Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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小説 青春編「アレクサンドロの決断」他(池田大作全集第50巻)
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2
一九六八年に行われたメキシコ・オリンピック――。日本代表のサッカーチームは、そのとき奇跡的ともいえる活躍で、銅メダルを獲得した。後にも先にも、わが国のサッカーチームが、これ以上の成績をおさめたことはない。
しかし大会においては、すべてが順調にいったわけではなかった。いちばんのハプニングは、チームのキャプテンが大会初期に負傷してしまったことである。しかしキャプテンは、試合には出られなくなったものの、自分にできることは何でも引き受け、チームのみんなをもりたてたという。
「だからぼくも――こうやってボールみがきをしているのさ。できることは、何でもやろうと思ってね」
「…………」
剣司の胸のうちで、なにかがゆっくり動き始めた。竜太に、あることを告げねばならない自分を感じた。
あの事故について、竜太はひとかけらの疑いもいだいていない。起きてしまった出来事を、そのままわが身に引き受けて、しかもそこから精一杯の努力を傾けて立ち直ろうとしている。
ああ! なんで竜太にケガなんかさせてしまったんだろう。おれは竜太に、きちんとあやまらなくちゃならない。
あのあと――「ごめんよ」と言葉をかけはした。けれども、そんな形式的なあやまり方ですませるわけにはいかない。心の底から、おれは竜太にわびるべきなんだ。
しかし……しかし……どんなふうに、切り出せばよいのだろう。いや、待て。その前におれは、自分の心のなかをしっかりと見定めなくてはならない。あれは事故だったのか、それとも故意だったのか……。
あやまらなくては――なんて考えるところをみると、やはりおれは、あのときわざと……。
揺れ動く心をいだいて、剣司は身じろぎもできないまま、竜太の手元をじっと見つめ続けていた。
そのとき、グラウンドのかなたから元気あふれる声がとんだ。
「おはようございまーす!」
朝練習にやってきた選手たちだ。何人かのメンバーが、小走りで近づいてくる。
剣司は、われに返った。竜太に話すのは、この次の機会にしよう。まだまだ時間はたっぷりある。急ぐことはないだろう――。そう自分を納得させると、剣司はランニングの準備にかかった。
3
練習試合はF中のグラウンドで、三時すぎから行われた。
F中との対戦は、これまでにも何回かある。手ごわい相手ではない。だいたいいつも、こちらが勝利をおさめている。
この日は、三十分ハーフである。前半と後半で、計一時間の戦いだ。練習試合なので、メンバーは自由に交代させてもよいことになっている。
試合は、めずらしく一進一退の好ゲームになった。フォワードが突っこんでも、いいところでカットされたり、パスが通らず、インターセプトでボールを奪われたりする。
敵の攻撃もまた、かなりしつこかった。
味方のゴールは、そのためしばしばピンチに陥った。キーパーのファインプレーがなかったら、序盤でリードされそうな形勢であったといってよい。
選手交代で、剣司がフィールドに出たのは、前半二十分からであった。
敵のマークが、ふたりついてくる。剣司は“おやっ?”と思った。相手のチームにとって、剣司は初めての選手のはずである。事前にかなり、こちらのチーム内容をつかんでいるらしい。
敵にがっちりマークされて、思うように活躍できない。だが、それ以前に、なぜかもうひとつやる気が出てこない。フィールドを駆けながら、剣司はそんな自分をうすうす感じていた。
前半終了五分前、ついに敵のシュートが、味方のゴールを割った。そして二分後、さらに今度は追加点を奪われた。あっという間の二点であった。前半の戦いは、そのまま幕切れとなった。
「おい! お前たち、なにやってるんだ。いつものプレーが全然できてないぞ。一人ひとりの動きが、ばらばらだ」
島野先生が、こわい顔でにらんだ。
「――それに、坂本! つめが甘いぞ」
「はい。あそこにマウンドがあるんで、どうもやりにくくて……」
フィールドの一角に、野球のピッチャーズ・マウンドがある。敵のゴール近く、向かって右側に、小高い土盛りがしてあるのだ。坂本はそこで二度ほどつまずいて、絶好のシュート・チャンスを逃している。
「――マウンドのせいにするな。お前が通るときだけ、あそこの土は盛り上がるのか。そうじゃないだろう。だれが見たって、あそこにマウンドがあることはすぐわかる。あのマウンドは、敵と味方の両方に与えられている環境であり条件なんだ。
