題目功徳御書
功徳は先の功徳にたくらぶれば・前の功徳は爪上の土のごとし、法華経の題目の功徳は十方の土のごとし、先の功徳は一渧の水のごとし・題目の功徳は大海のごとし、先の功徳は瓦礫のごとし・題目の功徳は金銀のごとし、先の功徳は螢火のごとし・題目の功徳は日月のごとしと申す経文なり。
大悪大善御書
大事には小瑞なし、大悪をこれば大善きたる、すでに大謗法・国にあり大正法必ずひろまるべし、各各なにをかなげかせ給うべき、迦葉尊者にあらずとも・まいをも・まいぬべし、舎利弗にあらねども・立つてをどりぬべし、上行菩薩の大地よりいで給いしには・をどりてこそいで給いしか、普賢菩薩の来るには大地を六種にうごかせり、事多しといへども・しげきゆへにとどむ、又又申すべし。
来臨曇華御書
追つて申す、御器の事は越後□□房申し候べし、御心ざしふかき由・内房へ申させ給い候へ。
春の始の御悦び自他申し籠め候い畢んぬ、抑去年の来臨は曇華の如し、将又夢か幻か疑いまだ晴れず候処に。
常楽我浄御書
出でさせ給いて諸大乗経をかんがへ出し十方の浄土を立て一切の諸法は常楽我浄と云云、其の時・五天竺の十六の大国・五百の中国・十千の小国・無量の粟散国の諸の小乗経の無量無辺の寺寺の衆僧・一同に蜂のごとく蜂起し・蟻のごとく聚集し・雷のごとくなりわたり、一時に聚集して頭をあわせて・なげいて云く仏在世にこそ五天の外道は我等が本師・教主釈尊とわ・あらそいしが・仏は一人なり・外道は多勢なりしかども・外道はありのごとし・仏は竜のごとく・師子王のごとくましませしかばこそせめかたせ給いぬ、此れはそれには・にるべくもなし、馬鳴は一人なれども・我等は多人なれども・代すへになれば・悪はつよく善はゆわし、仏の在世の外道と仏法とは水火なり。
帰伏正法御書
上一人下万民一同に帰伏する正法なり始めて勝劣を立てて慈覚智証弘法そむかんとをほせある○べかりしとをぼすか強敵を仏法の中にあらそい出来すべきたね国のみだるべきせんてうなりいかなる聖人の御ことばなりとも用ゆべからず各各日蓮をいやしみて○真言宗と法華経宗と叡山東寺薗城なら。
現世無間御書
或はくびをきり或はながさればととかれて此の法門を涅槃経守護経等の法華経の流通の御経にときをかせ給いて候は此の国をば梵王帝釈に仏をほせつけてよりせめさせ給うべしととかれて候されば此の国は法華経の大怨敵なれば現世に無間地獄の大苦すこし心みさせ給うか教主釈尊の日蓮がかたうどをしてつみしらせ給うにやよもさるならば天照太神正八幡等は此の国のかたうどにはなり給はじ日蓮房のかたきなりすずにてなをわかし候はんとぞはやり候らむいのらばいよいよあしかりなんあしかりなん、恐恐謹言。
二月十三日 日蓮在御判
御返事
衣食御書
尼御前へ参る
鵞目一貫・給い畢んぬ、それじきはいろをまし・ちからをつけ・いのちをのぶ、ころもは・さむさをふせぎあつさをさえ・はぢをかくす、人にものをせする人は人のいろをまし・ちからをそえ・いのちをつぐなり。