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日蓮大聖人・池田大作

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はじめに 池田大作

「希望の世紀へ 宝の架け橋」趙文富(池田大作全集第112巻)

前後
3  趙博士は、祖国に襲いかかる悲劇の嵐のなかを、毅然と勇敢に歩み抜いてこられた。
 家庭の経済状況が厳しく、中学進学を一時あきらめたものの、恩師の激励などを受け奮起された。小学校の給仕などの仕事に就きながら、苦学に徹して、ソウル大学法学部の合格を勝ち取られた。対談で語っていただいた、この博士の軌跡は、それ自体が、幾多の青年たちにとって何よりの励ましとなるに違いない。
 趙博士は、大学卒業後、栄誉栄達など眼中に置かず、「教育の道」を選ばれて、故郷に戻られた。そして、済州大学の隆々たる発展に大情熱を注いでこられたのである。
 その鍛え上げ、磨き抜かれた奉仕と慈愛の心は、あまりにも深く強い。そしてそれは、博士の掲げられる「人間らしい教育」に、生き生きと脈動している。
4  くしくも、私たちの対談の進行と並行するような形で済州大学と創価大学創価女子短期大学との学生・教職員の交流が行なわれてきたことは、うれしい限りであった。
 毎年夏には、創大生・短大生の代表が、語学研修のために済州大学を訪問している。そして冬になると、済州大学から学生・教職員の方々を創価大学へお迎えする。早いもので、今年で四度目に入った。
 趙博士は、日本から訪問した創価大学生たちを、慈父の如く歓迎してくださっている。今年は、ご多忙のなか、八月十五日のその日に、学生を昼食会に招いてくださった。博士はは噛みしめるように、こう語られたという。
 「きょう八月十五日は『光復節』といって、韓国では独立記念日です。
 また、きょうは軍国主義と戦われた牧口常三郎先生の『人間勝利の日」です。民衆が勝利した日です。人間が人間としてけじめをつけた日なのです」
 学生たちの心に深くしみ入るお話であった。
 創価教育の創始者である牧口常三郎は、日本の偏狭な国家主義と対決し獄死した。その牧口が志向していたのも、人間主義の教育であり、平和と人道と共生の世界市民の教育である。
 ともあれ、人間教育の世界に国境はない。
 趙博士は「教育に、もっと愛情を」と訴えてこられた。そして博士ご自身が誰よりも惜しみなく、民族の違いを超えて、学生に愛情を注いでおられる。私は感銘を禁じえない。
 今、時代は大きく動いている。青年は、哲学性、思想性、人間性の光る指標を求めてやまない。
 趙博士と私は、韓日の幾多の先人の労苦を偲びつつ、古代から現代にいたる両国の歴史の光と影についても、二十一世紀の若き指導者に伝え残しゆく思いで、率直に語り合ってきた。
 サッカーのワールド・カップの共同開催を経て、両国の間に、かつてないほどの友好意識が高まりをみせた。
 これを一過性のものに終わらせては絶対にならない。末永く、民衆交流、青年交流を積み重ねていくことが大切である。その基礎となる、正しい歴史認識の確立も急務であろう。
 思えば二十世紀を代表する歴史家のトインビー博士は私に、東アジアへの期待を語られるなかで、韓国と日本の友好の重要性についても強調されていた。
 それから三十年の歳月を経て、趙博士とのこの対談集が完成を見た。トインビー博士もきっと喜んでくださることと、私は確信する。
 本書は、私にとって、韓国の知性の方との最初の対談集となった。その対談者が、趙博士という最高の人格の教育者であったことに、感謝の思いは尽きない。
 私は、人生の恩師から、常々、教えられた。
 「偉大な人物は、何度も会うことはできない。その存在自体が哲学書であり、大思想書である。機会を逃さず、深く学んでゆけ」
 博士こそ、その得難い、お一人である。
 博士と私は、「権力は一時、民衆は永遠」とも論じ合った。教育の力で、永遠に崩れない韓日友好の「宝の橋」を築きたい。これが私たちの共有する願いである。
 韓国と日本の「国民交流年」にあたる本年は、済州大学の晴れやかな創五十周年でもある。その佳節に、不滅の名総長であられた趙博士と、この一書を上梓することができた。私も済州大学を敬愛する一人として、心より慶祝させていただきたい。
5  万代の韓日友好を希求する、この趙文富チョムブ博士との語らいが、新世紀を背負い立つ青年たちに受け継がれていくならば、このうえない喜びである。
 韓国の国花・無窮花ムグンファの如く、両国の対話と友情の花が、窮まること無く咲き薫りゆくことを、私は心から祈ってやまない。
   二〇〇二年九月二十一日
   十二年前、初めて韓国のソウルを訪問した思い出の日に   池田 大作

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