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日蓮大聖人・池田大作
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9 青年へのメッセージ
「東洋の智慧を語る」季羡林/蒋忠新(池田大作全集第111巻)
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1
慈悲と博愛
季
東洋文化の中心は、「天人合一」だと考えます。前にも述べましたように、「人間と自然、そして人間と人間は友人とならなければならず、敵となってはならない」のです。
私は二十一世紀に、世界中の人民が、とくに発展途上国の人民が、より聡明で、より理知的であってほしいと願っています。
二十一世紀はすでに到来しているにもかかわらず、世界平和はいつ来るとも知れず、覇を唱える者は相変わらず覇を唱え、侵略する者は相変わらず侵略し、戦火はいたる所であがり、矛盾は噴出しています。
これらの侵略者たちは、悪を悔い改め、善に従うようすもありません。人類の前途は、いったいどこへ向かっていくのでしょうか。私は非常に心もとなく感じています。
そうした世界にあって、私が次の世代に残すメツセージは、こうです。
「すべての世界人民は皆、互いに尊重し、互いに敬愛しあうべきです。だましあったり、憎しみあったりしてはなりません。仏教の慈悲を心とする精神を発揮し、儒教の博愛の精神を発揮しなくてはなりません」
池田
すばらしいメッセージをありがとうございます。
二十一世紀が、憎悪から憎悪への連鎖を断ち切り、暴力と戦争から決別し、平和と友愛に満ちたものになってほしい。民衆は、そう切実に願っております。
そのためには、季先生のおっしゃるとおり、民衆が、憎悪やエゴイズムを、慈悲と博愛の精神に転じゆく「精神の革命」に真っ正面から挑戦していかなければなりません。
2
人間の道
池田
次に蒋忠新先生におうかがいします。
季先生におうかがいした項目と重なるものも多いと思いますが、「てい談」を始めるにあたり、蒋先生のお考えも、読者に知ってほしいと思うからです。
先生は一九四二年、上海のお生まれです。日々の生き方から学問にいたるまで、おもにお父さまから教えられたことは何でしょうか。また、お母さまから教わったものは何でしょうか。
父から教えられたのは、「実力で生きていくこと」。また仕事を大切にする精神を教わりました。
また、母から教えられたものは、「財を見て貧らず、色を見て乱れず」(金銭を見ても貧らず、色情を見ても心が乱れない)ということと、勤勉、倹約の精神です。今なお心に深く刻まれています。
池田
なるほど。平凡で簡単なようですが、実際に「行う」となると、むずかしいことです。
私は母から「人さまに迷惑をかけるな」「ウソをつくな」ということだけは、やかましいほど言われました。
さて、蒋先生の人生を大きく左右した恩師といえば、なんといっても、季羨林先生ですね。
蒋
それはもう、言うまでもありません。一九六〇年、当時、十八歳の私は、北京大学の東方言語文学学部に合格しました。
その後、一九六五年に卒業するまでの合わせて五年間、季先生のもとでサンスクリット、パーリ語、および仏教混淆サンスクリットを学びました。
一九七七年から今にいたるまでの二十五年間、私のすべての仕事は、季先生から励ましていただきながら、取り組んできたものばかりです。
ですから、私の人生に大きな影響を及ぼした恩師は、季羨林先生です。季先生が及ぼす影響は、たんに学問の面だけでなく、道徳の面にも表れていると思います。
一例をあげますと、一九六三年のある春の日の昼ごろだったと記憶しています。
先生は職場から自宅へ戻られる途中、湖でおぼれている子どもを見つけました。そのとき、まわりにはだれもいなかった。孤立無援のなか、先生はわが身を顧みず、湖に飛び込んでその子どもを救われたのです。
しかも、このことを先生は、奥さま以外にはだれにも話しませんでした。先生に助けられた子どもの親たちが、大きな赤い紙に感謝状を書き、私たちの事務所がある建物に張り出したので、私たちはその出来事を初めて知ったのです。
