Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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第5章 勇気と友情を育む
「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)
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毎日価値ある充実の日々に
橋口
先日は、「ヤング・ミセス」を代表して揮毫をいただき、本当にありがとうございました。
「三百六十五日
これ我が
建設と幸福の大道」
との揮毫をいただき、本当にありがとうございました。
この池田先生の励ましに応え、毎日、決意を新たにして頑張っていこうと、メンバーと語り合っています。
池田
二十一世紀を、希望に満ちた「平和の世紀」とすることができるか、否か。それは、「女性」で決まる。「母親」で決まる――そう私は確信しています。
特に「ヤング・ミセス」として活躍する皆さんは、本当に大事な方々であり、大きな大きな使命を持っておられると思う。
私は、皆さんに一人残らず、幸福になってもらいたい。お子さんを、世のため、人のために貢献する立派な人材に育ててもらいたい。
そのためにも、今の“一日”“一日”を、価値ある充実の日々としていってほしいのです。
「ヤング・ミセス」の皆さんは、結婚、出産、子育てと、次から次へ、新しい経験の連続でしょう。
環境の変化に、戸惑うことも多いにちがいない。毎日の生活の中で、ふと我に返った時に、「いったい自分は何をやっているのだろう?」と思うようなこともあるかもしれない。
今は、幸福の基盤を築いていく時です。まず自分の足元を固めることです。
橋口
私も、結婚して仕事をやめると、生活がまったく変わってしまい、うまくペースがつかめなかったこともありました。
池田
現実の生活の中で、がっちりと根を張っていってほしい。
根は見えない。建物の基礎も地中深く、人の目に触れることはない。それを築くのは、地味な作業かもしれません。
しかし、どんな立派な建物も、一朝一夕にできあがるものではない。
また、いくら華やかでも、簡単にできあがったものは、もろく、壊れやすいものです。
地道に、着実に――これは、平凡のように見えて、実は最も偉大なことなのです。その繰り返しによって、揺るがぬ堅固な基礎が築かれていくのです。
太陽は、うまず、たゆまず、自らの軌道を進み、万物を照らし、育んでいく。
皆さんは“一家の太陽”です。
太陽のごとく明るく、太陽のごとく力強く、太陽のごとく健康に、「今日も、何かに挑戦しよう!」「今日も、もう一歩進もう!」と、目標を持って、張りのある一日一日を積み重ねていってほしい。
その積み重ねによって、二〇年、三〇年と経った時、わが家庭を「幸福の殿堂」、「幸福の大樹」としていくことができるのです。
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「朝の勝利」は「一日の勝利」
吹浦
結婚した頃を思い出すと、「とにかく無我夢中だった」というのが実感です。
夫との育ってきた家庭や環境の違いに、戸惑うことも多かったのです。義母や、義妹と同居しましたので、なおさらでした。
そうしたなか、娘を年子で出産。子どもが小さいうちは、本当にあわただしくて……。
「朝だ」と思ったら、あっという間に「夜」になってしまうという感じでした。ぼーっとしていると、何もできないまま一日が終わってしまいます。
朝、何となく一日を出発すると、一日中、リズムが合わず、すべて裏目に出てしまうこともありました。
だから、「朝の出発」を大切にするようにしました。
毎朝、夫とともに勤行し、送り出した後、何があってもさらに三〇分、唱題することを日課にしました。「さあ、今日も頑張るぞ!」と、真剣な祈りから一日をスタートするよう心がけたのです。
池田
「朝の勝利」は「一日の勝利」だね。
「一日の勝利」の積み重ねは、やがて「人生の勝利」につながっていく。すがすがしい「一日の出発」こそ、充実の人生の秘訣です。
今日一日がどのような一日となるかは、自分自身の朝の勤行の姿を見ると分かる。
