Nichiren・Ikeda
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日蓮大聖人・池田大作
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第2章 母は、何ものにも負けない!
「21世紀への母と子を語る」(池田大作全集第62巻)
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1
二十一世紀は「女性の世紀」
政森
(中国方面婦人部長) 池田先生の「ヒューマン随想」“『女性の世紀へ』大切なお母さんに贈る”(「聖教新聞」一九九九年六月二十四・二十五・二十六・二十八日付)が、大きな反響を呼んでいます。
「母親であることがどれほど偉大で、どれほど使命が深いものか、随想を読み、深く実感できました」「子育てに格闘する毎日ですが、“まわりを見るより、まっすぐに前を見よう!”との言葉に、目が覚める思いがしました」等の声が寄せられています。
岡野(札幌創価幼稚園副園長) 本当ですね。笑いあり、涙ありの慈愛あふれる文章に、元気百倍で頑張ろうと決意しました。
池田
それは何よりもうれしいことです。
二十一世紀は「女性の世紀」です。その主役こそ、お母さん方です。
一家にあっては、だれよりも優しく、だれよりも強い。そして社会にあっては、ウソや悪を許さない「正義の心」と、不幸な人を放ってはおかない「慈悲の心」を燃やす「太陽」のごとき存在――。
私は、そんな崇高なお母さん方を讃える思いで、随想にこう書きました。
母は、人間の女王!
いつも、勝利者である。
母は、誰にも負けない。
母は、何ものにも負けない。
それが、真実の母である!
悩みもあるでしょう。苦しいことも多いかもしれない。だが、そこで負けないで、子どもや家族を、そして自分に縁した人びとをすべて「幸福の大道」へと導いていく――これほど尊貴な存在はありません。
政森
勇気がわいてきます。
私も、母の生き方から多くのことを学びました。
母は二十歳の時、広島で被爆し、その後遺症と闘いながら私たちを育ててくれました。
その母の病気が急に悪化したのは、私が高校三年生の時でした。父が亡くなって八年後のことです。
母は夜中になると発作を起こし、寝ている私を起こすのです。本当に苦しそうで、「お題目をあげて」と言うので、私が母に代わって仏壇の前に座るという夜が続きました。
そのうち母は、声も出なくなるほど衰弱してしまって……。
休む時には、私の腕と自分の腕をひもで結び、何かあった時に引っ張って知らせられるようにしていました。
岡野
病院には行かれなかったのですか。
政森
広島市内のめぼしい病院は、すべて回りました。どの病院でも被爆からくる症状と診断するのですが、適切な治療法も見つかりませんでした。
万策尽きた母は、先輩に指導を受け、「私には御本尊様がある。絶対、信心で治してみせる!」と決意を固めました。
仕事を休み、自宅で療養しながら、毎日、題目をあげては、学会活動に頑張るという日々を送っていたのです。
活動に行くにも、いつどこで発作が起こるか分かりません。ですから母は、必ずバッグに自宅の連絡先を書いたメモを入れ、出かけていました。
池田
“万一、何かあった時に”との覚悟だったのですね。
政森
そんな日が三カ月ほど続いた、ある晩のことです。突然、母は私を起こして、「言っておきたいことがある」と、遺言を語り始めました。
母のただならぬ様子に、私は弟二人を起こして、夜明けまでいっしょに題目をあげ続けました。
外が白み始めるのを感じながら、「弟たちのためにも、母を死なせないでください。何とか寿命を延ばしてください」と必死に祈りました。
それから一週間後、不思議なことに、母の発作が止まりました。その日はちょうど、母が“この日までに病気を治す”と決め、目標としていた日だったんです。
