Nichiren・Ikeda
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「文学的」という言葉の意味
「古典を語る」根本誠(池田大作全集第16巻)
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1 池田 そう言っていいでしょうね。
それはそれとして、『日本書紀』の編録者たちが、金光明経に関心をいだき、大いに借用したのは、やはり、その志向性を示唆していると言っていい。
すでに、『古事記』の人間的、文学的特質と『日本書紀』のイデオロギー的、政治的性格とを比較しました。いちがいには言えないけれども、たしかにそういう傾向性の違いがある。それがおのずから影響を受ける仏典の総意として表れたものとみたい。
根本 確かに数多くの仏典のなかでも、維摩経は文学的な味わいの豊かな、一編の小説ともみるべき経典として評価されていますし、法華経も文学作品に大きな影響を与えている。
池田 そう。――ただ、私は、その「文学的」という言葉には、たんに表現や構成の次元だけでなく、人間の実在の究極に迫り、生命の奥の奥にあるものは何か、という根源的な問いが含意されていると考えたい。
日本文学には、大乗仏典、とくに法華経の影響が大きい。この問題も、あらためて跡づけてみたいテーマですが、その場合、仏教の真髄、法華経の本質の認識を誤ると、皮相的な観点での議論に終始してしまいかねないと思うのです。
根本 それは重要な点ですね。さて、『古事記』についても、日本神話についても、論じたい問題はなかなかつきません。――たとえば、高天原系神話と出雲神話との性格の違い、いわゆる神統譜の違いなども、興味のある問題です。
また、神話の由来を、鎮魂祭や、大嘗祭などの宮廷祭儀の反映として解釈する民俗学的な見地も、ふれておきたいものですし、『記』『紀』成立時の政治史的背景についても、謎が秘められているようです。
池田 いや、あまり欲ばっても消化不良になってしまうから。(笑い)
根本 それでは、今回は、このへんで……。