Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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(三)
小説 青春編「アレクサンドロの決断」他(池田大作全集第50巻)
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2
「原爆慰霊碑」のそばには、赤い炎がゆらいでいた。「平和の火」だ。照りつける太陽のもとで、ここだけはひときわ濃いかげろうが、ゆっくりと立ち上っている。
世界から、すべての核兵器がなくなったとき、この火は消されるという。人類を破滅へ導く核兵器が地上に存在するかぎり、この赤い炎は悲しげに燃え続けるのだ。消えるのは、いつの日だろう……と一城は思った。
平和記念公園には、外国人の姿も見えた。家族づれも多い。子どもたちが「平和の池」のまわりで遊んでいる。
公園には、鳩がたくさん舞っている。人間に慣れているのか、近づいても逃げようとしない。
平和そのものだ。しかし、たった一発の原子爆弾は、たちまちのうちに、この平和な風景を地獄に変えてしまう……。
三人は、公園のはずれにある平和記念資料館の階段を上った。広島に落ちた原子爆弾がどれほどの被害をもたらしたか――それを示すさまざまな資料が収められている。
入り口近くに、投下された原子爆弾の実物大の写真があった。長さ三㍍、直径〇・七㍍、重さ四㌧。“リトル・ボーイ”というニックネームで呼ばれたという。
爆発したウラニウムの重さは、たった一㎏に過ぎなかった。だが、それは、恐るべき威力を発揮したのだ。
焦土と化した広島市街の模型もあった。小さな球が、上から糸でつり下げられている。地上から五八〇㍍のその位置で、原爆は炸裂したのだった。
別の一角には、三体の異様な蝋人形があった。炎の逆巻くなかを、親子が逃げまどっている。ほとんど放心状態で、幽霊みたいに両手を前へたらしている。髪はボサボサで、指先からは、皮膚がボロ布のようにたれ下がっている。当時の惨状を再現したコーナーだった。
ひんやりと涼しい館内を回るうち、一城はだんだんやるせない気持ちになってきた。原爆の被害はこんなにすさまじかったのか……という驚きが、一城の胸を鋭くついたのである。
しかし、それだけではなかった。展示されている遺品の数々から伝わってくる何ともいえない雰囲気に、一城は強い衝撃を受けた。
熱線を浴びて、ぐにゃりと曲がったガラスびん……。溶けて、くっつきあったままの、何百本という縫い針……。文字の部分だけが焼け落ちた名札……。丸焦げに炭化したご飯が中に残っている弁当箱……。
もはや悲惨という言葉だけでは、片づかない。永久に繰り返してはならない、このとんでもない暴力――。何と、おぞましいことだろう。どうして、こんなことが許されるのだろう。怒りと悲しみ、おそれとおののきが、一城の心の中を走った。
一城は、何も言えなかった。どんな言葉をもってしても、今のこの気持ちは表現できなかった。足どりが、自分のものではないような気がする。一城は、立ち止まって、大きく息をついた。
そのときだった。一城は、八重子おばさんの姿が見えないことに気づいた。ひっそりと静まり返った館内には、見学者が三々五々たたずんでいる。そのどこを探しても、八重子おばさんはいなかった。
「おばさん、どこへ行ったの……?」
一城は、光枝の顔を見上げた。光枝は、ふっと目をそらすと、つぶやくように言った。
「……気分が悪いのよ。……出口のところで待ってるはずよ」
八重子おばさんは、出口の脇のベンチにいた。目を固く閉じている。両手は握りしめられて、ひざの上に置かれていた。
「……おばさん、大丈夫ですか?」
「ああ……一城ちゃん。……心配はいらんのよ……心配はいらんのよ」
八重子おばさんは、自分を励ますようにそう言うと、ベンチから立ち上がった。
しかし、一城には分かった。八重子おばさんには、耐えられなかったのだ。おばさんに、どうして遺品の数々を平気でながめることができよう。どれもみな、あの日の記憶を呼びさましてやまないのだ。