朝の勤行の姿は、その日一日の“生活の縮図”と言ってもよいでしょう。あわてて勤行・唱題した時は、その日一日も、なんとなくあわただしく過ぎ去ってしまい、実りのない日であったと経験されたこともあるでしょう。
反対に、朗々とすがすがしく勤行・唱題をしてスタートした一日は、さわやかな充実した一日であるはずです。
祈りというのは、さまざまな思い、願いの凝縮とも言える。毎朝の祈りで、自身と一家の成長を願い、そのための目標を揺るぎなく定める。そして胸中に太陽を昇らせて、生き生きと出発していきたいものです。
橋口
たしかに朝のスタートがうまくいかないと、ゆとりを失い、一日のリズムが狂ってしまいます。
先輩からは、子どもにとっては生活リズムが大事と言われます。心がけてはいるのですが、夜、活動に出ることもあるので、子どもを寝かせる時間など悩むこともあります。
吹浦
子どもには「安心して育つリズム」というのがあると思います。私も、夜は、九時前には子どもを寝かせ、十分に睡眠をとれるように心がけてきました。
わが家は一つ違いの二人姉妹でしたので、少し大きくなってからは、家事もできることは手伝ってもらい、協力して留守番をしてもらうことが、よくありました。
外出する時は、きちんと理由と行き先を言って出かけ、途中、電話をかけました。
また、昼に出かけても、出かけっぱなしでなく、たとえ遠くにいても、十分でもいっしょにいられると分かれば、電車に乗って帰りました。
帰った時に寝ていても、必ず娘たちを抱きしめ、「ただいま。お留守番してくれて、ありがとう」と語りかけたものです。
橋口
食事の時間も大切ですね。ある先輩は、三人のお子さんをお持ちですが、どんなに忙しくても、夕方六時には子どもとともに食卓につくと決めて、手作りの食事を用意してきたと言っていました。
池田
子どもが小さいうちは、特に「睡眠」と「食事」が大切と言われている。リズム正しく、きちんと取れないと、子どもの成長に影響しかねません。
生活が順調に回転するためには、おのずからリズムがある。それを身につけさせていくのが、しつけとも言えるでしょう。
それは、親と子の触れ合いのなかで身についていく。それも触れ合う時間の長短ではなくして、子どもの生活リズムは、家庭で、親子で工夫して、知恵を働かせてつくっていくものです。
子どもが、すこやかに成長するリズムを、どう確立するか。これは、親としての「戦い」の一つと考えてほしい。
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香港の方召麐女史の生き方
吹浦
私は、池田先生のご友人である、香港の方召麐女史の生き方に、いつも励まされています。
三十六歳で夫を亡くしながら、女手一つで、八人のお子さんを、香港の政務長官、国連の同時通訳、会社の社長、弁護士、医師など、全員、立派に育て上げ、自らも世界的な芸術家として大成された。
女史の人生に触れるたび、「少々の困難に負けてはならない!」と勇気が奮い起こされます。
池田
方先生は、世界のお母さんの模範です。その人生は「母としての勝利」の象徴です。
八十五歳を超えた今も、毎日、元気に筆をとられている。先日も、私の「マカオ大学ポルトガル・アジア研究センター名誉所長」就任に際して、見事な蓮華の絵を描いて贈ってくださいました。
方先生は、こう言っておられた。
「多忙こそ長寿の道です」「忙しく働いていれば、あれやこれやと、くだらないことを考えずにすみます。くよくよしないで、心に、わだかまりが残りません」と。
皆さんも、育児に、家事に、地域の活動に、そしてまた仕事にと、忙しい毎日だと思いますが、健康で、毎日働けることこそ、最高の幸福です。
何もすることがないのは、気楽でいいようだが、結局、自分が弱くなり、不幸です。
「本当に張りがある」「やりがいがある」「充実している」――毎日が、そのように感じられる人が、幸福なのです。
橋口
私は、五人きょうだいの長女として育ちましたが、先日、母が懐かしそうに語っていました。
「あんたたち五人を、全員、お風呂に入れることができた時は、何とも言えん幸せを感じたなあ」と。
五人もいると、お風呂に入れる時、いつも一人くらいは、カゼをひいていたり、どこか具合が悪かったりしたので、全員が元気にそろうこと自体がうれしかったそうなのです。
