Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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1 「学生第一」に教育の勝利が
「人間と文化の虹の架け橋」趙文富(池田大作全集第112巻)
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3
技術革新に人間が麻痺していないか
池田
そのとおりですね。インターネットを取り巻く環境は、変化がめまぐるしい。数年前までは考えもしなかった、映像によるコミュニケーションやメールによる情報・文書伝達が、今では個人レベルでも当たり前に行われています。
ただ、その便利さや技術革新のスピードにばかり目を奪われて、それを実りある「人間教育」にどう生かしていくかという大事在視点が見落とされがちになっています。
趙
技術開発は確かに生活を便利にしますが、人間の考え方にまで及ぼす影響を、忘れてはならないと思います。
私が済州大学の総長だった時に、教育部(省)のある高官が、大学に来たことがありました。空港まで車で迎えに行き、大学に向かう道すがら、さまざま語り合うなかで、私は「今のような教育改革は見直すべきではないでしょうか」と述べました。
すると彼は「今、小学校に行ってみなさい。三年生から英語を勉強しているし、コンピューターも勉強していますよ。すごいですよ。教育改革はうまくいっていますよ」と得意げに言うのです。
コンピューターは、人間の手段にすぎず、天使にも有用なものである一方で、悪魔にも用いられるものであるにもかかわらずです。
この人は何も分かっていないーー私は、あっけにとられて、言葉が出ませんでした。そして、これは大きな問題だ、と思ったものです。
池田
かつて語り合ったトインビー博士は、「学問・教育の本質は、実利的な動機に基づくものではなく、宇宙の背後に存在する”精神的実在”との霊的な交わりを求めることにある」(『十二世紀への対話』本全集3巻収録)と指摘されていました。
つまり、細分化・専門化して、人間を全体としてとらえることが失われつつある学問を、つねに”大いなるもの””永遠なるもの”への眼差しをもちながら、「人間の幸福」という根っこに立ち返らせることにこそ、教育の本質がある。その根幹には、深き「人間観」「生命観」が欠かせません。
人間の生命がいかに尊厳なものか、広大なる宇宙の中における地球がいかに尊貴なものかを実感する心を育むような「根本」がなければ、教育現場での学問が、人間から離れて「一人歩き」をしてしまいます。そして、かえって人間性を陵めてしまうでしよう。
趙博士の今のお話は、冒頭で申し上げた二番目のテーマ、「教育者のあり方」にもつながっていきます。また、そこから「大学の役割」を考える上での視点も浮かび上がってくるでしょう。
4
学生が教員を評価することの是非
趙
教育をめぐるテーマは尽きませんね。
ただ、どれも立ち返るべきは、やはり「学生第一」であり、「学生のために」との一点だと思います。
その意味で、今、済州大学では、学生による教員「評価システム」を取り入れています。
池田
それは、重大な取り組みだと思います。内容をご紹介していただけますか。
趙
はい。済州大学の教員評価には、「実質的評価」と「形式的評価」の二つがあり、それぞれにいくつかの質問の項目が用意されています。
「実質的評価」とは、主に講義そのものの内容に対して評価するものです。
それに対して「形式的評価」は、講義の時間を守っているかとか、授業の始めと終わりはどうか、休講は多くないかなどの項目から成っています。
もともと私は、アメリカのエール大学で、同様の学生による「評価システム」を見てきました。
エール大学では、准教授以下の教員が対象でした。十項目ほどの質問項目を書いた紙を、学期末の授業で学生に配り、教員が教室を出た後で学生たちが記入するという形式でした。
私自身もそのシステムで評価されたことがあります。(笑い)
私は、昼間の学生に対しても、夜間の学生に対しても、同じように長時間の講義を行う傾向があります。学ぶ気持ちが旺盛な夜間の学生たちはとても助かると喜んでくれましたが、昼間の学生たちからは嫌だという声も聞きました。
池田
その意味では、学生たちにとって楽な場合はよい評価で、そうでなければ悪い評価に在りかねない面もあるということですね。