敵にしたって、あんなところが盛り上がっていれば、プレーしにくい。あらかじめ、そんなことは考慮に入れておけ。一度はともかく、二度も同じ失敗をするやつがいるか」
五分のハーフタイムは、またたくうちにすぎて、試合は後半戦へと突入した。
敵は、いぜんとしてしぶとい。こちらは、もうひとつリズムにのれない。これまでは楽勝だった相手なのに、きょうはどういうわけなんだろう。みんなの顔には、だんだんとあせりの色がこくなってきた。
敵のフォワードが、ドリブルで味方の陣地へ突っこんでくる。それを阻止しようと、キャプテンの海野が正面から間をつめていく。
このままではボールをとられる――と相手は直感したらしい。渾身の力をこめて、やむにやまれず強引なキックを放った。
蹴られたボールは、たまたま肉薄していた海野の顔面をしたたかに直撃した。
そのとき――相手ベンチの近くにいた剣司は、はやしたてるような笑い声を耳にした。
海野にしてみれば、かわすひまもない。また、かわすつもりもなかったようだ。あたった瞬間、海野はちょっと顔をそむけただけで、何事もなかったように、すぐ次のプレーに移っていく。
しかし、相手ベンチの選手たちは、顔面に球があたってしまった海野に対して、あざ笑うような声をたてたのだ。
剣司は、思わずカッとなった。あたまに血がのぼって、耳たぶが熱くなった。おさえようもなく、言葉が口をついて飛び出した。
「なにがおかしい! だれだ! いま笑ったやつは!」
フィールドから怒りの形相でにらみつける剣司を、相手のひかえの選手たちがびっくりしたように見つめ返している。
それまでずっと、剣司はむしゃくしゃした気分に陥っていた。弱いと思った相手が、きょうは意外に善戦している。いや、善戦どころか、こちらをリードしているのだ。それなのに、いつもの燃えたつ気持ちが、どうしたわけかわいてこない。
そのことに剣司はあせっていた。いらだっていた。それでつい、相手ベンチの不作法な笑いに、うっぷんが爆発してしまったのである。
言葉を発してから、剣司はかすかに“しまった!”と感じた。だが、いまさら引きさがるわけにはいかない。後悔の念をむりやり胸の奥にしまいこんで、剣司はかさねてたたみかけた。
「おい! なにがおかしい――と聞いてるんだ。答えろ!」
あっけにとられていた相手も、やがてわれにかえって口々にざわめき出した。
「なんだ! こいつ」
「えらそうにいうな!」
次の瞬間、剣司がタッチラインを跳び越えて、相手のひとりにつかみかかった。
ベンチは騒然となった。剣司の後ろから組みつく者、もみあっているふたりを引きはなそうとする者、「やめろ!」と叫ぶ者……。
鋭い笛の音が、フィールドに響いた。審判がこちらに駆けてくる。
「なにやってるんだ――そこは! おい! やめるんだ――。静かにしろ!」
グラウンドでもつれあっていた数人が、やっとおとなしくなって立ちあがった。
あきれ顔で、主審が剣司に告げた。
「君は、退場だ!」
ふるえる握りこぶしを固めながら、剣司は審判をにらんでいる。わななくくちびるが、なにかいいたそうだ。眉に怒りをみなぎらせた剣司は、やがてクルリときびすを返すと、足ばやに味方のベンチへと戻り始めた。
その後ろ姿を見届けると、審判はF中ベンチの選手たちに向きなおった。
「君たちにも、ひとこといっておきたい。味方の応援はいいが、相手への心ない挑発はもってのほかだ。そういうことじゃ、スポーツ選手としての資格はない。そのことを忘れないでくれ――」
4
試合は、二対三で負けた。予期せぬ敗北であった。
練習試合ではあったものの、やはりレギュラー・メンバーは、敗戦を深刻に受けとめているようだ。
心なしか元気のない選手たちを前に、島野先生が口を開いた。
「きょうの試合は、君たちにとって、とても良い教訓であったと思う。油断のこわさが、これでよくわかったろう……」
F中には、これまで何回も勝っている。きょうの練習試合も、簡単に勝てると考えたにちがいない。選手たちは、初めからF中をなめてかかっていた。そこに、落とし穴があったのだ。
きょうのF中の力は、ちょっとちがっていた。これまでの敗因を、徹底して分析したのだろう。そして一人ひとりが、自分のなすべきプレーを何回も練習したのにちがいない。どのひとりをとってみても、遊んでいる選手はいなかった。
「ところが、うちのチームはどうだ。多くのメンバーが“なんとかなるだろう”と思っていたんじゃないか。“また、F中か……。胸を貸してやろう”ぐらいに考えていたんじゃないのか。だから、遊びだらけ、スキだらけの試合になってしまった」
日が少し長くなったとはいえ、東の空は早くもたそがれ色に包まれている。この日のミーティングは、まだ続きそうだった。
「戦ううちに、相手の意外な攻勢に気づき始める。しかし、一度ゆるんだ気持ちは、なかなかもとに戻らない――」