五人もの子どもを育てたので、大変だったろうと思っていたのですが、改めて母の偉さを感じました。
5
いちばんお願いは「健康であること」
池田
お母さんが、子どもたち一人ひとりに、どれほど深い愛情を注いでいたか、よく分かるね。
子どもが生まれたら、親にとっての一番の願いは「健康であること」でしょう。「元気でさえいてくれればいい」というのが、正直な思いではないだろうか。
しかし、その“初心”も、子どもが成長するにつれて、少し変わってくる。
「もう少し、頭の出来がよければ……」などと、だんだん欲が出てくるものです。(笑い)
子どもの立場になって一言、言わせてもらえば、どうか“初心”を忘れずに、子どもを大きく包んであげてほしい。(笑い)
吹浦
私の母は、とても教育熱心でした。
自分は学校に行きたくても行けなかった分、子どもたちには、きちんとした教育を受けさせたいと強く願っていました。
“孟母三遷”というわけではないですが、子どもにとって、環境が少しでもいい場所をと考えて、私が小学生の時、自然豊かな千葉県の松戸に引っ越しました。
また、姉たちが、私立の女子校を受験する時など、母は早くから受験受付に並び、上の姉は、受験番号が「1番」でした。
橋口
元気いっぱいなお母さんですね。
吹浦
学校が、“いの一番”に並んだという熱意を感じて、入学させてくれると思ったのかもしれません。(笑い)
でも、決して今でいう“教育ママ”ではなかったようです。子どもへの思いが強かったのでしょうか。七人きょうだいでしたが、そんな一生懸命な母の姿に、何とか応えたいと私たちも頑張りました。
「学会っ子が負けてはいけない!」というのが、鼓笛隊で訓練を受けるようになった私への、母の口ぐせでした。
小学生の時、私が学会員ということで、クラスメートから悪口を言われたこともありました。当時はまだ、創価学会に対する認識も浅い頃でした。
そんな時も胸を張って教室に入り、クラスメートにも、先生にも、言うべきことは主張しました。
進学の時、転職の時、苦境にあった時、また私の志望に周囲が反対するような時でも、母は、私を信じ、応援してくれました。
いつも背中に“母の祈り”を感じて成長してきたように思います。
6
賢明に、強い心で、家庭を幸福の方向へ
池田
先日、「特別ナポレオン展」が、東京富士美術館で開催されましたが、若き日のナポレオンが軍隊から追放されかけて、弱音を吐いた時、彼を支えたのは、母親の次の一言でした。
「不運に『負けない』ことが、立派で高貴なことなのです」
ちなみに、ナポレオンの母も、三十六歳の時に夫を亡くし、未亡人になっている。ナポレオンも母親から、不幸に「負けない心」を受け継いだのです。
彼は後に、「子どもの運命は、つねにその母がつくる」という言葉を残している。
吹浦
私も、子育ては、母親で一〇〇パーセント決まるという自覚でやってきました。
その上で、夫婦ともに子育てに責任を持っていますから、多忙な夫にも、子どものことをすべて話すようにしてきました。
「夫婦が争う姿を子どもに見せてはいけない」とのご指導がありますが、夫婦の関係が家族関係の柱だと考えてきました。
子どもからよく、「お母さんは、世界で一番、だれが好き?」と聞かれたのですが、そういう時は、「一番は、お父さんで、二番目はあなたたちよ」と応えると、子どもは、期待はずれのような、安心したような気持ちになったようです。
池田
戸田先生は夫婦の一つのあり方について、「男性の力は女性によって決まる」と、よく言われていた。
男性の力が七であっても、女性によって一〇以上に発揮される場合がある。反対に、男性に一〇の力があっても、女性によって五以下になってしまう――と。
もちろん、戸田先生は、「男性たるもの、妻や子どもを大切にして、不自由させることがあってはならない」と、常々言われていた。その上での、女性への指導なのです。
どうか皆さんは、賢明に、強い心で、家庭を幸福の方向へとリードしていってほしい。
橋口
私には、四歳と二歳になる娘がいますが、子どもがなかなか泣きやまない時など、思うようにいかなくて、いっしょに泣いてしまいたくなることもありました。(笑い)
落ち込んだ時は、女子部時代に先生から受けた「天空を舞うように、悠々と戦うんだ」との激励を思い出して、「母親の私が、もっと生命力満々と、広々とした境涯にならなければ!」と決意を新たにしています。
