第九 不聞法華経去仏智甚遠の事
御義口伝に云く不聞とは謗法なり成仏の智を遠ざかるべきなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は仏智開悟の者にして成仏の近き故なり。
第十 若説此経時有人悪口罵加刀杖瓦石念仏故応忍の事
御義口伝に云く此経とは題目なり悪口とは口業なり加刀杖は身業なり此の身口の二業は意業より起るなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は仏勅を念ずるが故に応忍とは云うなり。
第十一 及清信士女供養於法師の事
御義口伝に云く士女とは男女なり法師とは日蓮等の類いなり清信とは法華経に信心の者なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云、此れ諸天善神等・男女と顕れて法華経の行者を供養す可しと云う経文なり。
第十二 若人欲加悪刀杖及瓦石則遣変化人為之作衛護の事
御義口伝に云く変化人とは竜口守護の八幡大菩薩なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者を守護す可しと云う経文なり。
第十三 若親近法師速得菩薩道の事
御義口伝に云く親近とは信受の異名なり法師とは日蓮等の類いなり菩薩とは仏果を得る下地なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の事なり。
第十四 随順是師学の事
御義口伝に云く是師とは日蓮等の類いなり学とは南無妙法蓮華経なり随順とは信受なり云云。
第十五 師と学との事
御義口伝に云く日蓮等の類いの南無妙法蓮華経は学者の一念三千なり師も学も共に法界三千の師学なり。
第十六 得見恒沙仏の事
御義口伝に云く見恒沙仏とは見宝塔と云う事なり、恒沙仏とは多宝の事なり多宝の多とは法界なり宝とは一念三千の開悟なり法界を多宝仏と見るを見恒沙仏と云うなり、故に法師品の次に宝塔品は来るなり解行証の法師の乗物は宝塔なり云云、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは妙解妙行妙証の不思議の解・不思議の行・不思議の証得なり真実一念三千の開悟なり云云、此の恒沙と云うは悪を滅し善を生ずる河なり、恒沙仏とは一一文文皆金色の仏体なり見の字之を思う可し仏見と云う事なり、随順とは仏知見なり得見の見の字と見宝塔の見とは依正の二報なり得見恒沙の見は正報なり見宝塔の見は依報なり云云。
宝塔品廿箇の大事
第一 宝塔の事
文句の八に云く前仏已に居し今仏並に座す当仏も亦然なりと。
御義口伝に云く宝とは五陰なり塔とは和合なり五陰和合を以て宝塔と云うなり、此の五陰和合とは妙法の五字なりと見る是を見とは云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は見宝塔なり。
第二 有七宝の事
御義口伝に云く七宝とは聞・信・戒・定・進・捨・慙なり、又云く頭上の七穴なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経
と唱え奉るは有七宝の行者なり云云。
第三 四面皆出の事
文句の八に云く四面出香とは四諦の道風・四徳の香を吹くなりと。
御義口伝に云く四面とは生老病死なり四相を以て我等が一身の塔を荘厳するなり、我等が生老病死に南無妙法蓮華経と唱え奉るは併ら四徳の香を吹くなり、南無とは楽波羅蜜・妙法とは我波羅蜜・蓮華とは浄波羅蜜・経とは常波羅蜜なり。
第四 出大音声の事
御義口伝に云く我等衆生の朝夕吐く所の言語なり、大音声とは権教は小音声・法華経は大音声なり廿八品は小音声・題目は大音声なり、惣じて大音声とは大は法界なり法界の衆生の言語を妙法の音声と沙汰するを大音声とは云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大音声なり、又云く大とは空諦・音声とは仮諦なり・出とは中道なり云云。
第五 見大宝塔住在空中の事
御義口伝に云く見大宝塔とは我等が一身なり住在空中とは我等衆生終に滅に帰する事なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉りて信心に住する処が住在空中なり虚空会に住するなり。
第六 国名宝浄彼中有仏号曰多宝の事
御義口伝に云く宝浄世界とは我等が母の胎内なり、有仏とは諸法実相の仏なり爰を以て多宝仏と云うなり、胎内とは煩悩を云うなり煩悩の淤泥の中に真如の仏あり我等衆生の事なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るを当体蓮華の仏と云うなり云云。
第七 於十方国土有説法華経処我之塔廟為聴是経故涌現其前為作証明讃言善哉の事