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日蓮大聖人・池田大作

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8 仏教の「依正不二」論  

「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)

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1  「寛容の原理」
 池田 「唯だ一乗の法のみ有り 二無く亦た三無し」(法華経129ページ)とは、有名な『法華経』の「方便品」の言葉ですね。
 仏はさまざまな人々のために、その人々の機根に応じて教えを説く。そのために、声聞のための教え、縁覚のための教え、菩薩のための教えなど、教えに区別があるように見えるが、本当はただ一つの仏乗という乗り物しかないという意味ですね。
 もちろん、この「唯だ一乗の法のみ有り」は、すべてを生かしていく広大な「真理」があるという意味であり、相対的な意味での「一」ということではありません。全部を包括する「寛容な原理」を仏教は主張し、また求め続けるということです。
 ゆえに、「方便品」では、このあとに、仏は人々がいちばん苦しむときに現れるという「大慈悲」が示されるのです。
  『ウパニシャッド』の考え方は、しばしば「焚我一如」というひとことで言い表されます。「焚」すなわち「ブラフマン」とは、宇宙の大自然のことであり、「我」すなわち「アートマン」とは、「人」のことであります。この語の含意は、中国の「天人合一」にほぼひとしいと思います。
 池田先生は、トインビー博士との対談で次のように述べておられます。
 「仏法では、自然界そのものが独自の生を保つ生命的存在であると説いています。そして、人間は環境である自然と融和して初めて、ともに生を営み、享受できるのであって、それ以外に自己の生を創造的に発展させる方途はない、と教えています。
 仏法の”依正不二”の原理は、このような自然観に立って、人間と自然とが互いに対立する関係にあるのではなく、互いに依存し合う関係にあることを明らかにしているわけです。(前掲『二十一世紀への対話』)
2  東洋思想の最極致
  「依正不二」に関する示唆に富んだ考察は、同書でさらに展開されていますが、ここでは省略します。
 池田先生のご意見に、私は全面的に賛同します。
 トインビー博士も同書で、「依正不二」の意見に対して、完全に同意しています。
 韓国の東国大学仏教大学院院長である呉亨根オビヨンゲン教授は、私あての手紙の中で、「天人合一」は東洋思想の特徴であることを認め、次のように述べていました。
 「私個人としては、『天人合一』の思想は『大乗起信論』の中の『色心一如』思想と相通じるものではないだろうか、と考えます。僧肇そうじょう大師は『天地と我は同根であり、万物と我は一体である』と述べています。私は、この思想はまったく東洋思想の最極致と考えています」

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