Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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当体義抄送状 
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ずと云うべきや、答う南岳大師は観音の化身・天台大師は薬王の化身なり等云云、若し爾らば霊山に於て本門寿量の説を聞きし時は之を証得すと雖も在生の時は妙法流布の時に非ず、故に妙法の名字を替えて止観と号し一念三千・一心三観を修し給いしなり、但し此等の大師等も南無妙法蓮華経と唱うる事を自行真実の内証と思食されしなり、南岳大師の法華懺法に云く「南無妙法蓮華経」文、天台大師の云く「南無平等大慧一乗妙法蓮華経」文、又云く「稽首妙法蓮華経」云云、又「帰命妙法蓮華経」云云、伝教大師の最後臨終の十生願の記に云く「南無妙法蓮華経」云云、問う文証分明なり何ぞ是くの如く弘通したまわざるや、答う此れに於て二意有り一には時の至らざるが故に二には付属に非ざるが故なり、凡そ妙法の五字は末法流布の大白法なり地涌千界の大士の付属なり是の故に南岳・天台・伝教等は内に鑑みて末法の導師に之を譲りて弘通し給わざりしなり。

当体義抄送状

問う当体の蓮華解し難し故に譬喩を仮りて之を顕すとは経文に証拠有るか、答う経に云く「世間の法に染まらざること蓮華の水に在るが如し地より而も涌出す」云云、地涌の菩薩の当体蓮華なり、譬喩は知るべし以上後日に之を改め書すべし、此の法門は妙経所詮の理にして釈迦如来の御本懐・地涌の大士に付属せる末法に弘通せん経の肝心なり、国主信心あらん後始めて之を申す可き秘蔵の法門なり、日蓮最蓮房に伝え畢んぬ。

                            日蓮花押


小乗大乗分別抄

                    文永十年 五十二歳御作

                    与 富木常忍

夫れ小大定めなし一寸の物を一尺の物に対しては小と云い五尺の男に対しては六尺七尺の男を大の男と云う、外道の法に対しては一切の大小の仏教を皆大乗と云う大法東漸通指仏教以為大法等と釈する是なり、仏教に入つても鹿苑十二年の説・四阿含経等の一切の小乗経をば諸大乗経に対して小乗経と名けたり、又諸大乗経には大乗の中にとりて劣る教を小乗と云う華厳の大乗経に其余楽小法と申す文あり、天台大師はこの小法というは常の小乗経にはあらず十地の大法に対して十住・十行・十回向の大法を下して小法と名くと釈し給へり、又法華経第一の巻・方便品に若以小乗化・乃至於一人と申す文あり天台妙楽は阿含経を小乗と云うのみにあらず華厳経の別教・方等般若の通別の大乗をも小乗と定め給う、又玄義の第一に会小帰大・是漸頓泯合と申す釈をば智証大師は初め華厳経より終り般若経にいたるまで四教八教の権教諸大乗経を漸頓と釈す泯合とは八教を会して一大円教に合すとこそ・ことはられて候へ、又法華経の寿量品に楽於小法・徳薄垢重者と申す文あり、天台大師は此経文に小法と云うは小乗経にもあらず又諸大乗経にもあらず久遠実成を説かざる華厳経の円乃至方等般若法華経の迹門十四品の円頓の大法まで小乗の法なり、又華厳経等の諸大乗経の教主の法身・報身・毘盧遮那盧舎那・大日如来等をも小仏なりと釈し給ふ、此の心ならば涅槃経・大日経等の一切の大小権実顕密の諸経は皆小乗経・八宗の中には倶舎宗・成実宗・律宗を小乗と云うのみならず華厳宗・法相宗・三論宗・真言宗等の諸大乗宗を小乗宗として唯天台の一宗計り実大乗宗なるべし、彼彼の大乗宗の所依の経経には絶えて二乗作仏・久遠実成の最大の法をとかせ給はず、譬えば一尺二尺の石を持つ者をば大力といはず一丈二丈の石を持つを大力と云うが如し、華厳経の法界円融


四十一位・般若経の混同無二・十八空乾慧地等の十地・瓔珞経の五十二位仁王経の五十一位薬師経の十二の大願雙観経の四十八願大日経の真言印契等此等は小乗経に対すれば大法秘法なり、法華経の二乗作仏久遠実成に対すれば小乗の法なり、一尺二尺を一丈二丈に対するが如し、又二乗作仏・久遠実成は法華経の肝用にして諸経に対すれば奇たりと云へども法華経の中にてはいまだ奇妙ならず一念三千と申す法門こそ奇が中の奇妙が中の妙にて華厳大日経等に分絶たるのみならず、八宗の祖師の中にも真言等の七宗の人師名をだにもしらず天竺の大論師竜樹菩薩・天親菩薩は内には珠を含み外には書きあらはし給はざりし法門なり、雨衆が三徳・米斉が六句の先仏の教を盗みとれる様に華厳宗の澄観・真言宗の善無畏等は天台大師の一念三千の法門を盗み取つて我が所依の経の心仏及衆生の文の心とし心実相と申す文の神とせるなり、かくのごとく盗み取つて我が宗の規模となせるが又還つて天台宗を下し華厳宗・真言宗には劣れる法なりと申す、此等の人師は世間の盗人にはあらねども仏法の盗人なるべし、此等をよくよく尋ね明むべし。

又世間の天台宗の学者並びに諸宗の人人の云く法華経は但二乗作仏・久遠実成計りなり等云云、今反詰して云く汝等が承伏に付いて但二乗作仏と久遠実成計り法華経にかぎつて諸経になくば此れなりとも豈奇が中の奇にあらずや、二乗作仏・諸経になくば仏の御弟子・頭陀第一の迦葉・智慧第一の舎利弗・神通第一の目連等の十大弟子・千二百の羅漢・万二千の声聞・無数億の二乗界・過去遠遠劫より未来無数劫にいたるまで法華経に値いたてまつらずば永く色心倶に滅して永不成仏の者となるべし豈大なる失にあらずや、又二乗界・仏にならずば迦葉等を供養せし梵天・帝釈・四衆・八部・比丘・比丘尼等の二界・八番の衆はいかんがあるべき、又久遠実成が此の経に限らずんば三世の諸仏・無常遷滅の法に堕しなん、譬えば天に諸星ありとも日月ましまさずんば・いかんがせん地に草木ありとも大地なくばいかんがせん、是は汝が承伏に付いての義なり実をもつて勘へ申さば二乗作仏なきなら