そうした時、経験豊かな学会婦人部の先輩にいつも励まされ、助けられています。私の実家は岡山で遠く離れていますから、人一倍、“学会家族”のありがたさに感謝する毎日です。
吹浦
私は、夫の家族と同居していて、こちらの思いがなかなか伝わらず悩んでいた時、先輩が「言葉で言うのは“説得”。思いを祈りに込めていくと“納得”」と、分かりやすく教えてくれたのを、今もよく覚えています。
義母の介護が必要となり、三年間にわたってわが家で介護した時も、同志の方の支えは心強いものでした。
その時、私は「苦労してきた義母を、最後まで面倒を見ていこう」と心に定めました。
まだ小学生だった娘たちも、一生懸命、手伝ってくれました。義母がお風呂に入るのを手伝ってくれたり、私が留守の時は、食事を食べさせてくれたりしました。
小さい頃からかわいがってくれたおばあちゃんを、今度は、娘たちが、「おばあちゃん、おばあちゃん」と面倒を見てくれました。
橋口
大変だったんですね。
吹浦
義母が徘徊し、四日間、行方不明になった時は、必死になって捜し回ったこともありました。
一日一日が、断崖絶壁を歩くような三年間でした。
家族や、親戚、同志の励ましがなかったら、絶対に乗り越えられなかったと思います。
その後、夫や、夫のきょうだいとも、よく話し合い、よい老人介護の病院がありましたので、義母を預けることになりました。
今から振り返ると、三年間の苦労は、家族全員にとって、かけがえのない財産になりました。娘たちも「おばあちゃんに、宝物をもらったね」と語り合っています。
以前、ある先輩が、「苦しいこと、悩んでいることを信心根本に克服してこそ、本当の力がつくのよ。むしろ今が成長のチャンスととらえて、頑張りましょう」と励ましてくださったことがありますが、本当にそのとおりだと実感しました。
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一人の人間に光をあて、一人を大切に
池田
よく、頑張ったね。
介護は、介護したほうが境涯を高め、広げることができるのです。一方で、個人や家庭で手に余る介護は、社会全体で支えていくという方向も必要でしょう。
ともあれ、いっしょになって、悩みをかかえる。いっしょになって、喜びを分かち合う――学会の温かな同志の世界では、悲しみは軽くなり、喜びは何倍にも大きくふくらんでいくのです。
かつて、対談したキルギスの文豪アイトマートフ氏は、創価学会のことを「現代のユートピア(理想郷)」と評してくれました。
また、「苦悩の充満した現実を背景として、学会のような理想的な団体が出現したのは、にわかに信じがたいことです」「創価学会は人類の希望です」とまで言っておられた。
学会を離れたら、どれほどむなしく、淋しいことか。“孤独地獄”のような、喜びのない、わびしい人生となってしまう。
どうして、学会は発展したのか。
それは、どこまでも民衆に尽くしてきたからです。徹底して、一人の人間に光をあて、一人を大切にしてきたからです。
橋口
私は、池田先生が、隅々にまで、「一人を大切にする心」を通わせてくださっているから、これほど学会は温かいのだと思います。
同じように、先生の創作童話や物語が、人々を感動させるのも、先生の真心が込められているからですね。
先日、こんな話をうかがいました。
学会員の方ではないのですが、ある家庭で、三歳になる女の子が幼稚園に行けなくなってしまったのです。“不登園”とでも言うのでしょうか、それまでは明るい子だったのに、表情も暗くなり、人をおどおどと見るようになってしまいました。
そんな時、学会婦人部の友人が、その方に二巻のビデオを渡したそうです。先生の創作物語をもとにつくられた『青い海と少年』と『太平洋にかける虹』です。
女の子は特に、『太平洋にかける虹』が気に入り、何度も見ていたそうです。この物語は、人間には「勇気の道」と「おく病の道」があり、「勇気の道」を歩むことの大切さを教えてくださっています。
吹浦
私は、本で読ませていただきました。
朝、起きること、学校に行くこと、勉強することなど、身近な一日の生活の中にも、「おく病の道」と「勇気の道」の分かれ道があると描かれていたことが印象に残っています。
橋口
