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兵衛志殿御返事  (1/2) ふるきをきなどもにとひ候へば八十・九十・一…
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兵衛志殿御返事

                    弘安元年十一月 五十七歳御作

                    於身延

銭六貫文の内一貫次郎よりの分白厚綿小袖一領・四季にわたりて財を三宝に供養し給ういづれも・いづれも功徳に・ならざるはなし、但し時に随いて勝劣・浅深わかれて候、うへたる人には衣をあたへたるよりも食をあたへて候は・いますこし功徳まさる・こごへたる人には食をあたへて候よりも衣は又まさる・春夏に小袖をあたへて候よりも秋冬にあたへぬれば又功徳一倍なり、これをもつて一切はしりぬべし、ただし此の事にをいては四季を論ぜず日月をたださず・ぜに・こめ・かたびら・きぬこそで・日日・月月にひまなし、例せばびんばしやらわうの教主釈尊に日日に五百輛の車ををくり・阿育大王の十億の沙金を鶏頭魔寺にせせしがごとし、大小ことなれども志は彼にもすぐれたり。

其の上今年は子細候、ふゆと申すふゆ・いづれのふゆか・さむからざる、なつと申すなつ・いづれのなつか・あつからざる、ただし今年は余国はいかんが候らんこのはきゐは法にすぎて・かんじ候、ふるきをきなどもにとひ候へば八十・九十・一百になる者の物語り候は・すべて・いにしへ・これほどさむき事候はず、此のあんじちより四方の山の外・十町・二十町・人かよう事候はねば・しり候はず、きんぺん一町のほどは・ゆき一丈二丈五尺等なり、このうるう十月卅日ゆきすこしふりて候しが・やがてきへ候ぬ、この月の十一日たつの時より十四日まで大雪ふりて候しに両三日へだてて・すこし雨ふりてゆきかたくなる事金剛のごとし・いまにきゆる事なし、ひるも・よるも・さむくつめたく候事法にすぎて候、さけはこをりて石のごとく、あぶらは金ににたり、なべかまは小し水あればこおりてわれ・かんいよいよかさなり候へば、きものうすく食ともしくして・さしいづるものも・なし。

坊ははんさくにてかぜゆきたまらず・しきものはなし、木は・さしいづるものも・なければ・火もたかず、ふるき


あかづきなんどして候こそで一なんど・きたるものは其身のいろ紅蓮大紅蓮のごとし、こへははは大ばば地獄にことならず、手足かんじてきれさけ人死ぬことかぎりなし、俗のひげをみればやうらくをかけたり、僧のはなをみればすずをつらぬきかけて候、かかるふしぎ候はず候に去年の十二月の卅日より・はらのけの候しが春夏やむことなし、あきすぎて十月のころ大事になりて候しが・すこして平愈つかまつりて候へども・ややも・すればをこり候に、兄弟二人のふたつの小袖・わた四十両をきて候が、なつのかたびらのやうにかろく候ぞ・まして・わたうすく・ただぬのものばかりのもの・をもひやらせ給へ、此の二のこそでなくば今年はこごへしに候なん。

其上兄弟と申し右近の尉の事と申し食もあいついて候、人はなき時は四十人ある時は六十人、いかにせき候へどもこれにある人人のあにとて出来し舎弟とてさしいで・しきゐ候ぬれば・かかはやさに・いかにとも申しへず・心にはしずかに、あじちむすびて小法師と我が身計り御経よみまいらせんとこそ存じて候に、かかるわづらはしき事候はず、又としあけ候わば・いづくへもにげんと存じ候ぞ、かかる・わづらわしき事候はず又又申すべく候。

なによりもえもんの大夫志と・とのとの御事ちちの御中と申し上のをぼへと申し面にあらずば申しつくしがたし、恐恐謹言。

  十一月廿九日                    日蓮花押

   兵衛志殿御返事


孝子御書

御親父御逝去の由・風聞真にてや候らん、貴辺と大夫志の御事は代末法に入つて生を辺土にうけ法華の大法を御信用候へば悪鬼定めて国主と父母等の御身に入りかわり怨をなさん事疑なかるべき・ところに、案にたがふ事なく親父より度度の御かんだうをかうほらせ給ひしかども兄弟ともに浄蔵・浄眼の後身か将た又薬王薬上の御計らいかのゆへに・ついに事ゆへなく親父に御かんきを・ゆりさせ給いて前に・たてまいらせし御孝養心に任せさせ給いぬるはあに孝子にあらずや、定めて天よりも悦びをあたへ法華経十羅刹も御納受あるべし。

其の上貴辺の御事は心の内に感じをもう事候、此の法門・経のごとく・ひろまり候わば御悦び申すべし、穴賢穴賢兄弟の御中不和にわたらせ給ふべからず不和にわたらせ給ふべからず、大夫志殿の御文にくわしくかきて候きこしめすべし、恐恐謹言。

  弘安二年二月二十一日                日蓮花押