夜中にいつもの発作も起こらず、顔色もよくなったので、その後、二カ月ほど経って、病院で血液検査を受けたところ、すべての数値が正常に近い値にまで戻っていて……。
それ以来、七十三歳になる今でも元気に暮らしています。おかげで、私も信心の確信をつかむことができました。
随想に「負けないことは、もう永遠に勝ったことだ」とありましたが、母の姿を見てきて、その意味をつくづく実感します。
2
苦難を乗り越え一家の春を
池田
子どもたちのためにも生き抜こうと、病気という苦難を乗り越え、お子さんたちを皆、立派に育てられ、一家の春を開いた――。
その事実が勝利です。母として、これ以上の栄冠はありません。
本当に母親というものは、ありがたいものです。御書の中にも、母の慈愛の深さを讃えた御文は数多くあります。どんな苦労も顧みず、命がけで子どもの人生を守り抜く――その慈愛と勇気こそ、人間として最も偉大な姿です。
日蓮大聖人の時代にも、夫を失いながら、懸命に子どもを育てた女性の信仰者が何人もいました。
大聖人は、そのなかの一人の方を「日妙聖人」とまで呼ばれ、「信心の心を強くして生きていきなさい。そうすれば、諸天は必ずやあなた方を守っていくでしょう」(御書1220㌻、趣意)と励まされておられる。
この御指南のままに、日妙聖人は純粋な信心を貫き、娘を立派な信心の後継者に育てあげ、勝利の人生を見事に開いたのです。
岡野
私も、母の姿から信心の姿勢を、一つひとつ学びました。
子どもの頃、御書に親しむようになったのも、暇さえあれば御書を広げている母を見ていて、“そんなに、すごいものなのかな”と心が惹かれたからだったのです。
とにかく母の持つ御書がうらやましくなって(笑い)、お小遣いやお年玉を貯めたお金で、御書を自分で買い求めるまでになりました。たしか、小学生の時だったと思います。
それからが、また大変で、姉と御書の暗記を競う毎日が始まりました。(笑い)
覚えた御文を母の前で上手に言えた時には、“これで、お母さんと同じだ”と誇らしい思いがしたことを覚えています。
母娘三人で机を囲み、御書をいっしょに勉強しながら、母がいろいろな話をしてくれたことも、忘れられない思い出です。
3
親の真剣な姿から子は学ぶ
池田
それはすばらしいね。子ども時代の思い出は、一生の財産になっていくものです。まして、親子がいっしょになって築いた信心の思い出は、なおさらでしょう。
親の役目の一つは、子どもが人生を生きていくうえでの“骨格”をつくってあげることです。
試験の科目みたいに、これとこれだけ教えておけばよい、というわけにはいかない。
単に話をして言い聞かせればよいというものではないし、いくら親が気負ったところで、子どものほうが心を向けてくれなくては“空回り”になりかねない。
そうではなく、真剣に何かに打ち込む親の姿を見ながら、子どものほうが自然に興味や関心を抱いていく。その姿から、何かを学んでいく――それが「家庭教育」の根本となるものです。
「われわれが内に向かってわれわれのなすべきことをしたら、外に向かってなすべきことはおのずとなされるでしょう」(高橋健二訳)とはゲーテの言葉ですが、子育てにも通じる人生の極理と言ってよいでしょう。
“どうして、お母さんはあんなに一生懸命なのだろう?”“ああしている時のお母さんは、本当に楽しそうだな”と、母親の表情や声の調子から、子どもは敏感に感じ取って、知らず知らずのうちに、「生き方」の骨格が築かれていくものなのです。
4
“肌身で感じる”体験が大切
政森
だれが何と言おうと、信念の道を歩み抜いていく――母親の確固たる生き方が、「子育て」にもつながっていくということですね。
夏休みなどは、親子で思い出をつくる絶好のチャンスだと思います。旅行やキャンプなど、家族でいっしょに、さまざまな体験ができる機会でもあります。
とはいっても、“なかなか、まとまった時間がとれなくて”と悩んでいるお母さん方も多い。実際、私もその一人でした。(笑い)
子どもが小学一年生の時でしたが、夏休みの課題で、絵日記を描くという宿題が出たことがありました。