そのお母さんは、ある日、ビデオを見ていた女の子に、こんな小さな子に内容が分かるのかな、と思いながらも語りかけました。
「けん太君(登場人物の名)は『勇気の道』を選んだんだね。みんな、いろいろなところで『勇気の道』を選ぶんだよ」と。
「わたしも?」と聞く娘さんに、「そうだよ」と応えると、小さな小さな声で「幼稚園……」とつぶやくように言ったのです。
そして数日後、自分から「幼稚園に行く」と言い出したのです。
お母さんは、「こんなに小さいのに、ビデオの内容が分かるんだなあ」と、驚きもし、うれしくも思ったそうです。
子どもながらに、自分の気持ちと戦ったのでしょう。朝、バスに乗る時は、泣きながら、「ビデオと同じだから」と女の子は繰り返します。“この子は「勇気の道」と言いたいんだな”と、お母さんも涙をこらえながら、「そうだね。そうだね」と送り出したそうです。その後も、元気に幼稚園に通われたようです。
お母さんは、「幼稚園にもこのビデオを寄付したい。ほかのお子さんにも、娘のように何かにつまずいた時に、ぜひ見てもらいたい」とおっしゃっていました。
池田
子ども向けの作品を書くというのは、大人に対する以上に心を引き締めていかねば書けません。「子どもだから」などと、甘く見ることは少しもできません。
子どもは、驚くほど、豊かな感受性を持っている。大人が思っている以上に、子どもは多くのことを理解しているのです。
だから私は、その子どもの心に、「勇気」と「正義」を育むために、直接、語りかける思いで、童話や物語を書いてきました。
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名優チャップリンを支えた「母の愛」
吹浦
わが家では、子どもが小さい時に、先生の書かれた童話『少年とさくら』を何度も何度も、読んで聞かせました。そして、戦争の愚かさを語り、平和の尊さを教えたものです。
「戦争はいけないことだね。池田先生は、戦争をこの世からなくすために、毎日、戦っているんだよ。お母さんは、そのお手伝いをしてるのよ」と話すと、子どもながらに、深く心に刻んだようでした。
また戦後の焼け野原に、たった一本残った桜が、春に満開の花を咲かせる様子をとおして、「人々に希望と勇気、安らぎを与えることの大切さを教えてくれているのよ」と、語りかけたものです。
池田
戦争の悪と戦い、平和を訴えた作品といえば、喜劇王・チャップリンの『独裁者』があります。これは、第二次世界大戦が始まった一九三九年に制作された映画です。
実は、今年(一九九九年)は、チャップリンの生誕百十周年に当たる。
この映画の中で、チャップリンはヒトラーを風刺した、ヒンケルという独裁者と、ヒンケルと瓜二つのユダヤ人の二役を演じている。
橋口
チャップリン扮する、ヒンケルと取りちがえられたユダヤ人が、独裁者を否定し、戦争反対の演説をするラスト・シーンは、大変、心に残っています。
池田
当時、ヒトラーはまだ生きていた。この映画は、チャップリンにとって命懸けだったのです。
その演説の最後にチャップリンは、「ハンナ、ぼくの声が聞こえるかい?」と呼びかけている。
ハンナとは、映画に出てくる恋人の名だが、実は、チャップリンのお母さんの名前だったのです。
「ハナ(ハンナ)、ぼくの声が聞こえるかい? いまどこにいようと、さあ、顔を上げて! 見上げてごらんよ、ハナ! 雲が切れるよ! 光が射してきたよ! やみが去って、僕たちの上にも光が輝くんだ! 欲望と憎しみと残忍さをなくした、よりよい世界がやってくるよ。見上げてごらん、ハナ!」(ラジ・サクラニー『チャップリン――ほほえみとひとつぶの涙を』上田まさ子訳、佑学社)
画面は、雲の流れる空。チャップリンはきっと、天にいるお母さんに向かって呼びかけたのでしょう。
波瀾万丈の人生を歩んだ、チャップリンを支えたのは「母の愛」でした。その「母の愛」が、人間性を踏みにじる「独裁者」との戦いへとチャップリンを駆り立てたのです。
また、チャップリンは演説のなかで、こう言っている。
「知識はわたしたちに冷ややかな目を与え、知恵はわたしたちを非情で冷酷にしました。考えるばかりで、思いやりがなくなってしまいました。わたしたちに必要なのは、機械ではなく、人間性です。頭のよさよりも、親切と思いやりが必要なのです」(同)