そのうち、リードを奪われる。これはたいへんだ、ということになる。だんだんとあせってくる。おまけに、一発逆転をねらって、プレーそのものも荒くなる。そこをつけこまれ、さらに追加点を許してしまう……。
このように、あなどってかかると、かならずといってよいほど、つまずく結果となるのである。
実力の差はあるように見えても、それはまだ不安定な要素なのだ。であればこそ、油断と慢心は、ただちに敗北へとつながる。前年度の優勝校が、あっけなく敗れさるのは、このへんにひとつの原因があるといってよい。
「それから、もうひとつ――」
島野先生が、言葉をついだ。
「きょうの試合で、剣司が退場処分になった。理由は、君たちもすでにわかっていることと思う」
みんなが、いっせいに剣司を見た。剣司は、あのときのことを思い出したのか、またもや不満気な面持ちになった。
「そこでまず、みんなの気持ちを聞いてみたい。なんでも思ったことをしゃべってくれ。遠慮はいらない。あそこでとった剣司の行動、みんなはどう思う?」
その場にいるメンバーの表情が、いろいろに変化し出した。
「ちょっと、あれはやりすぎだったな」
「でも、あんまりきたないヤジはいけないと思います」
「だけど、そんなのは無視しとけばいいと思う」
「……しかし、あのとき、ヤジったりひやかしたりした声は、ぼくには全然わからなかったぜ」
「うん、そうなんだ。たまたま相手のベンチ前にいた剣司だけに聞こえたんだ」
「それも、ヤジなんかじゃなくて、ただの笑い声だろ」
「キャプテンの海野先輩の顔にボールがぶつかったのを、あいつらは笑ったのさ」
「しかし、つまんないやつらだな。そんなことを喜ぶなんて」
「笑ったのは、試合を見ているだけの、ベンチにいる一年生だと思うよ。レギュラー選手は、みんな真剣だったもの」
あちこちで、何人かがうなずきあった。
「ということは、相手のチームとしては、別にこっちをひやかすつもりはなかったんじゃないのかなあ。新前の連中が笑ったというだけでさ……」
「しかし、とにかく手は出すべきじゃないと思う――」
みんなのかわしあう意見を耳にしながら、島野先生は剣司の様子をながめていた。ふてくされた顔つきも、だんだんと落ち着きを取りもどしている。あのときの状況を、冷静に振り返る余裕も出てきたようだ。
島野先生が、ひとつ「オホン」とせきばらいを立てた。にぎやかな話し声は静まり、みんなが島野先生を見あげた。
「ぼくには……剣司の気持ちがよくわかる。キャプテンといえば、チームの中心だ。その彼の顔面に、いやというほどボールがぶつかった。痛くないはずはない。ところが、それを見て笑ったやつの声が、剣司には聞こえたんだ。それで思わず、カッとなってしまった……」
島野先生の話を聞いて、剣司はなんだかホッとした気分が広がっていくのを覚えた。しかしそれと同時に、すまないことをしてしまったという気持ちが、胸の底から突きあげてきた。
試合の終わったあと、キャプテンの海野は選手の全員を一列に並ばせると、相手のベンチ前までいって「すみませんでした!」と頭をさげたのだ。
キャプテンのための怒りは、しかし逆に、キャプテンに恥をかかすような結果になってしまった。あの光景を思い起こすと、剣司は心底いたたまれない気分にかられた。
「けれども……ぼくは思うんだ。怒りを感ずるのはいい。しかし、怒りに振りまわされてはいけない――」
人生を生きていくうえで、抑えがたい怒りを感ずることは、しばしばあるだろう。なんでも自分の思い通りにいくとはかぎらないし、ときには心ない悪口やいやがらせを受けることもあるにちがいない。
そのとき人はどうするか。怒りを爆発させてしまう人もいる。長いあいだ根にもって、うらみ続ける人もいる。陰でこっそりと、いじわるな仕返しをする人もいる。人さまざまだ。
しかし、そういう人は結局、自分の怒りに振りまわされているのである。自分で自分を見失っている、といってもよい。
怒りとは、ある意味で、心のエネルギーのほとばしりなのだ。自分の身を破滅させるきっかけにもなれば、ときには生きる意欲の原動力にもなる。
怒りを活用するとは、その心の激しいエネルギーを、みずからの向上と成長へ向けて使っていくことにほかならない。相手をもっぱら傷つけるためであったら、それは怒りの乱用になってしまう。
「君たち中学生の年代は、一番の成長期だ。心のなかには、伸びていこうとするエネルギーが嵐のように吹き荒れる。そのため君たちは、ときとしてそのエネルギーをコントロールすることができなくなって、暴発させてしまう……。けれども、きまってその後にやってくるのは、後悔という名のさざ波なんだ――」
早乙女剣司――。運動神経は並はずれている。しかも、ファイトがすさまじい。本気になったときの剣司は、まるで炎のかたまりのようである。