夾竹桃の花にさえ、顔をそむけるおばさんである。ここは、おばさんにとって、あまりにも生々しいのだ。
四十一年前の夏、いったい八重子おばさんは何を見、何を聞いたのか……。一城はおぼろげながら分かる気もしたが、八重子おばさんの心の奥は、とてもはかりきれないように感じた。
資料館のとなりには、平和記念館がある。八重子おばさんは、近くの休憩所で待っているという。一城は、光枝といっしょに、記念館へと足を向けた。
記念館では、記録映画を上映していた。広島や長崎の悲劇を伝える貴重なフィルムである。
被爆した人たちのようすが、次々に映し出されていく。焼けただれた人、人、人……。背中一面に火傷を負った男の人がいた。顔面へまともに熱線を浴びた母親もいた。そして、もはや動かぬ幼い子どもたちもいた。
一人の少女が、スクリーンに現れた。じっと立っている。髪の毛は全部ぬけ落ちて、丸坊主になっていた。
かわいい少女だった。少女は、カメラをまっすぐに見つめている。不思議なほど、静かで、おだやかなまなざしである。
少女は、何を考えているのだろう。何を感じているのだろう。放射線を全身に浴びて、髪がなくなってしまった少女……。お父さんやお母さんは、どうしたのだろう。この少女は、それからどうなったのだろう。
小さな女の子が、ベッドの上に横たわっていた。七つか八つぐらいだろうか。弱々しく身をよじって、しきりに泣いている。まわりで医師や看護婦が、一生懸命、手当てをしていた。
静寂のなかに、フィルムだけが回っている。ナレーションが入った。女の子は「お母さん……お母さん……」とつぶやいていたそうだ。その声が、このフィルムを撮ったカメラマンの耳には、今でもこびりついて離れないという。
一城には、スクリーンがかすんで見えなくなった。一筋の涙が、ほおを伝った……。
父を失い、母を失い、兄弟を失い、そしてみずからも深い傷を負って……。それでも、子どもたちは「生きたい!生きたい!」と一城に訴えかけているようであった。
どうして同じ人間に生まれてきたのに、こんなに苦しまなければならないのだろう。
大人たちが、勝手に始めた戦争だ。この子たちには、何の責任もないはずだ。もしこれが、自分たちのことだったらどうだろうか
ふと中村君のことが、頭に浮かんだ。自分で招いた災いなら、少しはあきらめもつくけれど……。中村君の場合だって、同じだ。彼は少しも悪くない。なのに、自殺に追いやられるほど、中村君は悩んだのだ。
そのとき、一城は思った。中村君もきっと、心の底では「生きたい! 生きたい!」と叫んでいたにちがいない。その生命の力を、どうしたらよみがえらせることができるのか。そのために、ぼくは何をしたらいいのか。ぼくにできることは何なのだろう。
平和記念館を出ても、夏の日のまぶしい陽光に目を細めながら、一城は考え続けた。人の幸せとは何だろう……。不幸は、どうして起きるのだろう……。生きるって、どういうことなんだろう……。
八重子おばさんは休憩所で待っていた。三人はジュースを飲んだ。冷えていて、とてもおいしかった。飲みかけのコップをテーブルの上へ置くと、八重子おばさんは戸外の日差しへ目を向けてつぶやいた。
「今年も、暑い夏になったねぇ……」
「一城君! 疲れたでしょ」
「いえ、平気です。だけど……こんなにひどいとは思いませんでした……原爆というものが……」
「だけどね……あれでも、まだまだ足らんのよ。あの百倍も、千倍も、もっともっとひどいんよ。広島の悲劇はのう……」
「お母さんは、今でも夏になると、体の具合がおかしくなるのよ」
「へえ……今もですか!元気そうに見えますけど」
「この時期になると、熱もないのに体がカーッとなってねぇ……。息苦しくて、だるいんよ……。ひと休みすれば、もとに戻るんだけどね……」
「お母さん、じゃあ先に帰ってて。一城君は、あたしが案内するから――」
ふだんは、かくしゃくと動き回っている八重子おばさんである。何でも、てきぱきと事を運ぶ。近所の人たちとの話しぶりを見ていても、気さくで明るい。
それが、どうしたことだろう。毎年、原爆の落ちた季節になると、体調がおかしくなるというのだ。後遺症は、いまだに続いているのである。
3