絵のほとんどが、家の中での出来事を描いたものばかりだったので(笑い)、さすがに私も“このままでは、まずい”と思い、夫と相談して、友人との交流を兼ねて、小旅行に出かけたことがあったのです。
岡野
お子さんは喜ばれたでしょうね。
政森
ええ。子どものわくわくした表情を見るたびに、「ちょっとしたことでも、子どもには新鮮なんだな」と思ったものです。
また、お弁当と水筒を持って、近くの山にハイキングに出かけたこともありました。
自然がいっぱいで遊具もなく、子どもが退屈しないかなと思ったのですが、子どもというのは、自分で遊びを見つけだす力があるのですね。
どこからかダンボールを探してきて、ソリがわりにして草滑りを始めているのです。どうしたら、もっと速く滑れるか、姉妹で競走したりして……。
少しでも知恵を出し合い、工夫し合う姿を見て、「子どもは、こうしていろいろな体験をするなかで学んでいくんだな」と実感しました。
池田
私も子どもの頃、羽田の海岸で、友だちといっしょに凧揚げに夢中になった思い出がある。
ぴんと張った凧糸を握った手に風の力を感じながら、日が暮れるまで遊んだことは忘れられない。
また、冬になり霜が降りて、近所の田んぼが凍りつく日には、家にある竹を適当な長さに切って、それに鼻緒をつけ、“スケート遊び”に興じたものでした。
当然、今とは時代も違うし、同じようにはできないでしょうが、自然の中で何時間も過ごしたり、実際に身体を動かして何かをするといった「直接体験」は、子どもにとって何よりも重要なものでしょう。
創価小学校の開校や幼稚園の開園にあたって、自然環境を最も重視したのも、そのためです。
人間、「肌身で感じる」「生命で感じる」といった経験をとおしてしか、学べないものがある。
単なる知識だけなら、本を読んだりして、一人でいくらでも学べるかもしれないが、人間にとって最も大切な「生きる力」というのは、自発的な体験や、人と人との触れ合いのなかでこそ養われるものだからです。
岡野
本当ですね。
札幌創価幼稚園でも、夏休み前には「幼稚園だより」を通じて、お母さん方に直接体験の重要性を訴えてきました。
戸外で遊ぶことだけでなく、友だちなどだれかと何かをいっしょにする体験や、家庭での簡単なお手伝いでもよいのですが、子ども時代に“身をもって知る”という体験を重ね、力を出しきったという充実感、やればできるという達成感を実感することが大切ですね。
幼稚園では、約一カ月ほど夏休みがありますが、休みが明けて、久しぶりに会う園児たちが元気に成長している姿を見る時ほど、うれしいことはありません。その成長の源泉が「直接体験」です。
池田
最近は、小さい子どもでも習いごとや勉強で忙しい場合が多い。たとえ時間があっても、テレビを見たり、ゲームをしたりして過ごす「間接体験」の時間が大半を占めるとも言われる。
夏休みはよいチャンスですから、子どもの「直接体験」の機会がふえるといいですね。
とはいっても、すべてを親が“お膳立て”する必要はありません。あくまで親は、きっかけをつくるだけでいいのです。
子どもは違った世界に触れれば、本来、自分なりに何かを感じ、吸収していく力をもっています。子どもには、旺盛な好奇心が備わっている。
親は、その「伸びる力」を、そっと後押ししてあげればよいのです。
5
親が子どもの“善縁”となり可能性を伸ばす
岡野
私が音楽が好きになったのも、母のおかげでした。
まだ私が幼児期の頃、歌が下手にならないようにと(笑い)、童謡のレコードといっしょにプレーヤーを買ってくれたことがあったのです。最初は、母がレコードをかけ、歌を教えてくれていたのですが、次第に歌うのがおもしろくなって……。
母が留守にしている時でも、自分でレコードをかけ、口ずさむようになり、自然と歌が好きになっていきました。
高校生になって富士鼓笛隊に入ったのも、その影響があったからだと思いますし、毎日のように歌を歌う幼稚園に勤めて、さして苦労しなかったのも(笑い)、母の心遣いがあったからと感謝しています。