それだけに、一歩まちがえると、とんでもない方向に爆発してしまいそうだ。あのエネルギーを、きちんとコントロールできるようにするためには、どうしたらいいのだろう。剣司を知ってから、島野先生はそのことに思いをめぐらさざるをえなかった。
たとえば、二週間前の紅白試合である。剣司のタックルによってこうむった竜太のケガは、偶然の事故か、意図的に引き起こされたものか……。
島野先生には、わかっていた。タックルのねらいがどこにあったのか――その真相を、島野先生はひそかにつかんでいたのだ。
あのとき島野先生は、剣司の走る姿をじっと見つめていた。ボールのゆくえでなく、剣司の動きを、島野先生はなかば驚きのまなざしで追っていたのだ。
竜太がシュートの体勢に入る。そこへ剣司が猛然とすべりこむ――。だが、そのタックルの直前に、剣司がとった“ある動作”を島野先生は見逃さなかった。
試合が終わったあと、島野先生はその点を指摘しようとした。だが、思いとどまったのである。
ここでいえば、剣司の非を明らかにすることができる。しかし、そのことで、剣司という一個の人間を、変えることができるかどうか。かえって、かたくなになり、反発し、心を閉ざしてしまう結果になるのではないか……。
といって、あのようなプレーを見過ごしておくわけにはいかない。ならば、どうしたらいいだろう。どのように彼の心を揺さぶればよいのだろう。
そこで島野先生は、持久戦法でいくことを決めた。時間をかけて、剣司みずからが目覚める方向へ、力を注いでいくことにしたのである。
彼らの年代は、抑えつけてもかえって逆効果になるだけだ。ほとばしるエネルギーをふさいでしまうのではなく、それを正しい水路へと導いてやることが大切だろう――。それは島野先生にとっても、根気のいる戦いであった。
けれども、その努力が早くも効果を表してきたことに、島野先生は気づき始めていた。
剣司のきょうの試合ぶりにしてもそうである。何かが剣司の身に訪れつつある。
まず、以前のがむしゃらな気性が、どことなく影をひそめてしまった。燃え立つようなファイトが見られない。プレーもどこか、うわの空だ。
剣司は迷い始めている。自分を見つめ始めている。いままでの自分でよいのかどうか、悩み出している。
プレーに精彩がなかったのも、竜太との一件が心に重くよどんでいるからにちがいない。剣司は、いま揺らいでいるのだ。
迷うがよい。悩むがよい。それは、新たな自己へと脱皮するきざしなのだ。
激しい気性がなくなったとはいっても、彼の心のエネルギーがかれてしまったわけではない。それは彼の胸の奥に、たしかにふつふつとたぎっている。
あきれ返る一幕だったが、退場処分となったいざこざは、それを何よりもよく物語っているだろう。剣司の燃え立つエネルギーは健在だ。ただそれは、出口を求めてさまよっているにすぎない。
竜太との出来事にしても、きょうの退場事件にしても、いま剣司の心には、かすかな後悔の念が押し寄せているはずだ。
彼の心のドラマは、どのような決着をみせるか。竜太へのタックルの直前に、剣司がとった“あの動作”についても、やがては明らかにしなければならない。そして島野先生は、その時期がそれほど遠くないことを、うすうす感ずるのであった。
「……だからこれは、剣司ばかりの問題じゃない。君たちは、君たちのなかに吹き荒れるエネルギーを、うまくコントロールする方法を身につけなくてはならないんだ。スポーツというのは、そのための格好の訓練の場だ――とぼくはいつも思っている。中学生になったら、なにかスポーツを――とぼくがいうのも、そのためなんだ」
島野先生が、腕時計をちらりと見た。下校の時間が近づいている。そろそろ切りあげなければいけない。
「とにかく――自分で自分の心をリードできる人間になることが大事だ。怒りの心や落胆の気持ちに振りまわされるんじゃなく、ふらふらしない堂々たる自分を築きあげるんだ。それには、どうしたらいいか。ごまかしや要領を使ったりするんじゃなく、正直に、素直に、日々瞬間を歩み抜いていくこと――これしかない。そこに、天空にそびえる富士のような揺るがない自分もできあがる」
夕闇がせまっていた。いつの間にか、空は厚い雲におおわれている。あしたは天気が悪くなりそうだ。
「きょうは、ちょっと遅くなってしまったな。よし、解散だ。新しい気持ちで、あすからまた出直そう!」
立ちあがった剣司は、急に空腹を覚えた。
島野先生の言葉が、なぜか頭のなかをぐるぐるまわっている。
――正直に……素直に……か。まるで、竜太にぴったりだな。
そう思うと、剣司の胸には、一日も早く良くなってほしい、という竜太への気持ちがこみあげてきた……。
5
一時限目は歴史の授業だ。教室の入り口の外側で、島野先生が始業ベルを待ちながら、その場でランニングをしている。
教室の中には入ってこない。始まる一、二分前にやってきて、いつも先生はベルが鳴るのを、そうやって待ちかまえているのである。