建物の日陰づたいに、バスの停留所へと歩いていく八重子おばさんを見送ると、光枝は元気づけるように、一城の肩をポンとたたいた。
「さあ! 行動開始よ! 最後に、もう一つ、一城君にぜひ見せておきたい所があるの!」
光枝は、椅子からさっと立ち上がると、平和記念公園の中を、今来た方角へと戻り始めた。一城は小走りで追いつきながら、光枝の顔をのぞきこんだ。
「あの……」
「なあに、一城君」
「……おなか、すきませんか?」
「あっ、そうか! もう、お昼過ぎだもんね。うん、すぐそこだから、そのあとお昼にしましょう! 冷やし中華でも、ご馳走するから。それまで、おあずけ」
光枝は、公園の西のほうへすたすたと歩いて行く。一城は、あわてて光枝のあとについて行った。
やがて二人は、橋のたもとへ出た。欄干に本川橋と書いてある。川の向こうは、にぎやかなビル街だ。今度はいったいどこへ行くのだろうと一城は思った。平和記念公園は、橋のこちら側までであった。
橋を渡ったすぐ右の一角に、柵で囲われた小さな土地があった。石碑が立っている。
「さあ、ここよ!」
光枝が立ち止まって、振り返った。
石碑は、石造りの大きな亀の甲羅にのっている。変わった形だな、と一城は思った。
碑には、「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」と刻まれていた。
「韓国……?韓国の人たちも、原爆の被害を受けたんですか?」
「そうよ――」
当時、広島には、約十万人の韓国人がいた。多くの人々は、工場や土木工事の現場で働いていた。そのうちの何と二万人が、あの原爆で命を奪われたのである。
韓国の人たちも、たくさん犠牲になっている。そのことを知ったとき、光枝はグループの友達と、今も広島にいる韓国人被爆者から話を聞いてみよう、と思いたったのである。
だが、韓国の人たちの口は意外に重かった。光枝が会いに行った婦人も、最初は「あんたらに話すことなんか、なんもない」と、けんもほろろだった。
それでも光枝は通い続けた。「おばさん、元気?」と、機会があれば立ち寄った。
心を開いて語ってくれるまで、一年かかった。
土地を奪われ、職を求めて日本へやってきたこと。安い賃金で過酷な労働をしいられ、食いつなぐために、各地を転々としたこと。そして広島で、原爆の閃光を浴びたこと。親しい人もなく、さりとて故国へ帰ることもできず、たった独りでつらくさびしい戦後の日々を送ってきたこと……。
そうした話を聞いて、光枝は、それまで自分たちだけが被害者だ、と思っていたが、そうではないことを知らされた。ここには、二重三重の苦しみを背負ってきた人たちがいるのだ。
歴史的にみれば、韓国の人たちは、日本ともっとも交流の深い民族である。ある意味では、文化の懸け橋となって、日本と大陸をつないでくれた恩人ともいえよう。ところが、明治四十三年(一九一〇年)の日韓併合以来、植民地政策によって、韓国の人たちは言うに言われぬ不当な扱いを受けた。そのうえ、広島と長崎では、原爆の悲劇をもこうむったのである。
しかも、戦後も彼らへの救済は遅れた。多くの人の努力によって、韓国人被爆者に原爆治療法がどうにか適用されるようになったのは、何と昭和五十三年(一九七八年)、原爆が投下されてから三十三年も経てのことであった――。
平和記念公園から川一本へだてた所に、ポツンとさびしそうに立つ慰霊碑。とても悲惨な目にあったのに……。一城の心はますます重くなった。
「私が話を聞いた韓国の人たちはねぇ、本当に優しかったわ。まるでお母さんみたいなぬくもりを感じたの。大変な苦労をしてきたのにね。でも、つらいことを経験してきているからこそ、人を思いやる気持ちの大切さを身にしみて感じているんじゃないかしら……」
光枝は、にっこりとほほえんだ。
「よし!それじゃあ、お昼にしようか」
「賛成!」
二人は、勢いよく歩き始めた。
4
午後から、夕立になった。なかなか降りやまなかった。雨脚は、ときどき思い出したように強くなった。
あしたは、いよいよ東京へ帰る日だ。中村君は、どうしているだろう。一日も早く、元気になってほしい――。
この一週間近く、八重子おばさんと光枝は、一城をいろいろな所へ連れていってくれた。広島城や縮景園、平和記念公園ばかりではない。
