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日蓮大聖人・池田大作

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弥源太殿御返事  (2/2) 第一の果報なるなり
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いらせ給う、殿の御もちの時は悪の刀・今仏前へまいりぬれば善の刀なるべし、譬えば鬼の道心をおこしたらんが如し、あら不思議や不思議や、後生には此の刀を・つえとたのみ給うべし、法華経は三世の諸仏・発心のつえにて候ぞかし、但し日蓮をつえはしらとも・たのみ給うべし、けはしき山・あしき道・つえを・つきぬれば・たをれず、殊に手を・ひかれぬれば・まろぶ事なし、南無妙法蓮華経は死出の山にては・つえはしらとなり給へ、釈迦仏・多宝仏上行等の四菩薩は手を取り給うべし日蓮さきに立ち候はば御迎にまいり候事もやあらんずらん、又さきに行かせ給はば日蓮必ず閻魔法王にも委く申すべく候、此の事少しもそら事あるべからず、日蓮・法華経の文の如くならば通塞の案内者なり、只一心に信心おはして霊山を期し給へ、ぜにと云うものは用に・したがつて変ずるなり、法華経も亦復是くの如し、やみには燈となり・渡りには舟となり・或は水ともなり或は火ともなり給うなり、若し然らば法華経は現世安穏・後生善処の御経なり。

其上日蓮は日本国の中には安州のものなり総じて彼国は天照太神のすみそめ給いし国なりといへりかしこにして日本国をさぐり出し給ふあはの国御くりやなり・しかも此国の一切衆生の慈父悲母なりかかるいみじき国なれば定んで故ぞ候らんいかなる宿習にてや候らん日蓮又彼国に生れたり第一の果報なるなり此消息の詮にあらざれば委しくはかかず但おしはかり給うべし。

能く能く諸天にいのり申べし、信心にあかなくして所願を成就し給へ女房にも・よく・よく・かたらせ給へ、恐恐謹言。

  二月二十一日                    日蓮花押

   弥源太殿御返事


弥源太入道殿御返事

別の事候まじ憑み奉り候上は最後は・かうと思し食し候へ、河野辺の入道殿のこひしく候に・漸く後れ進らせて其のかたみと見まいらせ候はん、さるにても候へば如何が空しかるべきやさこそ覚え候へ。

但し当世は我も法華経をしりたりと人毎に申し候、時に法華経の行者はあまた候、但し法華経と申す経は転子病と申す病の様に候、転子と申すは親の様なる子は少く候へども此の病は必ず伝わり候なり、例せば犬の子は母の吠を伝へ貓の子は母の用を伝えて鼠を取る、日本国は六十六箇国・嶋二つ、其の中に仏の御寺は一万一千三十七所・其の内に僧尼或は三千・或は一万・或は一千一百・或は十人・或は一人候へども・其の源は弘法大師・慈覚大師・智証大師・此の三大師の御弟子にて候、山の座主・東寺・御室・七大寺の検校、園城寺の長吏・伊豆・箱根・日光・慈光等の寺寺の別当等も皆此の三大師の嫡嫡なり、此の人人は三大師の如く読むべし、其れ此の三大師・法華経と一切経との勝劣を読み候しには・弘法大師は法華経最第三と・慈覚・智証は法華経最第二・或は戯論なんどこそ読み候いしか今又是くの如し。

但し日蓮が眼には僻目にてや候らん、法華経最第一・皆是真実と釈迦仏・多宝仏十方の諸仏は説いて証明せさせ給へり・此の三大師には水火の相違にて候、其の末を受くる人人・彼の跡を継で彼の所領の田畠を我が物とせさせ給いぬれば・何に諍はせ給うとも三大師の僻事ならば此の科遁れがたくやおはすらんと見え候へども・日蓮は怯弱の者にて候へば・かく申す事をも人・御用いなし、されば今日本国の人人の我も我も経を読むといへども・申す事用ゆべしとも覚えず候。


是はさて置き候ぬ・御音信も候はねば何にと思いて候つるに御使うれしく候、御所労の御平愈の由うれしく候うれしく候、尚仰せを蒙る可く候・恐恐謹言。

  九月十七日                     日蓮花押

   弥源太入道殿御返事

弥源太入道殿御消息

一日の御帰路をぼつかなく候つる処に御使悦び入つて候、御用事の御事共は伯耆殿の御文に書かせて候、然るに道隆の死して身の舎利となる由の事、是は何とも人知らず用いまじく候へば兎角申して詮は候はず、但し仏の以前に九十五種の外道ありき各各是を信じて仏に成ると申す、又皆人も一同に思いて候し程に仏世に出でさせ給いて九十五種は皆地獄に堕ちたりと説かせ給いしかば・五天竺の国王・大臣等は仏は所詮なき人なりと申す、又外道の弟子どもも我が師の上を云れて悪心をかき候、竹杖外道と申す外道の目連尊者を殺せし事是なり、苦得外道と申せし者を仏記して云く七日の内に死して食吐鬼と成るべしと説かせ給いしかば外道瞋りをなす、七日の内に食吐鬼と成りたりしかば其を押し隠して得道の人の御舎利買うべしと云いき、其より外に不思議なる事数を知らず。

但し道隆が事は見ぬ事にて候へば如何様に候やらん、但し弘通するところの説法は共に本権教より起りて候しを・今は教外別伝と申して物にくるひて我と外道の法と云うか、其の上建長寺は現に眼前に見へて候、日本国の山寺の敵とも謂いつべき様なれども事を御威によせぬれば皆人恐れて云わず、是は今生を重くして後生は軽くす