池田
以前(一九九九年三月)お会いした、ニューヨーク市立大学クイーンズ・カレッジのセソムズ学長も、「科学への目」を開いたのは母親であったと語っておられた。
家で簡単な「科学実験」を見せたりして、子どもが「知識」を肌身で感じられるように、努力をしてくれたというのです。
学長は、当時を振り返り、こう述懐しておられた。
「母は、何が良いとか悪いとか決めつけたり、優劣をつけたりもせず、ともかく『知的なもの』に接するようにしてくれたのです。
そのためなら、私たちが何をやろうと、母は怒りませんでした。
“科学実験”のおかげで、家の中をめちゃくちゃにしたり、眠ったふりをして、ふとんの中に懐中電灯を持ちこんで、明け方の四時まで本を読んだりしていても、見て見ぬふりをしてくれました。
何でもいいから、学んだほうがいい――そういう考えだったのです」と。
政森
すばらしいお母さまですね。
池田
「自分が学びたいと思えば、何でも学べる」「こうなりたいと思えば、必ずなれる。また、なるべきである」――これが、学長のお母さまの強い信念であったそうです。
セソムズ学長は、母親の「大きな心」につつまれながら、科学の道に進まれた。
子どもが最も安心し、だれよりも心を寄せる存在が母親です。だからこそ、自ら“善縁”となり、子どもの豊かな可能性を育んでいく大事な使命が、母親にはあるのです。
わずかな時間であったとしても、ともに語り合ったり、何かをいっしょに体験したり、感動し合った時間というのは、子どもの心に深く残っていく。
今は社会も豊かになり、親が何でもしてあげられる環境が整ってきていますが、何か形にとらわれたり、特別なことを追い求める必要はありません。
親から子へ、子から親へと通い合う「心の時間」こそが大事なのです。
政森
今は、家族での長期旅行や海外旅行が珍しくなくなってきていますが、少し気になる傾向も感じられます。
先日も、新幹線に乗っていて、こんな場面に出合いました。
前の座席に座っていた子ども連れの家族が、あまりに静かなので、疲れて休んでいるのかなと思ったのですが、実際はそうではないんですね。でも、まったく会話がない。
私なら、家族で旅行して列車に乗ったりすると、窓の外を眺めながら、「あっ、きれいな海だね」とか、「大きな山が見えるよ」とか、何かしら子どもと話します。
そのうちに声が大きくなって、周りに迷惑をかけてしまったりすることもあったりしますが。(笑い)
その家庭の“しつけ”という面もあるでしょうが、それにしても静かすぎました。
よく見ると、ご主人も奥さんも、別々に雑誌や本を読んでいて、子どもは子どもでゲームをしている。それぞれ“自分の時間”を過ごしているんですね。
大阪から東京までの時間、ずっとそんな状態で、「最近は、こういう家族もあるのかな」と感じたものでした。
6
食卓は子どもの心身を育む大切な場
池田
“同じ場所”にいても、それぞれは“別の時間”を過ごしている――いわゆる「ホテル家族」と呼ばれる現象だね。
同じ家に住みながら、別々に食事をとり、それぞれが好きなテレビを見て、別々の部屋で自由に過ごし、別々の時間に休む……。
ともあれ、昔と比べて「家族の団欒」の時間が減ってきていることだけは確かなようだね。
岡野
はい。なかでも、子どもが一人で食事をする“孤食”が問題となっています。
この前もテレビの番組で、小学校高学年の四人に一人が、朝食を一人で食べているという実態が紹介されていました。
自分が食事をする姿を、子どもたちが絵に描いていたのですが、広いテーブルに子どもがたった一人で食べていて、親はいなかったり、別のことをしているという家庭が、予想以上に多くて……。とても驚きました。
“孤食”は家族のコミュニケーション不足を招くだけでなく、子どもの「偏食」がふえている原因となっていると言われます。
