終わると、担任の先生が一緒に、海を見ながら歩いてくれたり、岩場に座って本を読んでくれたりしたものだ」と述懐されたこともあります。
また、「はるかな水平線の彼方を眺めながら、『あの向こうにはアジア大陸があるんだよ。そこにもたくさんの人々が住んでいるんだよ』と担任の先生に聞かされては、夢をふくらませた」と。
こうした少年時代の実体験が、戸田先生自身の教育実践にも大きな影響を与えたのではないかと感じたととを覚えています。
8
学生との出会いは一瞬一瞬が勝負
趙
戸田会長は、すばらしい教師に恵まれておられたのですね。
私も微力ではありますが、学生たちの未来と幸福を願って大学教育に取り組んできました。
なかでも、思い出深いのは、韓国で民主化を求める学生運動が高まった一九八七年ごろのことです。
当時、私はよく、周囲の反対を押し切って、立てこもっている学生たちのもとへ対話に行ったものでした。また学生たちと一緒に、人気のない海辺へ行き、涙を流して夜通し語り明かしたこともありました。
学生たちから逃げようとする教授も多くいました。しかし私は、秘書にも「どんな時でも、どんな人でも、学生は部屋に通すように」と厳命し、学生に必ず会うようにしていたのです。
ある時、私のもとを訪ねた学生に、「君は『学問よりも革命だ』と言うが、学生時代に何が革命だ。もっと実力をつけて、社会に出てから必要な革命をすべきじゃないのか。そのために、今は、もっと勉強すべきだ」と話したこともあります。
その彼が、後日、司法試験に合格したことを報告に来た時は、本当にうれしく思いました。
その後、彼は判事になり、現在は済州島で弁護士として活躍しています。
池田
すばらしいお話です。胸を打たれました。
「学生第一」の行動といっても、当たり前のようであって、なかなかできることではありません。
趙博士のような信念と慈愛こそ、今の教育界に強く求められるものです。
先日(二〇〇四年一月八日)、創価大学でも、新しい年の授業がスタートしました。この日、私は、構内の本部棟を訪れ、教室の四人掛けの椅子に座り、学生と肩を並べて、しばし、「憲法」の授業に参加しました。
機会のあるかぎり、少しでも直接、学生と触れ合い、見守っていきたいと願っています。学生との出会いは、一瞬一瞬が勝負です。たとえ一瞬でも、こちらが真剣であれば、必ず伝わりますし、何か希望の励ましを刻むことができるものです。
参観を終えて、私は、次の和歌など五首を、創大生、短大生に詠み贈りました。
学びゆけ
勝利の人生
飾るため
学生博士の
求道 忘れず
寒風に
凛々しき君らの
瞳かな
父母 見つめむ
学友 続かむ
趙
学生たちは、さぞかし喜んだのではないでしょうか。創大生は本当に幸せです。池田先生の温もりに包まれているのですから。
池田
ありがとうございます。
過日(二〇〇三年十一月二十二日)、お会いしたそンゴルの若きリーダーのエンフバヤル首相も、教育の重要性に触れながら、こう述懐されていました。
「私は、小さいころに教わった恩師の教えを心に留めています。残念ながら、すでに亡くなってしまいましたが、その恩師は、私にこう教えてくれました。『人間は道をつくらなくてはいけない。それが何であれ、何かの分野で道をつくるのだ』と。この恩師の教えを、いつも思い起こしながら、私は生きています」と。
思うに、教育の真価とは、時を超えて、心に生き続け、支えとなる”心棒”を育んでいくことにあるといえましょう。
そして、人間がなすことのできる最も意義深い人類の平和への「道づくり」は、何と言っても教育です。この教育の力で、二十一世紀の世界を、平和と幸福の光で輝かせていきたいものです。
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