趙
そうなのです。
東京大学にいた時にも、半年ほどバークレー大学から来ていた日系アメリカ人の教授が、同じようなことを言っていました。
たとえば、大変優れた論文を書くのに、話し方が良くなくて評価が悪くなる教員がいる。あるいはその逆で、論文の実績はないけれど、話し方がうまくて評価が高くなる人がいる、と。
一緒に聞いていた東大の教授たちが、「日本にそんな制度が導入されたら大変だな」と話していました。(笑い)
本当は、学生がいろいろな文献や参考図書に目を通して勉強した上で、講義内容を評価するようなシステムでなければならないのです。
済州大学のシステムで言えば「実質的評価」のほうがより重要なのに、学生たちがそれをできなければ、評価自体の意味がなくなってしまいます。
5
創価大学の挑戦に社会的評価
池田
創価大学でも、「学生がより良く学ぶために大学は何ができるか」という建学の理念を具現化する一つの試みとして、二〇〇〇年五月に「教育・学習活動支援センター」を開設しました
学生が学習上の困難を自分の力で解決できるようにするための「学習活動支援」と、学部間のカベを超えて、授業見学会や教育サロンなどを開き、さらなる授業の改善を目指す「教育活動支援」を、主な事業の柱としています。
そのセンターが、文部科学省の二〇〇三年度の「特色ある大学教育支援プログラム」に選定されました。
趙
「学生第一の大学建設」の努力が評価されたのですね。おめでとうございます。
池田
ありがとうございます。
文部科学省のプログラムは、全国の国公私立大学、短期大学を対象に、「教育課程の工夫」「学習・課外活動への支援」など、五つのテーマで、大学教育の優れた実践例を評価するものです。二〇〇三年度から始まりました。(創価大学は、申請のあった六百六十四件のなかで、選定八十件の一つとなった)
選定の理由について、プログラムの実施委員会からは、”学生のニズを把握・分析している””改善に結び付けていく全学的組織の体系と地道な努力が高く評価できる”との講評をいただきました。
私どもも「学生のため」の大学を、さらに追求していきたいと願っています。
趙
創立者・池田先生の理念や哲学を、学生や教員が自分たちの血肉にしようと努力した結果、勝ち取られた栄誉ではないかと思います。
6
高校生を哲学に触れさせる
池田
恐縮です。そこで、ぜひうかがいたいのですが、学生にとっても、教員にとっても、真に意義のある評価制度を確立するためには、どのようにしたらよいとお考えですか。
趙
「学生のため」という言葉の中身を考えなければならないと思います。
教育を考える上で、教育者と学生のどちらが大事かと言えば、それは学生のほうが大事だと答えるでしょう。
しかし「学生第一の教育」とは、決して学生のわがままを許すものではありません。また教員のわがままを許すものでもありません。
私は学生が、みずからよく勉強しようという心構えができる、勉強しようという意欲をもつようにできる教育こそ、「学生第一の教育」だと考えます。
それを目指さなければ、いくら一生懸命教えても効果はありません。
池田
よく分かります。
私も青年時代、師である戸田先生から、毎朝、会社の事務所や先生のご自宅で、経済、法律、科学、数学、天文学、漢文など、学問の万般と人生の知恵を学びました。いわば、この”戸田大学”の膝詰めの教育で、師のすべてを受け継ぐ思いで、真剣に学びました。
ある時は少々遅れてお宅に到着し、先生がすでに待っておられたこともありました。居場所が見つけられないほど、いたたまれない思いにかられました。厳しい先生でした。
その時の訓練が、すべて今の私の土台となり、人生の宝となっています。
みずから峻厳な道を求め、自身を鍛え上げていく大切さを、私の体験からも実感します。
趙
そのとおりですね。共感します。
一方で教える側の役割を考えると、最近の事情はむずかしい。
「勉強への意欲をもてるようにする」ことが「学生のため」になるかというと、そう単純な話でもないようです。
最近、韓国では、就職に有利な学科を志望する傾向が強いので、「学生のため」を考えると、ともすると「就職のための教育」と置き換えがちになってしまいます。
具体的には、史学科や哲学科は、あまり就職に「強くない」と言われます。
そういう学科を選ぶ学生は減少傾向にあり、政府内には「学科を廃止するべきだ」という意見すらあります。