初めは、変わった先生だな、とみんな思った。けれども最近は、生徒もなれっこになってしまって、首をすくめながら先生のわきをすり抜け、ぎりぎりの時間に駆けこんでくる者もいる。
ベルが鳴った――。
島野先生がランニングのままの姿勢で、教室に入ってくる。
「諸君、おはよう!」
その格好を見て、女子生徒の何人かが、くすくすとしのび笑いをもらした。
開口一番、島野先生が叫んだ。
「大変だ、みんな! 一大ニュースだ!」
目をまん丸くして、いっせいに生徒が島野先生を見つめる。
「じつは今度、この学校に、イギリスの中学生たちがやってくることになった。親善訪問だ――」
M中学のあるこの東京近郊の市は、イギリスの一都市と姉妹交流を結んでいる。その関係で、そこにあるパブリック・スクールが、一週間後にこの中学を訪れることになったのである。
「君たち、英語は大丈夫か――」
島野先生がほほ笑みながら、あごをさすった。
生徒のひとりが首をかしげる。
「そうか……英語をしゃべるのか」
「あたりまえじゃない。イギリス人だもん」
笑いと歓声が、教室にこだました。
「あいさつぐらいは、しっかりいえるように覚えておいた方がいいな」
「先生はどうなんですか、英語?」
「君たち、みくびっちゃ困るなあ。英語はいまや、国際人の常識ですよ」
「楽しみだな。先生の英語、通じるかどうか……」
教室に、またいちだんと大きな笑いが響きわたった。
「それから――しかもだな、授業参観のあと、午後からここのサッカー部と親善試合をすることになった」
教室の空気が、一気に盛りあがった。
「おー! 負けられないぜ」
「どんな試合になるのか……わくわくするわね」
「よーし、しっかり応援しなくちゃ」
「みっともない試合だけはやめてよね」
バレーボール部の花岡咲子である。咲子はいつもこんなふうに、お母さんのような口をきく。
「あーあ、竜太君が出れたらなあ。あと一週間じゃ、その足、治らないでしょ。大幅な戦力低下ね」
剣司にとっては、カチンとくる言葉だ。
「いいよ、その分、おれ頑張るから……」
「ふたり分の活躍してくれなくちゃ、困るわよ」
「大丈夫だよ。剣司なら!」
竜太が振り向きながら、にこやかな笑顔を見せた。
「親善試合なんだから、勝ち負けなんかにこだわらないで、楽しくやればいいんじゃないかしら……」
誰かの声に、咲子がひとみを丸くして、身を乗り出した。
「だめよ、そんなの! 全力を出して戦うのよ。手かげんなんかしたら、かえって相手に失礼だわ」
「ぼくも、そう思う。最後の最後まで真剣に戦いあってこそ、ほんとうに仲良くなれるんじゃないかな」
竜太の意見に、クラスの何人かがうなずいた。
戦いとは、不思議なものだ。互いに傷つけあう戦いもあれば、互いに生かしあう戦いもある。分裂をもたらす戦いもあれば、結びつきをはぐくむ戦いもある。
子どもたちは、よくケンカをする。けれども、“ケンカ”と“いじめ”とは違う。ケンカをした者同士が、かえって仲良くなることがあるではないか。
ケンカにもルールがある。彼らにとっては、スポーツのようなものであったかもしれない。
相手との全魂をこめた戦い、真剣な戦い、虚飾をとり払った人間と人間のぶつかり合い――スポーツにかぎらず、何事にあっても、そのとき人は初めて「人間」と出会うことができるのだ。そこに、真実の友情も芽生えるのだ。
「咲子や竜太のいう通りだ――とぼくも思う。遠慮はいらない。サッカー部のメンバーは、自分の力を最大限に発揮して、パブリック・スクールの生徒と戦ってほしい。そうしなければ、ほんとうの自分を相手にわからせることもできないし、相手のほんとうの姿も見えてこないだろう。そこには、真実の心のふれあいもありえない――」
「先生!」
いちばん前にすわっている生徒が手をあげた。
「パブリック・スクールって、どんな学校なんですか」
「いい質問だ。パブリック・スクールとは、イギリスの伝統的な私立の中等学校のことをいう――」
多くは寄宿制で、勉学はもとより、寮生活とスポーツのなかで、精神と肉体を鍛えはぐくむ。大英帝国を支えた人材も、ここで育成されたといわれる。
ワーテルローの戦いで、かのナポレオンを敗走させた、イギリスのウェリントン将軍が「この勝利は、イートン校(パブリック・スクールのひとつ)の校庭で準備された」と語った言葉は、あまりにも有名である。
「勝てるかな。なんだか強そうだけど……。おまけに、サッカーっていえば、あっちが本場でしょ……」
「そうだ。イギリスのイングランド地方が発祥地になっている。よし、それでは、サッカーの歴史もひとつ――」
どうやらきょうの授業は、はじめから“脱線”している。本線には戻りそうもない。
サッカーというのは、十九世紀に統一ルールが定められてからの呼び名である。それまではフットボールといった。もっとも、いまでもこの名はよく使う。