こうした季先生のご行動を見聞し、私は人間としてのあるべき道を学ばさせていただきました。
池田
教師について季先生は、「学生と接するさいは、身をもって範を示さなければならない」とおっしゃいました。
蒋先生ご自身は、師弟とはどうあるべきだと、考えでしょうか。
3
「尊師愛生」「師弟不二」
蒋
師弟の関係とは、「尊師愛生」(師を尊敬し、弟子を大切にする)の関係です。
私の師弟観は、「ゴールのないリレー競争」にたとえられます。
師匠が完走したバトンを、今度は弟子に手渡し、弟子が完走したら、今度はそのまた次の弟子に手渡す。このようにして、代々にわたって継承され、永遠に続いていくものだと思います。
池田
まったく同感です。
私ども創価学会においては、”民衆の幸福と世界の平和のために身を捧げる”というバトンは、牧口常三郎初代会長から戸田城聖第二代会長へと手渡されました。
そして、戸田会長から不肖、私が第三代会長として、このバトンを受け、きょうまで走ってまいりました。一九六年に会長に就任して以来、四十二年になります。今、このバトンを、私は、愛してやまない後継の青年に託したいと願っています。
『法華経』には、釈尊が弟子に「我が如く等しくして異なるとと無からしめん」(方便品)と説法する場面があります。
すなわち仏法では、師弟の関係を「師弟不二」(師匠と弟子の関係は二であって、しかも二ではなく、一体の関係である)と言い、師と弟子とは一体であると強調するのです。
さて蒋先生は一九六五年、北京大学を卒業後、中国社会科学院歴史研究所の研究実習員となり、一九九一年からは同院のアジア太平洋研究所の正研究員(教授)として活躍しておられます。
先生は、後継の弟子、学生をどのように育成されているのでしょうか。
蒋
私自身のおもな研究分野は、仏教サンスクリット文献学です。
私がやってきた仕事は微々たるもので、取り上げるには及びませんが、私は、仏教サンスクリット文献学に強い興味をいだいている学生に、私の研究を引き継いでもらうつもりです。今のところ、そのような学生はまだ見あたりませんが。
学生と接するときには、授業中であれ課外であれ、彼らの「学習に対する興味」を啓発し、なるべく彼らに「学習への積極性」をたもたせたいと思います。
4
「価値創造」の大道
池田
学生という立場は、本当に恵まれています。人類の精神的遺産を、いくらでも吸収できる。その特権を大いに活用して、学問の深き喜びを会得してほしいものですね。
ところで、蒋先生が理想とする友情とは、どのようなものでしょうか。また、交友関係に、おいて、大切にされているととは何でしょうか。
蒋
真の友人というのは、「心を知る朋友」(心を知る友人)だと思います。
大事なのは心です。心と心が信頼しあい、関心を寄せあい、幸せをともに享受し、ともに難にあたる友人です。
交友関係において、私が最も大切にしていることは、互いに信じあうことです。
孟子が「朋友信有り」(友と友との間には信頼関係がある)と言っているとおり、私も信義こそ友情の土台だと考えます。
池田
釈尊は、信義を基礎にした親友のあり方について、具体的に教えています。
「これらの四種類の友人は親友であると知るべきである。
すなわち、(一)助けてくれる友、(二)苦しいときも楽しいときも一様に友である人、(三)ためを思って話してくれる友、(四)同情してくれる友は、親友であると知るべきである」(中村元『原始仏典2人生の指針』東京書籍)
蒋先生は、人間が生きていくうえで、最も大切なものは何だとお考えでしょうか。
蒋
衣食住等、人間の最も基本的な欲求以外に、人間が生きていくうえで、いちばん大切なことは、「満腔の熱意をもって人民のために幸福をもたらす」との人生観を打ち立て、「人生の価値を創造し、実現していく」ことだと考えます。
池田
その「価値の創造」(創価)こそ、私どもがめざしていることです。
民衆一人一人がもれなく「価値創造」の大道を歩み、幸福を満喫できる社会にするために、リーダーは存在します。ゆえに、リーダーは、徹して民衆のために奉仕しきっていくべきです。
