Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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3 中国への伝来
「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)
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『法華経』の漢訳本
池田
ところで、『法華経』は中国へ、いつ、どのように伝わりましたか。
蒋
『法華経』の最初の漢訳本は、三国時代の呉国に出現しました。
その名は『仏以三車喚経』です。訳者は月支から来た優婆塞、すなわち在家者です。
支謙
しけん
と呼ばれる人物です。
池田
月支とは、せまくはインド西北部の月氏族の国、広くはインド全体を意味しますね。支謙は、月氏から中国に帰化した訳経家ですね。
「仏は三車を以て喚ぶ」との経題のとおり、内容は、譬喩品の「三車火宅の譬」の部分だったのでしようか。
蒋
そのとおりです。『仏以三車喚経』の紙幅は、たった一巻ですから、『法華経』の抄訳本以外には考えられません。
さらに、『仏以三車喚経』という名前から、この抄訳本の内容は、先生がおっしゃるとおり、間違いなく譬喩品の「三車火宅の譬」の部分でしょう。
これまで、漢訳された『法華経』の完訳本、抄訳本は、少なくとも八本ありますが、そのうち完訳本三本、抄訳一本は、今なお現存しています。
池田
『開元釈教録』には、「六訳三存」と伝えられていますね。
現存する完本は『正法華経』『妙法蓮華経』『添品妙法蓮華経』の三本ですね。
このうち、西晋時代、二八六年に竺法護によって訳された『正法華経』は
于闐
うてん
国王宮所蔵の「六千五百偈」の貝葉梵本によったとされます。
後秦時代、四〇六年に鳩摩羅什によって訳された『妙法蓮華経』は、罽賓国王宮所蔵の「六千偈
白氎
びゃくじょう
」梵本によったとされます。
惰時代、六〇一年にに
闍那崛多
じゃなくった
・
達磨笈多
だつまぎゅうた
によって訳された『添品妙法蓮華経』は「六千二百偈」の貝葉本による翻訳とされます。
このうち、羅什訳の原本にこそ、最も古い形態が残されているとされます。
経の名前のみ記されていて現存しない三本は、『法華三昧経』六巻(魏、二五五年、正無畏訳)、『
薩芸
さつうん
芬陀利
ふんだり
経』六巻(西晋、二六五年、竺法護訳)、『方等法華経』五巻(東晋、三三五年、
支道根
しどうこん
訳)ですね。
蒋先生がおっしゃる八本は、六訳三存の経典とどうのように違うのでしょうか。
蒋
池田先生が、おっしゃる六訳三存は、いずれも『法華経』の全訳本ですが、私が先ほど申し上げた八種の漢訳『法華経』のなかには、その六訳三存の『法華経』全訳本以外にも、二種の『法華経』の抄訳本が含まれています。
南条文雄・泉芳璟共訳『梵漢対照新訳法華経』によれば、この著書にもあげられているとおり、次の二種の抄訳本をさします。
『仏以三車喚経』一巻(欠)
呉月支優婆塞支謙(二二三~二五三年)訳
『薩曇芬陀利経』一巻(存)
失訳人名今附西晋録(二六五年~三一六年)
要するに、私が先ほど申し上げた八種の経典と、先生が、おっしゃる六訳三存の経典との違いは、わずかに、この二種の抄訳本が含まれるかどうかの違いだけなのです。
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