「必要なのは人間性」「頭のよさよりも、親切と思いやり」――この心を育てることこそ、お母さんの役目であると私は言いたい。
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子どもは変わる、長い目で見守る
吹浦
特に今は、その重要性が大きくなっていますね。「心の豊かさ」を育む家庭教育の大切さを感じます。
「心の豊かさ」という問題に関連するかもしれませんが、最近、「子どもになかなか友だちができない」と相談を受けることもあるのですが……。
池田
子どもは一人ひとり、みんな性格が違う。おとなしい子もいれば、きかん坊もいる。一人遊びが好きな子がいれば、いつもおどけて周囲を笑わせるのが好きな子もいる。
しかし、子どもは変わるものです。小さいうちは、人前でしゃべれないくらい照れ屋だったのに、大きくなると、みんなをまとめていく存在になるような子も少なくない。
あまり神経質にならず、長い目で見守ってあげるのがよいと思うが、どうだろうか。
その上で大切なのは、子どもに「相手の立場に立って考える習慣」を身につけさせることだと思う。
「やさしい心」があれば、必ずよい友人に恵まれていく。
吹浦
わが家でも、子どもたちに、「『自分がそうされたら、どう思うか』『何をしてあげたら、友だちはうれしいか』を、いつも考えなさい」と言ってきました。
たとえば以前、クラスにカゼで休んだ友だちがいた時に、娘が心配して「電話してあげたほうがいいかな?」と聞いてきました。
私は聞きました。「あなたがカゼで休んだとしたら、どう?」。
娘は考えて、「うーん、電話に出るのは大変だと思うから、じゃあ、ファックスにしようかな」。
橋口
一つひとつ、自分で考えさせるようにしたんですね。
吹浦
そうなのです。
また、友だちだけではなく、家にかかってきた電話にも、家族として、一生懸命に対応してもらいました。
家には、学会の同志からかかってくることがとても多かったので、「なかには、悩み事があったり、相談事があって、かけてくる人もいるのよ。自分が困っていて助けてほしい時に、電話に出た人がぶっきらぼうだったら、いやな思いをするかもしれないでしょう?」と。
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よき友人は人生のこのうえない宝
橋口
とても大切なことですね。
私は、関西創価高校で、たくさんの友情の絆をつくることができました。私の学園生活は、入学式に池田先生が贈ってくださったメッセージから始まりました。
先生は中国の名言を引いて、教えてくださいました。
「桃李言ず、下自ら蹊を成す」
――桃やスモモは、自分からものを言うわけではないが、美しい花や実があるから、自然と人が集まり、その下に小道ができる。同じように、福徳ある人には、自然に人が慕ってくる――
「私は、皆さん方がふくよかな、だれからも慕われる心温かい人に育ってほしいと思います。よき先生、よき友人をもつことは、人生にこの上ない宝です」と。
岡山から大阪へ、家族のもとを離れ、寮生活を始めるのは、心細さがありました。でも、この先生の言葉に励まされました。
「自分を磨いていけば、友だちは、いくらでもできる。決して淋しいことはないんだ。これから、どんな出会いが待っているだろう」と、気持ちがふっと軽くなりました。
寮では、ホームシックにかかる子もいましたが、みんなで励まし合って生活しました。次第に、本当の家族、姉妹のようになっていきました。今も皆、かけがえのない友人です。
池田
青春時代に寮でともに寝起きし、いっしょに生活するというのは、不思議な縁です。寮で育んだ友情は、社会に出ても、どこに行っても決して忘れられないものだね。
親に甘えることもできないし、多くの苦労がある。しかし、そこにこそ人間の鍛えはあるし、深い友情も結ばれていくものです。
吹浦
私は、学会に「高等部」が結成された時に高校二年生で、「高等部一期生」でした。
小説『新・人間革命』の「鳳雛」の章で、先生が当時の模様を綴ってくださったのを読み、こんなにも深いご慈愛で祈られ、見守っていただいていたんだと、改めて感謝の思いでいっぱいになりました。
何といっても忘れられないのは、「高等部の年」と銘打たれた一九六六年(昭和四十一年)の一月三日、全国の代表が集まって、池田先生といっしょに記念撮影をしていただいた時のことです。