イングランドにおけるフットボールの歴史は古い。十四世紀にはしばしばフットボール禁止令が出されているから、それ以前から盛んに行われていたことが推測される。
どうして禁止令が出されたのか。というのも、当時のフットボールは、まことにすさまじいものだったからである。
なんと数キロもへだてたゴールをめざし、何百人という群衆が大喚声をあげながら、怒とうのようにいったりきたりする。
なぐりあいはする。ケガ人は続出する。畑は踏み荒らされる。商店は壊される。窓は破られる……。それは、あきれ返るほどの騒ぎであったようだ。
スポーツというより、ひとつのお祭りであったといってよい。しかし、被害がばかにならない。そこで、何回となく、禁止令が出たのであった。
十九世紀になると、フットボールは、パブリック・スクールの教育システムのなかにも取り入れられた。卒業生たちは社会に出ても、フットボールを愛好した。しかし、学校ごとにルールがばらばらだったので、自由な交流試合ができない。そこで一八六三年、統一ルールが制定されるようになった。
サッカーは大英帝国の発展とともに、世界へと広まった。今日、サッカーは、多くの国の人々に親しまれ、“スポーツの王様”とか、“世界のスポーツ”といわれている。
6
「ところで、君たちは、『チップス先生さようなら』という本を知っているか。ジェイムズ・ヒルトンの作品だが、読んだことのある人!」
いつものように、島野先生がまっすぐ手をあげながら、みんなの顔を見まわした。
三人の手があがった。花岡咲子と、風間竜太と、そしてもうひとりは夏井リエという生徒である。
「ほお! 三人もいるのか。このクラスは感心だなあ――。じゃあ、感想でも内容でも、簡単でいいから、ひとことずつしゃべってくれないかな。どうだった、あの本を読んで――。まず、咲子から聞こうか」
「うーん……。あんまりよく覚えていないんですけど、たしか、イギリスの学校が舞台で……」
「そう、舞台はブルックフィールドという名のパブリック・スクールだ――」
「それで……チップス先生というのはそこの教師で、生徒たちの思い出話などが書かれている小説なんです」
「たとえば?」
「あっ! そういえば、サッカーの話も、ちょっと出てきました――」
ブルックフィールドのチームが、貧民街の少年たちを招いてサッカーの試合をすることになった。上流階級の子弟が集まるこの学校では、初めてのことだった。
それを実現させたのは、チップス先生の妻キャサリンである。貧民街の少年などはゴロツキに決まっている、きっとひと騒動もちあがるにちがいない――という反対をおしきっての試みであった。
少年たちは、ある土曜の午後、ブルックフィールドにやってきて、サッカーの試合を楽しんだ。そのあと、大食堂で肉料理つきのお茶をともにし、学校を見物した。
試合は五対七で負けたけれども、貧民街の少年たちにとっては、忘れられない思い出のひとときとなった……。
「チップス先生の奥さんは、自分の主張はどこまでも貫いて、しかも心はとても優しい――と思いました」
だれかが、つぶやいた。
「咲子も、半分だけ似てるな……」
「それ、どういう意味!」
島野先生がにこにこしながら、教壇の前をいったりきたりしている。
「じゃあ、今度は夏井リエに話してもらおうか」
「はい。チップス先生は……かわいそうだなと思います。だって、自分の教えた生徒たちが、戦争で次々と亡くなってしまうんですから……」
作品の時代背景は、十九世紀の終わりから二十世紀のはじめにかけてである。大英帝国は、世界のあちこちで戦争をしていた。大英帝国ばかりではない。ヨーロッパ中に、世界中に、いつも戦争の火種がつきなかった。そのなかで、多くの若者が死んでいった。
スエズ運河問題にからむ反乱の鎮圧、露土戦争への干渉、南アフリカで起きたブール戦争、アイルランドの内乱、そしてヨーロッパ中を戦火にまきこんだ第一次世界大戦……。
チップス先生の教え子も、それら数多くの戦争で命を落とした。とくに、第一次大戦の時期は悲惨であった。
毎週日曜の晩には、戦死した生徒の名が読みあげられる。それが、あるときには二十三名にも達した。
いちばん体つきの小さかった生徒も、フランス北部のキャムブレエ上空で撃ち落とされた。サッカーの試合にやってきた貧民街の少年のひとりも、ベルギーの激戦地パッシェンデールで戦死した。
チップス先生の脳裏には、これまで教えてきた何千人という生徒の顔と名前が浮かびあがってはなれない。若くしてこの世を去った子どもたちを思うとき、チップス先生はどんな気持ちになっただろう。
「なるほど……。たしかに、そうだな……。戦争というのは、若い命を犠牲にする。たくさんの市民もまきこむ。それだけではない。残された者の胸にも、一生消えない悲しみをきざみつける。戦争だけは、起こしてはならないね」