広島港の桟橋や元宇品公園にも行った。こども文化科学館も楽しかった。デパートでの買い物にもついて行った。市民球場でプロ野球の観戦もした。八重子おばさんと光枝は、熱烈な広島カープのファンなのだ。
何だか、あっという間に、時間がたってしまった気がする。けれども、一城は、ずいぶんたくさんのことを学んだ思いだった。そして、何よりうれしかったのは、八重子おばさんと光枝の気さくで明るいもてなしだった。
八重子おばさんは、今でも夏になると体調がおかしくなるらしい。けれども、それを乗り越えて、毎日はつらつとしている。たいへんな人生を送ってきたのに、あの元気はいったいどこから来るのだろう。本当に強い人というのは、おばさんのようにたくさんの苦難に打ち勝ってきた人のことかもしれない。
光枝にも、伸び伸びとした明朗さがあった。ひとみは、いつもキラキラと輝いていた。何をするにも、快活な素振りがとても印象的だった。
雨が、また一段と激しくなった。涼しい風が、家の中をゆるやかに流れていく。
光枝の本棚をのぞいてみよう、と一城は思った。「原爆のことを書いた本なら、あたし、たくさん持ってるから、暇があったら見てごらんなさい」と言う光枝の言葉を、思い出したからである。
本棚のひとつの段は、原爆関係の本ばかりだった。被爆の体験集がある。写真集もある。小説や詩もある。
一城は、しばらく背表紙をながめていたが、やがて一冊の本を取り出した。パラパラとページをめくると、平和記念資料館で見た遺品の数々が写っていた。
そのうち、“リトル・ボーイ”が目についた。広島に投下された原子爆弾である。
となりのページには、元安川での水泳風景の写真がのっていた。子どもたちが、たくさん遊んでいる。川のシジミがとれたという。それは昭和十五年(一九四〇年)ごろのおだやかな夏の日に撮影されたものである。
一城は、そのあたりの文章を何気なく読んでみた。どうして広島に原子爆弾が落とされるにいたったのか――が書いてあった。
5
原爆開発のマンハッタン計画は、驚くべき早さで進み、一九四四年(昭和十九年)八月には一年後に完成する見通しがたった。翌九月、原爆投下の任務をになう第509混成部隊が編成され、極秘裏のうちに訓練が開始された。
一方、日本のどこに原爆を落とすかをめぐって、さかんに討議がかわされた。軍需施設があって、そのまわりに密集した建物がある都市――それが選択の基準になった。
原爆の威力を正確に測定するため、目標になりそうな都市は「絶対に爆撃するな」という命令が出されていた。日本の主要都市がアメリカの爆撃機B29の大編隊によって次々と襲われるのに、なぜか広島には大規模な空襲がまるでなかった。
広島県は昔から、ハワイやアメリカへ渡った人が多い。「広島は米国に二世が多いから空襲されないんだ」という噂すら広まった。
白い雲をひいて、敵機の編隊が、はるか上空を通り過ぎる。どこの都市へ向かうのだろうか。市民は、もう慣れっこになっていて、振り返りもしない。子どもたちも「今のはBさんだ」と言って爆音のあてっこをしながら、川遊びに興じていた。
子どもたちは、じつにたくましい。大人たちの始めた戦争をよそに、彼らは暗雲のたちこめる時代にあってもなお、みずからさまざまな遊びを編みだし、活発に日々を生きる。しかし、戦火の残酷な嵐は、そうした子どもたちのささやかな日常生活をも、情け容赦なく吹き飛ばしてしまう……。
一九四五年(昭和二十年)七月十六日の午前五時三十分――。史上初の原子爆弾が、ニューメキシコ州アラモゴードの砂漠で炸裂した。その二時間半後、重巡洋艦インディアナポリス号は、原爆第二号を積んでサンフランシスコを出港した。
七月二十五日、トルーマン大統領は、原爆投下の命令書を承認した。日本の降伏を勧告するポツダム宣言が発表される前日のことだった。
一、第20航空軍第509混成部隊は、一九四五年八月三日以降、天候が目視爆撃を許すかぎり、なるべくすみやかに最初の特殊爆弾を次の目標の一つに投下せよ。
目標=広島、小倉、新潟および長崎