本来、民衆の幸福のための学問、教育であり、政治、経済、科学、宗教でなければなりません。
しかし残念なことに、現実は、それらのリーダーが民衆を利用し、苦しめ、その犠牲のうえにあぐらをかいているという転倒が、まだまだ多いのではないでしょうか。
5
東洋文化の宣揚
池田
次に、読書についておうかがいします。
蒋先生に最も影響を与えた書物は何でしょうか。また、あとに続く二十一世紀の青年たちのために、読書について語ってください。
蒋
魯迅先生の著作が、私に最も影響を与えています。
とくに心に刻んでいる魯迅先生の言葉は、「自嘲」という詩にある「眉を横たえて冷ややかに千夫の指に対し、首を
俯
た
れて甘んじて嬬子の牛と為る」(多くの敵が批判しようと、眉をあげて冷然と立ち向かい、幼子のためには、頭をさげ、甘んじて牛となって、、ともに遊ぶ)との対句です。
これには、魯迅先生の精神が満ちあふれでおり、私にとって深い含蓄のあるものです。
また読書の大切さについてですが、「書物は人間の精神の食糧であり、人生の教科書である」と言えましょう。
池田
”ぺンの戦士”魯迅先生。私も、魯迅先生の著作から、多くの影響を受けました。また蒋先生が紹介してくださった対句は、私も大好きな一節です。
初めて上海を訪問したさい、「魯迅
故居
こきょ
」に立ち寄りました。そこには亡くなる二カ月前の手紙の一節が掲げてありました。
「もし私が生きているととができるなら、もちろん私は学び続ける」と。
命あるかぎり、学びぬいてみせる! その闘魂、執念が、私の胸を打ちました。
次に、先生が仏教経典に関心をもたれた動機について、お聞かせください。
蒋
大学の授業で、季羨林先生が、サンスクリットとパーリ語の仏教経典からテキストを選んで、私たちに講義されました。
たとえば、『仏本生経』『法句経』『金光明経』および『根本説一切有部律』等です。それは、私が仏教経典を読んだ最初の段階でした。
興味をもち始めたのは、サンスクリットとパーリ語を学んでからです。
池田
一九九七年四月、蒋先生はわが創価大学の入学式に出席してくださった。ありがとうございました。また、一九九八年十月から十二月まで、創価大学の国際仏教学高等研究所に滞在され、共同研究に従事されました。
教育の本義について、また今後の教育のあり方について、蒋先生はどうお考えでしょうか。
蒋
私は、池田先生が教育事業の発展のために、全力をあげて偉大な貢献をしてこられたことに、心から敬服しています。
人類史上、教育は間違いなく最も神聖な事業でした。中国の孔子が人々の尊敬を集め、ひいては聖人と呼ばれた理由は、孔子が、だれもが認める偉大な教育者であったからです。
教育の根本的意義は、徳・智・才・識を兼備した優れた人材を育成することにあります。今後の教育がどうあるべきかについては、「学生を徳・智・才・識すべてにわたって、全面的に身につけた人材に育てあげることに努めるべきだ」と考えます。
池田
おっしゃるとおりです。
蒋先生は、人間のそなえるべき条件をすべてあげられました。高尚な倫理性、人生と社会の動向を洞察する智慧、自己に内在する才能の発揮、人類の遺産を学び取る旺盛な知識ーーまさに、「全体人間」です。
私も、「徳・智・才・識」をすべてそなえた人間の教育をめざしております。
さて、先生は、二十一世紀を「平和と生命の世紀」にするために、今、いちばん大切なものは何だとお考えでしょうか。
蒋
最も重要なことは、東洋文化の精髄を宣揚していくことです。
己れの欲せざる所を、人に施すこと勿かれ」(自分がしたくないとと、されたくないことを、人にもさせることなく、また、しかけるべきでもない)という孔子の言葉と生き方が、世界中あまねく人心に深く入っていくならば、世界は平和になっていくでしょう。
そして人類共生が実現し、人類文明は、たえず繁栄と発展がもたらされるにちがいありません。
池田
簡にして明なるご主張です。個人も、そして国家も、その一点を実行していくしか平和はありません。
貴国の周思来総理が、そういう人格の指導者であられたと、私は思っています。
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