子どもの好き嫌いをなくすには、親がいっしょに食事をして、おいしそうに食べる姿を見せることが大切です。また、いっしょに食事ができなくても、何を食べて、何を残しているか、お母さんがしっかり見届けて、しっかり声をかけてあげることが大切ですね。
番組を見ていて、こんな偏った食事ばかり続けていたら、子どもの成長が本当に心配だなと感じました。
池田
食事は生活の基本であり、食卓は大切な家族の団欒の場ですから、子どもの健全な心と体の成長のためにも、親のほうで最大限、気を配ってあげる必要があるね。
人と人とのコミュニケーションでも、食事の場は大切です。戸田先生は「食事をしながら話し合うと、互いに胸襟を開くものだよ」と、よく教えられた。
私も機会を見ては、いろいろな人と食事をしながら懇談をし、激励を重ねてきました。
7
同じ目的に進む飛行機のような家庭に
政森
以前、総理府の調査で注目すべき結果が出たと、新聞で報じていました。
子育てをつらいと感じている女性が、その理由として挙げた項目の中で最も多かったのは、「自分の自由な時間がなくなる」という回答だったのです。
また親の側だけでなく、“自分の好きなように時間を過ごしたい”と考える子どもがふえており、食卓の孤独化も、そうした家族の心の反映であるような気がします。
この点、かつて読んだ、池田先生の『家庭革命』という本の中の、“現代の社会における家庭は城ではありません。飛行機に近い。飛行機と心得、この操縦を楽しみ、はるかな視野の広い彼方の同じ方向を見つめて行く、これが今日の健康な家庭である”との趣旨の話が忘れられません。
池田
家族の団欒が大事といっても、生活形態や生活リズムがこれだけ多様化しているのだから、すべてが昔と同じようにいかないのも現実でしょう。
また、お母さん方の「自分の自由な時間がほしい」という気持ちも、ある面で分かります。
いまだに育児は母親の負担が重く、とくに精神面で周囲がどう支えていくかは、大きな社会的課題と言えます。
とはいっても、家族が互いのことを思いやる気持ちだけは失ってはいけません。
めいめいが別々の方向を向いて生活している“ホテル”ではなく、たとえ離れた席に座っていても、同じ目的地に向かって進む“飛行機”のように、心合わせて「家庭」を築いていくことが大切ではないでしょうか。
岡野
本当にそうですね。
親と子が心の奥でつながっているという安心感は、とくに小さいお子さんにとって、欠くことのできない成長の礎です。
池田
飛行機といえば、戸田先生が、ある時、こんな話をされたことがあった。
「昔、私は仙台から飛行機で東京へ帰ってきたことがあるが、その途上、阿武隈川の川下のあたりで、烈風にあった。
その頃の飛行機は、今どきのと違って、六人乗りの簡単な飛行機だから、上下に激しく振動して、なかなか前には進まない。仙台から東京までの間、飛行機が気流と闘争していたが、その闘争は見ていて実に立派な闘争であった」と。
具体的な話をとおして、すべては闘争だという本質を教えてくださる師でした。
子育ても家庭のことも、すべて現実との格闘です。もとより楽なはずはないし、思いどおりにならないことのほうが多いかもしれない。しかし、目的地に向かって心を定め、苦悩の乱気流を突き抜ければ、そこには澄み切った希望の青空が広がっている。
仏法では、「苦」と「楽」は表裏一体であり、「労苦」のなかにこそ「遊楽」はあると説きます。大事なことは、負けないことです。あきらめないことです。
飛行機も飛び続けてこそ、目的地にたどりつけるように、人生の醍醐味は、深い労苦を勝ち越えてこそ満喫できるのです。
8
母の力は世界を一つに結ぶ
政森
母親には、家族全員を幸福の道に運ぶ“名操縦士”としての使命があるということですね。
こうした家庭のあり方を見つめ直す社会的な運動を、創価学会婦人部としても取り組んできました。その一つに、一九九四年、国連の「国際家族年」にスタートした「わたしたち地球ファミリー展」があります。
全国で巡回展示を行なっており、広島で開催した時には、九万人を超える観賞者が訪れるなど、大きな反響を呼びました(一九九五年一月)。