池田
むずかしい問題です。
就職に有利かどうかだけで、学科を選ぶという状況は、日本でもよく見受けられます。
趙
そこで私は、哲学科の教授に協力してもらって、高校生による、易しい哲学書の読書感想文コンクールを試みました。高校時代から、なぜ人間に哲学が必要か、何のために社会学や歴史学が必要かを認識させる目的でした。
必ずしも、よい就職のために、大学に入学するのではない。それを高校時代から、はっきりと教える。高校時代で教えられない部分については、大学で知識を広げるべきだと。
この試みは、「どうしたら生徒を一流大学に合格させることができるか」、そればかり考えている高校の教師たちにも、刺激になったのではないかと思います。
7
「人間をつくる人間」をどう育むか
池田
すばらしい取り組みです。
かつて、点数主義の教育を嫌った大科学者のアインシュタイン博士は、「大学の講座は数多いが、賢明かつ高貴な教師は少ない」(湯川秀樹監修『アインシュタイン選集』3、井上健・中村誠太郎訳、共立出版)と嘆きました。
就職問題は当然、大事です。その上で、仕事を通じて社会に尽くし、世界に貢献していこうとする「賢明かつ高貴」な人格を、どう育んでいくか。
ここに、大学教育の重要な課題もあります。
創価教育の創始者である牧口初代会長は、「”青は藍より出でて藍よりも青し”、これが創価教育の特色である」と、明確に教育のあり方を示しております。
教育者は、生徒や学生を自分よりも立派な人格にと、全魂で育てていく。これが教育に携わる心ではないでしょうか。
もちろん、牧口会長は「教師はすべてのことに生徒の手本となる必要はない」としています。そのうえで、「教師が模範となることが必要なのは、”教材”としてではなく、”努力すること”の模範である」と、的確に述べられています。
「教師は、まず何より人間として生きよ!」との叫びが聞こえてきます。
人間をつくるのは、人間です。
人間を鍛えることができるのも、人間です。
そうであるならば、「人間をつくりゆく人間」をどうつくるかが、すべての根本となるはずです。
そういえば韓国では、「師匠の恩恵」という歌が、小学校の唱歌になっているそうですね。
「師匠の恩は空のごとくに
仰ぎ見るほど高くなりかな
正しき道を教え賜いし
師匠は心の父ならん
ああ有り難し師匠の愛
ああ報ゆべし師匠の恩」
(作詞・姜小泉、作曲・権吉祥。『音楽』5、京仁教育大学教育人的資源部、大韓教科書)
趙
その歌はよく知っています。よく口ずさんだものです。
池田
なんと麗しい歌調でしょう。
博士には、青年時代、師匠と慕う方はいらっしゃいましたか。
趙
そうですね、私の場合は、自分自身が、「試験を受けるなら、必ず百点をとる」といった決意があまりにも強くて、だれかを頼ろうとすることがほとんどありませんでした。
まず、自分で努力して切り開こうという決意が強かったのです。
そのため、「師匠の恩恵」をあまり意識したことがありませんでした。残念なことですが、中学から大学まで、私を本当に助けてくれたという先生には、巡り合わなかったと思います。
私が大変厳しい逆境のなかで無理にでも勉強しょうとしていたために、感謝する場面が少なかったことも一因だったと思います。
池田
博士の刻苦勉励は、これまでの対談でも、感慨深くお聞きしました。
博士は若き日に、済州島から、たった一人でソウルに行かれて、人の何倍もの苦労の中、学び続けられた。
だからこそ、最優秀の学生を幾千幾万と育て、今なお仰がれゆく模範の大教育者となられたのだと思います。
8
人生の恩人から学んだこと
趙
ありがとうどざいます。ただ、教師ではありませんが、大変に恩義がある大先輩はいます。
金鳳実
キムボンホ
先生という人です。金先生は済州島出身の在日韓国人でした。日本の姫路高校(旧制)を卒業し、東大の法学部に学びました。
卒業と同時に日本政府の高等文官試験を受け、見事、優秀な成績で合格して内務省に入りましたが、韓国動乱(朝鮮戦争)の混乱のなかで、不本意にも「
越北者
ウォルブクチャ
」(三八度線〈南北軍事境界線〉以南から以北に行った人)の烙印を押され、官僚の仕事からも外されてしまいました。
そこで、動乱当時、韓国唯一の輸出会社であった、タングステンを輸出する大韓重石鉱業株式会社に入り、総務部長の立場になりました。