二、特殊爆弾計画者による諸準備の完了次第、第二発目を前記目標に投下するものとする。前記以外の目標を選定する場合は別に指令する。
三、本兵器の対日使用に関する情報は、陸軍長官および大統領以外にはいっさい洩らさないこと……。
七月二十六日、インディアナポリス号はグアム島の北西にあるテニアン島に到着し、原爆が陸揚げされた。八月五日夕刻、原子爆弾“リトル・ボーイ”は、B29エノラ・ゲイ号に積みこまれて発進準備を完了した。
八月六日午前二時四十五分(日本時間=午前一時四十五分)、エノラ・ゲイ号はテニアン島を飛び立った。投下作戦に参加したのは、七機のB29だった。まず、エノラ・ゲイ号の発進一時間前に、三機の気象観測機が、それぞれ広島、小倉、長崎の各都市へ向かった。投下時の科学観測と写真撮影をする二機は、エノラ・ゲイ号のあとについた。残り一機は、他機の故障に備えて、硫黄島で待機する手はずだった。
八月六日……その日は、月曜日だった。それまで、空襲がなかったとはいうものの、広島は西日本の中心的な軍都である。いざというときの準備は、着々と進められていた。
建物の疎開も、第六次の作業が進行中だった。この日も、六つの地区に分かれて、二千五百軒の家を取り壊すことになっていた。
空襲による火災の拡大を防ぐためである。消防道路や防空小空地を造って、何とか被害を最小限にくいとめようというのが疎開の意味であった。
疎開作業のため、広島の周辺地域からは、国民義勇隊がたくさんやって来た。中学校や高等女学校の生徒も、動員された。集合時間は、午前七時である。
日差しの強い朝であった。七時九分、警戒警報のサイレンが鳴り響いた。生徒たちは、教師の指示で、いっせいに物陰へ身をひそめた。
そのとき、一機の気象観測機が、広島から二十五㌔の上空にさしかかっていた。地上は厚い雲におおわれていた。ところが、やがて、目の前に雲の切れ間が大きく広がった。一万㍍下に、広島の緑の街並みがくっきりと浮かびあがった。
気象観測機は、郊外でUターンして、もう一度、広島上空の雲の切れ間を確認した。そして、エノラ・ゲイ号へあてて暗号電報を打った。
Y3…Q3…B2…C1
七時三十一分、広島市内に、警戒警報解除のサイレンが鳴った。避難していた国民義勇隊や動員学徒たちは「やれ、やれ」といった気分で、物陰から姿を現した。市民たちは、ふたたび朝のあわただしい日常生活へと戻った。
エノラ・ゲイ号は、気象観測機から送られてきた暗号を解読した。
――広島上空は、雲量全高度を通し十分の三以下。第一目標爆撃をすすめる。
エノラ・ゲイ号の機長は、送話器のスイッチを入れて、乗員に告げた。
「ヒロシマだ――」
それから四、五分後、エノラ・ゲイ号の照準器に、広島の市街が見えてきた。投下目標は、市街の真ん中にあるT字型の橋である。相生橋だった。
照準器に刻まれた十文字の中心に、T字型の橋がだんだんと近づいてきた……。
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「一城君! あらっ、えらいじゃない。読書中ね」
「……ああ、光枝ねえさん。お帰りなさい」
「よく降るわね、この雨……。さっ! 晩ご飯よ」
茶の間へ入ると、八重子おばさんが料理を並べていた。
「さあ、どんどんおかわりしんさいよ。今晩で、おしまいなんじゃけぇね」
いろいろと心に残る広島への旅だった。けれどもまだ、八重子おばさんから、原爆の話は、聞いていない。もう、今夜しか、チャンスはない。食事が終わったら、おばさんに言ってみよう……一城は、ハシを動かしながら思った。
テーブルの上を片付けると、光枝がスイカを運んできた。切り分ける光枝ごしに、一城は、テーブルの向こうにちょこんと座っている八重子おばさんを見つめた。おばさんは、優しいまなざしを、光枝の手元に注いでいる。一城の心を読み取るように、おばさんはそっと口を開いた。
「一城ちゃんと……ちょうど同じ年ごろじゃったんよ。あの日は……灼けつくような太陽と……青空が、いっぱいに広がっとってねぇ……」
八重子おばさんは、語り始めた。長い……長い……物語だった。
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