Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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(二)
小説 青春編「アレクサンドロの決断」他(池田大作全集第50巻)
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2
時は流れ、夏過ぎ、秋逝き、冬が来た。
ある朝、フィリッポスは、目覚めた寝台の上で、身に微熱を感じた。間もなく高熱が始まり、どっと寝込んでしまった。
ややかぜ気味だったのを押して勤めたところに日頃の緊張からくる疲れがつけ込んだのであろうか。
「十分に養生してからでよいから」と皇子から見舞いの言葉が来て、教場に出かけられない日が重なっていった。
全身を悪寒が襲った。
不眠。そして何を食べても受け付けなくなり、彼はみるみる痩せ衰えていった。宮中に勤める医者が差し向けられて来た。が、何が障ったものか、見当がつかない。宮中はもちろん、町なかにも、疫病流行の兆しは見られない。
「肺炎らしい」という声もフィリッポスの耳に微かに聴こえてきた。
投薬、湿布、放血手術と、さまざまな治療が試みられた。が、医者は首をひねるばかりであった。
十日、半月と日数は過ぎても、フィリッポスの高熱はひくどころか、ますます病状は悪化する一方であった。時折、手足に震えがきたり、弱々しく咳くほかは、彼は昏々と眠り続けた。もはや寝返りする力も残っていなかった。
フィリッポスの病床にアレクサンドロスが近づくことは、絶対に禁じられていた。
「何とかならないのか。病因は分からないのか?」
アレクサンドロスは苛立って、医者に問うた。
「それが何とも……。流行病でないとも言い切れません。決してお近づきになりませぬよう。とにかく一向に熱が下がるようすがないのでございます。こう高熱が続きますと……」
「大丈夫だろうか」
「…………」
医者は、弱々しくかぶりを振った。
「熱が下がれば、よいのか」
「さようです。熱さえとれますれば……。時々、うわ言を言うようになりましたが、それが危険でございます。意識のもうろうとした状態を示すものですから」
「うわ言だって? どんなことを言うのだ」
「そうでございますね……」
医者は、眉根にことさら皺をつくって言葉を選ぶように言った。
「皇子様の名を呼びました。アレクサンドロス様、と」
「え、私の名をだって?」
アレクサンドロスの顔は、みるみる愁いの色を濃くした。
「皇子の名より外には、何も申さないのです」
アレクサンドロスは、しばらく沈黙した。それから胸の奥底から吐き出す大きな息とともに、沈痛な声を発した。
「ああ、フィリッポス、そうだったのか。それはきっと、私と一緒に慣れない激しい教練や、心を張りつめた勉強に励んで、疲れきってしまったのだ。きっと、それにちがいない」
アレクサンドロスは、急に身を翻して、自分の部屋を出て行こうとした。
「どこへ行かれるのです?」
医者が、とがめた。
「フィリッポスのところへだ」
「いや、いけませぬ。悪い病気かもしれませぬ。大事なお体が、病に感じては……」
「いや、大丈夫だ。それより、仲間が死ぬかもしれない病に苦しんでいるのに、見殺しになど、出来るものか」
そう言い捨てると、アレクサンドロスは、押しとどめようとする医者の手を振り払い、フィリッポスの病室へと急いだ。
その時、病床のフィリッポスは、熱に浮かされた薄明の意識のなかで、夢を見ていた。
――遠くかすかに、眩い光彩を放つ騎馬姿が現れていた。そして、こちらを目指して、ゆっくりと近づきつつあるように見える。その姿は、次第に大きくはっきりしていく。それは、青銅の鎧や脇にかかえる大弓も勇ましい、一人の青年騎士であった。騎士は、気負い立つ黒駒にうち乗って、轡や武具を陽にきらめかせつつ、大きく弧を描くように悠揚として天空を馳せている。
(ああ、英雄アキレウス……あれは、アキレウスだ……)
フィリッポスの混とんたる意識は、鮮やかな騎士の影に引きつけられて、目覚めるように澄んでいった。
突然、騎士は踵を返して、自分の方へまっしぐらに駆けて来た。飾り毛も豊かなかぶとの中の顔がぐんぐん近づいて来る。目を凝らしたフィリッポスは、思わず息を呑んだ。
いつも皇子と二人で夢見合い、想像し合ったアキレウスの目鼻立ちではなかった。それは、まぎれもない、懐かしいアレクサンドロスその人の面影であった。そして、皇子が激しく駆り立てる黒い天馬も、まさしく皇子の愛馬ブケファロスにちがいない。
フィリッポスは、みるみる満身に力が湧いてくるのを覚えた。
アレクサンドロス様!――夢の中で、必死に叫んでいた。
アレクサンドロスは、疲れ果て、痛々しく横たわっているフィリッポスの寝台の傍らに跪いた。そして、手を差し伸べて、フィリッポスの片方の手にさわった。激しい熱が、指先からのぼってくる。もはや汗も枯れたらしく、皮膚は乾ききっていた。
その時、僅かにフィリッポスの唇が動いた。
「……アレクサンドロス様……」
確かに、そう言って、一瞬、病熱に潤んだ目を薄くあけた。思わず、アレクサンドロスは、フィリッポスの手のひらを、自分の両手の中に固く包んだ。
「フィリッポス、私だ。アレクサンドロスだ……」
フィリッポスは、微かに笑みを頬に浮かべたかに見えたが、また目を閉じた。皇子の言葉が聴こえたのかどうか、それは分からなかった。
その日も、次の日も、フィリッポスは、前後も知らない深い眠りにおちいったままだった。ただ、頬に赤みが蘇り、熱が解け始めている、実に不思議なことだが、助かるかもしれない、と医者は明るい顔つきで、アレクサンドロスに報告した。
約一カ月にわたり病床の身となっていた彼フィリッポスは、明るい回復の日を迎えた。そして、再び、教場に戻れる時も来た。
二人は、ひそかに末永く友であることを誓い合った。
ある日、アレクサンドロスが友に尋ねた。
「君は、こんなにも勉強して、何になりたいのだ」
フィリッポスは、真っすぐに友の目を見て言った。
「医者になりたいのです」
「医者に?」
「はい。どうしても立派な医者になりたいのです。私はもともと丈夫な体質ではありませんから、戦士には向きません。父を失ったのも、病のためでした。ですから、どんな病も治せる医者になりたいのです。それに、私の命は、皇子に助けていただきました」
「私に……?」
「そうです。アキレウスであるあなたさまに……。今度は、私が皇子をお助けしたいのです。どうか、いつまでも私をお側近く召し使って下さいませ」
涙が、はらはらとフィリッポスの両頬を伝わった。
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