晴れ渡った真っ青な空に、富士山が堂々とそびえ立っていました。王者のような、本当に美しい姿でした。
先生は、その富士山を指さしながら言われました。
「富士山は、こうして下から見ると、静かにそびえているようでも、その頂上は、いつも激しい風雪にさらされているのです。
指導者も同じです。いろんな嵐にあいながら、みんなを守っているんだよ」と。
そして「五年後の今日、ここに集った皆と再び、会おう!」との先生の言葉に、「よし、絶対に成長した姿で先生にお会いしよう」と誓いました。
後に先生は、約束どおり再会してくださり、私たちに「五年会」という名を贈ってくださいました。
「五年会」の皆とは、それからも常に励まし合ってきました。先生のおかげで、固い「友情」を結ぶことができました。
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「人間を育てる」ことこそ最高に尊い
池田
うれしいことです。
高校生の年代というのは、人生のなかでも大事な時期です。
私は、一人残らず、幸福な人生の軌道を歩んでほしかった。そのためにも、崩れない金の思い出をつくってあげたかったのです。
以来、今まで皆の成長を、じっと見守ってきました。
それと子どもたちには、常に身近な、達成可能な目標を示してあげることが大事です。家庭においても、そうです。
橋口
私は二十代の時に、女子高等部長を務めさせていただきました。就任まもない頃、高等部員が、突然、私を訪ねてきて、「今度、地域で高等部の総会を開きます。この招待状を、ぜひ池田先生にお届けください」と、手作りの招待状を持ってきたのです。
たまたまその時、先生が学会本部の食堂におられると聞いたので、どうしようかな、と少し迷ったのですが、勇気を出して、職員と食事をしながら懇談・指導をされる先生に直接お渡ししました。
先生は、「ありがたいね。真心がうれしいね」と言われ、手作りの、ささやかな招待状を、いとおしむように手でさすられました。そして、「スケジュールがいっぱいで、あいにく出席はできませんが」と、ただちにその高校生への励ましの伝言と激励を託してくださったのです。
世界各国の指導者と対話を展開される、激務の先生が、一人の高校生にも誠心誠意、応えられる姿に、胸が熱くなりました。
池田
人を育てるのは、楽なことではありません。ともすれば、大変な疲労をともなうこともある。
しかし、命を削るような労苦なくして、本当に人を育てることなど、できません。日蓮大聖人は「
命限り有り惜む可からず
」と仰せです。
命には限りがある。惜しんではならない。だからこそ、何に命を使うかが重要なのです。
「人間を育てる」ことこそ、最高に尊いことではないだろうか。
吹浦
私は大学を卒業してから、長年の夢であった、小学校の教師になりましたが、本当にやりがいのある、すばらしい仕事でした。
四年間、同じクラスを担当したのですが、その時の経験は、自分の人生にとって、とても大きい財産になっています。
教え子たちとは、二〇〇一年五月五日に、再会することを約束しているのです。
池田
すばらしいことだね。
橋口さんのご主人も、創価小学校の先生でしたね。
橋口
はい。そうです。使命に燃えて働かせていただいています。
池田
私は今、「命を惜しまず」教育に情熱を注いでいこうと思っています。人生最終の事業を「教育」と決めているからです。
私は、晩年の戸田先生の命をかけた闘争を思い出します。
あれは逝去の前年、先生はすでに、立ち上がれないほど衰弱しておられた。
それでも先生は、同志の待つ広島へ何としても行こうとされていた。先生の命を危ぶみ、必死にお止めする私を、先生は叱咤された。
「行く、行かなければならんのだ!」
「同志が待っている。……死んでも俺を行かせてくれ。死んだら、あとはみんなで仲よくやってゆけ。死なずに帰ったなら、新たな決意で新たな組織を創ろう……」
最後の最後まで、命をふりしぼって同志に尽くそうとした恩師の姿を、私は忘れることはできません。
人生は、限りある時間との戦いです。今の私は、時間と戦いながら、人材育成に命を注いでいるのです。
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