休戦協定から二年が経った一九五五年に、私は大学進学のためにソウルに移ったのですが、住まいも決まらず転々としていました。夏はまだ暮らせても、零下一五度から二度にもなる冬には、石炭も手に入りにくく、住まいも不安定な状況で暮らしていくことは、とうてい、不可能でした。
そこで、いったん済州島に戻り、まったく面識もない金先生に、率直に窮状を伝える手紙を書いたのです。
すると、先生から「冬休みが終わって、ソウルに戻ったら、すぐ私のところに来なさい」とお返事をいただきました。
ソウルに戻り、会社を訪ねると、すぐに運転手を呼び、私を自宅に招いてくださいました。そして家庭教師として雇ってくださり、しかも部屋まで貸してくださったのです。
夢のようでした。おかげでソウル大学を卒業することができました。
池田
金先生は、博士の人生の恩人なのですね。青年を育成するために、策や方法はありません。全力で心を尽くすことだと思います。
趙
本当にそういう方でした。
環境上の理由で勉強を続けるのがむずかしくなった時に、思わず金先生に「勉強をして、人間の質はどのように変わるのでしょうか」と質問したことがあります。
先生は、「へーゲルは量が質に変わると言った。勉強を一生懸命続ければ人間の質はよくなるよ。ただし、頭の質がよくなるほど勉強しなければ駄目だ」と言われました。そこでパッと、悩みが吹き飛びました。
金先生はその後、故郷の南済州郡から、選挙に出たのですが、その演説中に吐血して入院しました。
済州の病院に駆けつけ、三日間ほど付き添い、最期を見届けました。
趙
趙博士の「原点」をうかがった思いです。
今のお話をうかがって、牧口初代会長のエピソードを思い出しました。牧口先生は、『人生地理学』の発刊でお世話になった地理学の犬家・志賀
重昂
しげたか
氏の恩を決して忘れませんでした。
趙
それは、どのようなお話なのでしょうか
池田
『人生地理学』が発刊されたのは一九〇三年、牧口先生が三十二歳の時です。
書きためた二千枚の原稿を携えて、牧口先生が北海道から上京して二年後のことでした。
志賀氏は、当時の牧口先生について「衣食の窮乏に耐え、しかも
矻々
こつこつ
としてその志を成さんとする」と讃えています。そして『人生地理学』を最大に支持し、校閲の労をとった上で序文を寄せてくれたのです。
『人生地理学』は、発刊されるや、「我が地理学会に対して投じた一大警鐘」(小川琢治「地理学研究」第二巻八号)等、高い評価を受けました。これも、貧しい無名の一青年であった牧口先生を支えた、志賀氏の存在があればこそであった。
趙
胸に迫るお話ですね。
池田
一九二七年(昭和二年)、志賀氏は病で危篤状態に陥りました。牧口先生はすぐに病院に駆けつけ、自分の血を採って志賀氏に輸血するよう申し出たのです。日本では、輸血がまだよく知られていないころのことです。若き日の恩人を助けるためならば、できることは何でもしたい、この牧口先生の心境が切々と伝わってきます。
「信義」には「信義」で応える。
「真心」には「真心」で報いる。
牧口先生は、そういう生き方を貫きました。
趙
牧口会長の『人生地理学』に見られる先見性と、今のエピソードをあわせて考えると、当時の世界を代表するような大教育者であり、大人格者だったことが分かります。
池田
私が一九九九年に済州大学を訪問して、最も心を打たれたのは、趙博士のお人柄からくる学生への温かな眼差しでした。
学生が博士を慕い、また博士が学生を尊敬し、信頼する姿のなかに、済州大学が「校訓」としている「真理・正義・自我・進取」の気風がみなぎっていることを、直感しました。
創価大学や創価女子短期大学の学生たちは、済州大学の学生たちの礼儀正しさ、誠実さに、皆、大変、感銘を受けています。
貴大学の「名誉文学博士号」を私が拝受した式典で、博士が力説されていた次の言葉を思い起こします。
「大学というのは、人類共同体を実現するための精神を養う重要な場です。『哲学の英知』も『最先端技術の開発』も、結局は『人類の幸福と平和のための手段』にすぎません。しかし、大学には、このような人類の志向する幸福と平和をつねに追求しなければならない使命がある」と。
志を同じくする者として、深き感動を覚えました。
人類の幸福と平和のための教育、そのための大学の存在が今ほど求められている時はありません。
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