もう梅雨に入ったのだろうか。雨は小止みなく降り続いている。放課後の練習は中止になりそうだ。となれば、きょうもまたサッカー部の全員で、ワールドカップの試合をビデオ教室で見ることになるかもしれない……と竜太は感じた。
次は竜太の番だった。『チップス先生さようなら』の感想を、なにか語らなくてはならない。
サッカーだけでなく、竜太は読書も好きだった。家庭環境が幸いしたのかもしれない。家には、本がたくさんあった。
父の本だなには、いろいろな本が並んでいる。文学もあった。哲学や思想の本もあった。自然科学の図書もあった。ミステリーもあった。
竜太は三人兄弟である。大学一年の兄と高校二年の姉の本箱にも、面白そうな書物がいっぱいある。
兄は、大学でラグビー部に入っている。それだけに、ラグビー関係の本がわりと多い。「お前、大学に入ったら、ラグビーやれ」と兄はかならずけしかける。しかし竜太は、ラグビーも面白そうだけど、やっぱりサッカーがいいや、と思うのだった。
一方の姉の本箱には、SF小説やファンタジーがそろっている。将来は、この手の作家になるつもりらしい。「わたしみたいなAB型の血液の人間って、SF作家に向いているのよね」と得意そうにいう。根拠は、よくわからない。
母の場合は、読書といっても、推理小説専門である。父の本だなから、あれこれ品さだめをしては一冊持ってきて、それに読みふけっている。「うーん、犯人はひょっとして、この人じゃないかなあー」としばしばつぶやく。そばにいる父が「甘いな」とやり返す。
『チップス先生さようなら』も、父の本だなから引き出してきたものだった。文庫判の薄い本である。百㌻ちょっとしかない、これならすぐ読めそうだと思って手に取ったのだが、けっこう難しいなと感じたところも何カ所かあった。
しかし、花岡咲子や夏井リエの感想を聞いたり、先生の話に耳を傾けているうち、竜太は作品のイメージがあらためて鮮明になってくるのを覚えた。
「最後は……竜太だな。あ、すわったままでいい」
島野先生が竜太の足を気づかって、そっとうなずいた。
「心に残っているところはいくつかあるんですが、ぼくはドイツ人の先生が戦死した話を取りあげたいと思います。印象深かったものですから――」
ブルックフィールドには、シュテーフェルというドイツ人の教師がいた。みんなから親しまれ、友人もたくさんいた。
その教師がドイツに帰国しているとき、戦争が起きた。彼は祖国のために戦い、そして西部戦線で戦死した。
毎週の戦死者名簿を読みあげるとき、チップス先生は、彼のために哀悼の意を表した。敵国人として死んだにもかかわらず……。
竜太の発表のあとで、島野先生がつけ加えた。
この作品のなかのエピソードではないけれど、第二次世界大戦のときにも似たようなことがあったのだ。あの残酷な戦争が終わってから、イギリスのオックスフォード大学に記念碑が建てられた。戦没者学生の名を刻んだ石碑である。そこには、イギリス人学生とともに、ドイツ人留学生の名もきざまれていたという。
「竜太は、とてもいい話を取りあげてくれた。さあ、こういった話を聞いて、君たちはどう思う。どうしてイギリス人は、さんざん戦争で苦しめられたドイツ人の名前を、同じようにあつかったのだろう。剣司、どうだ」
「敵としてではなくて……同じ人間として……相手を見たからだ……と思います」
「そうだな。そういう心をなんという、たとえばスポーツの世界の言葉を使えば――」
「…………」
「うらみだとか復しゅうなんかにまみれた心ではなくて、どこまでも相手を自分と同じ人間として対等にあつかおうとする、とてもさわやかな透き通った心だよね。反則なんかやりそうもない、きれいな心のことだ」
「……フェアプレーですか」
「その通り! あの悲惨な時代のさなかにあっても、彼らはフェアプレーの精神を失わなかった、というわけだ」
「先生!」
剣司が真剣なまなざしになった。
「どうしても、よくわからないことがひとつあるんです」
「なんだ。いってみろ」
「スポーツも戦いだし、戦争も戦いですけど、戦いというのは、いいんですか、悪いんですか――」
「うん、これは大きな問題だな。まずスポーツについてだけど、結論からいえば、スポーツという戦いは、その戦い方によって良くも悪くもなる――と思う。つまり、フェアな心があるかどうかで決まるんだ」
「…………」
「戦いは、あくまでも対等で、正々堂々とわたりあわなければならない。そのためにルールがある。不正行為というのは、自分だけが有利な立場に立とうとするきたないプレーだ」
島野先生が手を後ろに組んで、机のあいだを歩き出した。
「たとえば、まもなく中間テストがあるけれど、カンニングは絶対いかんぞ」
島野先生が、とてもこわい顔になった。
「カンニングなんて、たいしたことじゃない――と思ってる者がいるかもしれないが、しかしぼくは許さん。アンフェアなずるい行為だからだ」
