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日蓮大聖人・池田大作

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作者についての考察  

「古典を語る」根本誠(池田大作全集第16巻)

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1  根本 さて、そういうことで本題に入りまして、今回は『源氏物語』の主題について、考えていきたいと思います。
 そのまえに、作者についていうと、じつはこれには、いろいろな説があって、全体が紫式部の創作であると確定しているわけでもない。
 「若菜」からあとは、式部の娘、大弐三位(だいにのさんみ)の創作だという与謝野晶子の説(「紫式部新考」、『日本文学研究資料叢書源氏物語I』所収、有精堂出版)もあり、また宇治十帖は後代の隠者階級の手によって書かれたという見解もあります。
 池田 興味ある説ですね。古代に、おいては、文学作品が、かならずしも特定の個人名を刻印されず、いわば共同制作的に書かれることが多い。実際、読んでみて、はたして同一の作者であるかどうか疑わしい巻もありますね。
 根本 宇治十帖の前の三巻、とくに「竹河」は別人の作とされています。
 池田 ただ、全体としては、やはり紫式部であると考えたい。これは主題のとらえ方にも関連しますが、全編にみなぎる調子は、あくまで一貫しているからです。
 紫式部という人は、非常に思索的というか、内省的な性格だったと思う。
 日記をみても、華やかな宮廷生活をしながら、ふっと、自分の生き方についての反省を書いたりしている。
 根本 たしかに、無心に池に遊ぶ水鳥の姿を見ながら、
  水鳥を水のうへとやよそに見む
  われも浮きたる世をすぐしつつ(大系19)
 と嘆いたりしていますね。
 池田 これは、まだ常識的な発想かもしれない。だが、またべつの個所で輿丁よちょうが、御輿をもって階段を昇り、ひれ伏している苦しそうな様子を見て、式部の眼ざしは、「なにのことごとなる、高きまじらひも、身のほどかぎりあるに、いとやすげなしかしと見る」(大系19)と、反射的に、自己に対して向けられる。
 当時としては、かなり独特な感受性の表現ではないかと思えます。
 宇治十帖の冒頭「橋姫」の巻で、薫が宇治川を往来する柴舟を眺めて、「おのゝ、何となき、世のいとなみどもに、行きかふさまどもの、はかなき水の上に浮びたる、『たれも、思へば、おなじごとなる、世の常なさなり。“われは、うかばず、玉のうてなに静けき身”と、思ふべき世かは』」(大系17)と、述懐する場面があります。
 ここには、日記に記されたのと同質の眼が、明らかに感じられる。
 私はここを読んで、宇治十帖も式部の創作と考えていいと直観しました。
 根本 なるほど……。
 ところで『源氏物語』は、三部構成になっていると言われています。
 第一部は「桐壷」から「藤裏葉」まで――光源氏の出生から、准太上天皇という栄華の絶頂を極めるまでが描かれている。まえに話の出た、壮麗な六条院造営も、この時期です。
 第二部は「若菜」上、下から「幻」まで、いわば光源氏の晩年ですね。
 そして「匂宮」からが第三部となる。光源氏没後の世代の新たな物語で、薫大将が主人公として登場する。
 とくに第三部の最初の三章を除いて、「橋姫」から「夢浮橋」までが、いわゆる宇治十帖――舞台の中心も、一、二部と異なり、郊外の宇治に移されているわけです。

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