Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

報恩抄送文 
330

報恩抄送文

御状給り候畢ぬ、親疎と無く法門と申すは心に入れぬ人にはいはぬ事にて候ぞ御心得候へ、御本尊図して進候・此の法華経は仏の在世よりも仏の滅後・正法よりも像法・像法よりも末法の初には次第に怨敵強くなるべき由をだにも御心へあるならば日本国に是より外に法華経の行者なしこれを皆人存じ候ぬべし、道善御房の御死去の由・去る月粗承わり候、自身早早と参上し此の御房をも・やがてつかはすべきにて候しが自身は内心は存ぜずといへども人目には遁世のやうに見えて候へばなにとなく此の山を出でず候、此の御房は又内内・人の申し候しは宗論や・あらんずらんと申せしゆへに十方にわかて経論等を尋ねしゆへに国国の寺寺へ人をあまたつかはして候に此の御房はするがの国へつかはして当時こそ来て候へ、又此の文は随分大事の大事どもをかきて候ぞ詮なからん人人にきかせなば・あしかりぬべく候、又設いさなくとも・あまたになり候はばほかさまにも・きこえ候なば御ため又このため安穏ならず候はんか、御まへと義成房と二人・此の御房をよみてとして嵩がもりの頂にて二三遍・又故道善御房の御はかにて一遍よませさせ給いては此の御房にあづけさせ給いてつねに御聴聞候へ、たびたびになり候ならば心づかせ給う事候なむ、恐恐謹言。

  七月二十六日                    日蓮花押

   清澄御房


法華取要抄

          文永十一年五月 五十三歳御作

          与 富木常忍   於身延

                          扶桑沙門日蓮之を述ぶ

夫れ以れば月支西天より漢土日本に渡来する所の経論五千七千余巻なり、其中の諸経論の勝劣・浅深・難易・先後・自見に任せて之を弁うことは其の分に及ばず、人に随い宗に依つて之を知る者は其の義紛紕す、所謂華厳宗の云く「一切経の中に此の経第一」と、法相宗の云く「一切経の中に深密経第一」と、三論宗の云く「一切経の中に般若経第一」と、真言宗の云く「一切経の中に大日の三部経第一」と、禅宗の云く或は云く「教内には楞伽経第一」と、或は云く「首楞厳経第一」と或は云く「教外別伝の宗なり」と、浄土宗の云く「一切経の中に浄土の三部経末法に入りては機教相応して第一なり」と、倶舎宗・成実宗・律宗云く「四阿含・並に律論は仏説なり華厳経・法華経等は仏説に非ず外道の経なり」或は云く或は云く、而に彼れ彼れ宗宗の元祖等・杜順・智儼・法蔵・澄観・玄奘・慈恩・嘉祥・道朗・善無畏・金剛智・不空・道宣・鑒真・曇鸞・道綽・善導・達磨・慧可等なり、此等の三蔵大師等は皆聖人なり賢人なり智は日月に斉く徳は四海に弥れり、其の上各各に経律論に依り更互に証拠有り随つて王臣国を傾け土民之を仰ぐ末世の偏学設い是非を加うとも人信用を致さじ、爾りと雖も宝山に来り登つて瓦石を採取し栴檀に歩み入つて伊蘭を懐き取らば悔恨有らん、故に万人の謗りを捨て猥りに取捨を加う我が門弟委細に之を尋討せよ。

夫れ諸宗の人師等或は旧訳の経論を見て新訳の聖典を見ず或は新訳の経論を見て旧訳を捨置き或は自宗の曲に執著して己義に随い愚見を注し止めて後代に之を加添す、株杭に驚き騒ぎて兎獣を尋ね求め智円扇に発して仰いで天月を見る非を捨て理を取るは智人なり、今末の論師・本の人師の邪義を捨て置いて専ら本経本論を引き見る


に五十余年の諸経の中に法華経第四法師品の中の已今当の三字最も第一なり、諸の論師・諸の人師定めて此経文を見けるか、然りと雖も或は相似の経文に狂い或は本師の邪会に執し或は王臣等の帰依を恐るるか、所謂金光明経の「是諸経之王」密厳経の「一切経中勝」六波羅蜜経の「総持第一」大日経の「云何菩提」華厳経の「能信是経・最為難」般若経の「会入法性・不見一事」大智度論の「般若波羅蜜最第一」涅槃論の「今者涅槃理」等なり、此等の諸文は法華経の已今当の三字に相似せる文なり・然りと雖も或は梵帝・四天等の諸経に対当すれば是れ諸経の王なり或は小乗経に相対すれば諸経の中の王なり或は華厳・勝鬘等の経に相対すれば一切経の中に勝れたり全く五十余年の大小・権実・顕密の諸経に相対して是れ諸経の王の大王なるに非ず所詮所対を見て経経の勝劣を弁うべきなり、強敵を臥伏するに始て大力を知見する是なり、其の上諸経の勝劣は釈尊一仏の浅深なり全く多宝分身の助言を加うるに非ず私説を以て公事に混ずる事勿れ、諸経は或は二乗凡夫に対揚して小乗経を演説し、或は文殊・解脱月・金剛薩埵等の弘伝の菩薩に対向して全く地涌千界の上行等には非ず、今・法華経と諸経とを相対するに一代に超過すること二十種之有り、其の中最要二有り所謂三五の二法なり三とは三千塵点劫なり諸経は或は釈尊の因位を明すこと或は三祇・或は動逾塵劫・或は無量劫なり、梵王云く此の土には二十九劫より已来知行の主なり第六天・帝釈・四天王等も以て是くの如し、釈尊と梵王等と始めて知行の先後之を諍論す爾りと雖も一指を挙げて之を降伏してより已来梵天頭を傾け魔王掌を合せ三界の衆生をして釈尊に帰伏せしむる是なり、又諸仏の因位と釈尊の因位と之を糾明するに諸仏の因位は或は三祇或は五劫等なり釈尊の因位は既に三千塵点劫より已来娑婆世界の一切衆生の結縁の大士なり、此の世界の六道の一切衆生は他土の他の菩薩に有縁の者一人も之無し、法華経に云く「爾の時に法を聞く者は各諸仏の所に在り」等云云、天台云く「西方は仏別に縁異り故に子父の義成せず」等云云、妙楽云く「弥陀釈迦二仏既に殊なり況や宿昔の縁別にして化導同じからざるをや結縁は生の如く成熟は養