いつにない迫力だった。みんなは息をひそめて、島野先生の表情を見つめている。
「フェアな心で、全力を出して戦う――そのとき人は、肉体的にも精神的にも、自分のもっている可能性を最大限に発揮し磨くことができる。逆に、ごまかしてうまくいったとしても、それはなにより自分自身のためにならない。その味を覚えてしまって、真剣に自分を磨こうという気が起こらなくなってしまうからだ。不正行為は、他人をごまかすだけではない。なにより自分をあざむいてしまうのだ」
君よ! 他人に対して正直であるばかりでなく、自分自身に対して正直であれ。フェアな心とは、こうした正直な生き方をいうのだ。
そのなかに、他者との真実のふれあいがはぐくまれる。人間関係のわずらわしさから逃げるのでもなく、いつわりの親しさでとりつくろうのでもなく、ほんとうの自分をさらけ出してぶつかっていけ。
文字通り、それは戦いである。しかし、その他者との格闘と触発のうちに、真実の心と心が共鳴しあうのだ。そこに、揺るぎない友情の絆が築かれるのだ。
「その意味で――戦争とは、各人がフェアな戦いを忘れたためにいきつくところの究極的な悲劇なのだ。一人ひとりが、他人をあざむかず、自分に正直に、どんなときにもフェアな心を失わずに生きることが、じつは平和を築く最大の力なのだ。ぼくはこんなふうに思うんだけど、どうだろう――」
歴史の時間は、ついに“脱線”したままで終わった。
竜太は、新学期がはじまって最初の歴史の時間に、島野先生がいったことを思い出していた。
――君たちは、歴史の授業をそれほど大切には思っていないだろう。だいたい、数学や英語などに、力を注いでいるだろう。それはまちがいではない。
しかし、そのあまり、歴史なんかどうでもいいやというのは、とんでもない勘違いなんだ。
そもそも昔は、学問をするといえば、歴史を学ぶことだったのだ。荻生徂徠という江戸時代の学者は「学問は歴史に極まり候」とまでいっている。人間社会の移りかわりはどうであったか。民族はどのように興隆し、どのように滅亡していったか。現在を、そして未来を生きるために、人々は過去の歴史を真剣に学んだのだ。東洋でも西洋でも、この事情は変わらなかったといってよい。
大人になって社会に出たとき、君たちはあらためて、歴史という学問の大切さを痛感するだろう。
もちろん仕事によって、生きてくる学問はちがう。エンジニアになれば数学や理科はおろそかにできないだろうし、海外でのビジネスには英語が欠かせない。
しかし、歴史を学ぶということは、人間を学ぶことであり、人間の生き方を習うことになるんだ。歴史という学問を軽くみてはいけない……。
島野先生の授業は、教科書に書いてあることをそのまま教えるやり方ではない。どちらかといえば“脱線”の連続で、あっちへとんだりこっちへきたりする。
この日もそうだった。竜太は、島野先生の話をいろいろ思い浮かべながら、心に確かな手応えをもって何かが残るのを感じていた。
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なんだか心が落ち着かない――どういうわけなんだろう。なぜ、こんなに息苦しいのだろう……。
剣司には、わかっていた――黒雲がかぶさってくるような、このいやな気分が、あの紅白試合での竜太との一件から始まったことを。それが時を経るにしたがって、ますます大きくふくらんでくる。
はじめは、小さなしこりであった。これは気のせいだと、自分で打ち消すこともできた。ところが、日がたつにつれ、だんだんとふくらみ、もはやごまかすことのできないほど大きなものとして剣司にのしかかってきた。
大声で笑っても、心のすみではそのしこりの存在を意識している。うれしいことがあっても、素直に喜べない。そんな自分を、剣司はどうすることもできなかった。
剣司は、あせっていた。早く自分の心をすっきりさせるのだ。そうしなければ、自分のほんとうの力が出せそうもない。
一週間後には、パブリック・スクールの少年たちとの試合をひかえている。それまでには、なんとしても、もとの自分をとりもどさねばならない。
そのためには、なにをしなければならないか――それも剣司には、よくわかっていた。
竜太だ! 竜太に、あのときのことを、正直に、包みかくさず打ち明けるのだ……。そして……そして……。
これまでにも何度か、そのように思い立ったことがある。しかし、なかなかきっかけがつかめず、うやむやになってしまった。
だが今度こそ、きちんと竜太に謝らなければいけない。しかし、いつ……どこで……どんなふうに……。
その日の最後の授業が終わるまで、剣司はひたすらそのことを思い悩んで、勉強にもほとんど身が入らなかった。
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