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日蓮大聖人・池田大作

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1 牧口初代会長と創価学会  

「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)

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1  創価学会の発足
 池田 それでは次に、「『法華経』の現在」に話を進めましょう。
  賛成です。現在、世界のなかで、『法華経』を信仰し、実践し、研究している中心は、どこかというと、それは貴国・日本です。
 その日本において、『法華経』を中心経典とする仏教団体のなかで最大のものが、創価学会です。
 すなわち、「『法華経』の現状」を考察しようとするならば、「『法華経』の日本における現状」を考察しなければなりません。
 「日本における『法華経』の現状」を考察しようとすれば、まず「創価学会の現状」を考察しなければならない、と私は思うのです。
  『法華経』の中に包含されている内容と道理は、「奥」が深く、「幅」の広いものです。ですから、私のような「門外漢」は、むやみにくわしく論じることはいたしません。
 ただ、創価学会の初代牧口常三郎会長、第二代戸田城聖会長による「『法華経』理解」について言えば、それはインド、中国などの「東洋思想の真髄」と完全に一致します。
 牧口初代会長は教育者出身でしたね。
 池田 そうです。初代も二代も、教育者でした。創価学会は、もともと「創価教育学会」として出発したのです。
  牧口初代会長は、こう述べています。
 「価値と呼ぶことのできる唯一の価値とは生命である。その他の価値は、何らかの生命と交渉する限りにおいて成立する」(前掲『創価教育学体系』上、参照)と。
2  「価値創造」の思想
 池田 おっしゃるとおりです。牧口会長は、生きとし生けるものの生命、生存との関連性において、「価値」を考察したのです。
 牧口会長にとって「価値論」は、終生のテーマでした。創価学会の「創価」という意味も「価値創造」ということです。
 この点に関して、日本の仏教学の最高峰であった故・中村元博士が講演されたことがあります。
  中村博士は、よく存じあげています。
 池田 中村博士は、哲学・思想をあつかう日本の学問が「注釈、注釈」になりがちなことを憂えておられました。東洋思想にせよ、西洋哲学にせよ、すでに権威が定まっている思想家・哲学者が言ったことを祖述しているだけでは、「奴隷の学問」ではないか、と。
 しかし、牧口会長は、そうではなかった。「自分で考える態度」を貫き「自主的で、己が主人」であった、と言われたのです。
 具体的には、牧口会長が、それまでの「真・善・美」とか「真・善・美・聖」という価値体系から、「真」と「聖」の価値をのぞいて、「利」を入れたことに注目されました。
 博士は、こう述べております。
 「『利』というと利益を連想されるけれども、しかしこれは、案外、東洋哲学の核心に迫るものだと思
 われる。仏教でいちばん大事にするものは何だというと、結局、『人のためを図る』『人のためになる』ということである。
 その『ために』というのをサンスクリット語で『アルタ』(artha)という。これを『利』と訳すこともあれば、『義』と訳すこともある。『利』と『義』では違うと言われるかもしれないけれど、両方の意味にかかわる。人のためにもなり、それがまた自分のためにもなる、というところに一つの中心を置いているわけである」と。(「奴隷の学問をのり越えて」、『比較思想の軌跡』所収、東京書籍、引用・参照)
 このように、中村博士は、仏教の伝統に照らして、牧口会長の「価値創造」の思想を評価しておられます。

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