池田
会場の入り口ではユニセフ(国連児童基金)駐日代表事務所所長のジェヒー・ワイルダーさんから寄せられた、「『ゆりかごを動かす手が世界を動かす』――私の大好きな言葉です。創価学会婦人部の方に教えていただきました」とのメッセージが掲げられていたそうですね。
「ゆりかごを動かす手」――それは、生命を育む母の力であり、この力こそ国境や民族も超えて世界を一つに結びゆく原動力と、私も確信します。
岡野
展示された世界六五カ国の家族の写真などを見ると、家族のぬくもりのすばらしさに心が温まりますね。
広島展では、被爆者の戦後五〇年の生活も写真や物品、手記で紹介されたそうですね。
政森
ええ。一九九五年は、広島への原爆投下から五〇年にあたる節目の年であり、未来へ向けて「平和」への決意を込めて企画を進めました。
ですから、「広島コーナー」では、被爆の苦しみを乗り越え、一家を支えながら「平和の心」を発信する六人の友の五〇年の歩みを紹介したのです。
来賓の一人、詩画家のはらみちをさんは、こんな声を寄せてくださいました。
「私は、母をテーマに二五年ぐらい描き続けてきましたが、戦争をはじめとする暴力の歴史のなかで、母はいつも悲しい尻拭いの役割を強いられてきました。
しかし、創価学会婦人部の皆さんは、子どもたちを守るために立ち上がり、戦おうとされている。その心に感動しました」と。
池田
二十一世紀は、女性が時代をリードし、皆が平和で幸福な社会を築く時代です。
二〇年以上も前のことですが、ヨーロッパ統合の推進者であったカレルギー伯と対談したことがあります。
その中で、「女性の幸不幸の姿こそ、一つの社会、一つの国が安泰であり、健在であるかどうかの具体的なあらわれである」と述べた私に対し、カレルギー伯はこう語っておられた。
「女性がより大きな役割を果たす機会が与えられれば、それだけ世界が平和になるということです。なぜなら、女性は本来、平和主義者だからです」
「世界中で女性が、議会と政府の半分を占めるようになれば、世界平和は盤石になるだろう」――と。
忘れることのできない、含蓄深い言葉でした。
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平和の世紀を築くのは女性
岡野
ガンジーやタゴールをはじめ、平和学者のガルトゥング博士や、アルゼンチンの人権の闘士・エスキベル博士など、世界一級の知性の人びとは、“平和の世紀を築くのは女性である”と訴えていますね。
池田
そのとおりです。それが、まぎれもない時代の潮流なのです。
かつてガンジーは、インドの独立闘争のなかで戦う女性たちの姿を讃え、「もし、『力』が精神の力を意味するのであれば、女性は計り知れないほど男性よりもすぐれている。もし非暴力が、私たち人間の法則であれば、未来は女性のものである」と述べました。
このガンジーのもとで、独立運動に挺身していたメータ女史もこう語っています。
「ガンジーは『勇気をもって、正義のために戦え。真実を語れ』と教えてくれました。また『女性が心の平和を確立することによって、社会の平和は築き上がる。その時、女性のもつ平和の力は爆発的な偉大な力となり、社会は変えられる』と教えてくれました」と。
婦人部の皆さま方は、自らの行動をもって、その時代の最先端を切り開かれている。世のため人のため、懸命に活動しておられる。本当に尊いことだ。合掌する思いです。
皆さん方が、世界の希望です。人類が皆さんの未来への行動を見つめています。
一つひとつの行動は目立たないかもしれないが、着実に、社会を世界を、「幸福」の方向へと導いている。その行動は、そのまま、お子さんたちの「希望の未来」を開いていることにもなるのです。
誇りをもって進みましょう。
「平和の世紀」を築くために!
「使命の人生」を勝ち取りながら!
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