Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

編纂の動機  

「古典を語る」根本誠(池田大作全集第16巻)

前後
1  池田 『扶桑略記』によると、永承七年(1052年)が、「始メテ末法ニ入ル」年とされている。『今昔』の成立は、院政期、すなわち十二世紀初頭と推定されているわけだから、末法意識はさらに深化されていたと思う。
 一つの傍証として、『日本霊異記』下巻の序文にも、正像末の三時をあげて、「此の生空しく過ぎなば、後悔ゆとも益無からむ。暫爾シマラクノ身、タレながながらへむ。泛爾カリサマナル命、たれか常にたのまむ。既に末劫まつごうに入りぬ。何ぞつとらむ。あはひろワレいたむ。いかでか劫災を免れむ」(大系70)と言っています。『霊異記』では、正像末の数え方が違っているのですが、やはり、末法意識があることは疑えない。
 「白法隠没、闘諍言訟」というのは、大集経にもとづいていますが、現代的に言えば、既成の宗教、思想、価値観が崩壊する動乱の時代を意味していると言っていいでしょう。
 根本 そうした時代把握が、『今昔』編纂の動機になっていると……。
 池田 作者(編者)がだれであるかの詮索はべつとして、そこに、時代の混沌(カオス)のなかで、まさに必死の想いで、みずからの揺れ動く生存の地盤をふたたび確固たるものにし、分裂した世界像を再構成しようとする息づかいが感じられてならない。
 『今昔』は、そうした新しい宗教、思想の模索の試みであったとみたい。
 そのために、作者はひとまず、教の源流に還り、さらにその歴史の変遷をたどっていったのではないかと思う。
 根本 たしかに、構想の上における意欲がうかがえますね。
 池田 いわゆる仏教説話群を見ていくと、ほとんどは先行の文献、たとえば過去現在因果経とか仏本行集経とか、または『法苑珠林』などにあるもので、『今昔』の作者による手はほとんど加えられていない。
 だから翻訳的な価値しかないという評価もあるようですね。
 根本 おそらく編者も、原典を横におき、退屈しながら書き写していったのではないかという説もある。(笑い)
 池田 それはきびしい。(笑い)
 現代の関心からすれば、当然なのかもしれませんが、新しい眼で見直してみると、決してそうは言えないのではないでしょうか。
 たとえ原典の引き写しであったとしても、その作をしている作者の胸中には、まえにも言ったように、なにか根源的な、究極的なるものへの情熱が、脈打っていたと思われてならない。
 はっきり言えることは、この作者は、新しい時代の創造者ではなかった、と思う。変革者、実践者ではなかった、と思う。
 また、宗教的な情熱といっても、壮大な哲理の大系を樹立するといった、深遠な思索者、哲学者でもなかったでしょう。資質として、そのいずれでもなかったようです。それは、異常な熱意をもった蒐集家、観察者の資質と言っていい。
 根本 時代状況も、ちょうど過渡的だったわけですね。
 池田 同感です。
 叡山天台の、あの完壁な仏教哲理の大系には、理論としては、ほとんど新しく付け加えるべきものはない。その叡山は、腐敗堕落し、闘諍言訟に身を委ねている。
 観念大系は、もはや空虚なイデオロギーと化して、いわばその終罵が叫ばれている。
 一方、新しい時代の変革の気運をみると、すでに胎動は始まっていたけれども、まだ時機未熟であり、その実現――白法隠没の末法を転換する、新しい大白法の興起は、次の時代を待たねばならなかった。こういう混沌の状況は、人の心を頽廃させるものです。しかし、作者はおそらく、デカダンスの深淵にのめり込みそうになりながら、それに抗し、克服する戦いとして、編纂事業を持続していったのではないか。これは、あまりに憶測をたくましくしすぎるようですが。

1
1