南条殿御返事
御使の申し候を承り候、是の所労難儀のよし聞え候、いそぎ療治をいたされ候いて御参詣有るべく候。
塩一駄・大豆一俵・とつさか一袋・酒一筒・給び候、上野の国より御帰宅候後は未だ見参に入らず候、牀敷存じ候いし処に品品の物ども取り副え候いて御音信に預り候事申し尽し難き御志にて候。
今申せば事新しきに相似て候へども・徳勝童子は仏に土の餅を奉りて阿育大王と生れて南閻浮提を大体知行すと承り候、土の餅は物ならねども仏のいみじく渡らせ給へば・かくいみじき報いを得たり、然るに釈迦仏は・我を無量の珍宝を以て億劫の間・供養せんよりは・末代の法華経の行者を一日なりとも供養せん功徳は百千万億倍・過ぐべしとこそ説かせ給いて候に、法華経の行者を心に入れて数年供養し給う事有り難き御志かな、金言の如くんば定めて後生は霊山浄土に生れ給うべしいみじき果報なるかな。
其の上此の処は人倫を離れたる山中なり、東西南北を去りて里もなし、かかる・いと心細き幽窟なれども教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し・日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり、されば日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり、舌の上は転法輪の所・喉は誕生の処・口中は正覚の砌なるべし、かかる不思議なる法華経の行者の住処なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき、法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊しと申すは是なり、神力品に云く「若しは林の中に於ても若しは樹の下に於ても若しは僧坊に於ても乃至而般涅槃したもう」と云云、此の砌に望まん輩は無始の罪障忽に消滅し三業の悪転じて三徳を成ぜん、彼の中天竺の無熱池に臨みし悩者が心中の熱気を除愈して其の願を充満する事清涼池の如しとうそぶきしも・彼れ此れ異なりといへども、其の意は争でか
替るべき。
彼の月氏の霊鷲山は本朝此の身延の嶺なり、参詣遙かに中絶せり急急に来臨を企つべし、是にて待ち入つて候べし、哀哀申しつくしがたき御志かな・御志かな。
弘安四年九月十一日 日蓮花押
南条殿御返事
上野殿御返事
いゑのいも一駄・ごばう一つと・大根六本、いもは石のごとし・ごばうは大牛の角のごとし・大根は大仏堂の大くぎのごとし・あぢわひは忉利天の甘露のごとし、石を金にかうる国もあり・土をこめにうるところもあり、千金の金をもてる者もうえてしぬ、一飯をつとにつつめる者に・これをとれり、経に云く「うえたるよには・よねたつとし」と云云、一切の事は国により時による事なり、仏法は此の道理をわきまうべきにて候、又又申すべし、恐恐謹言。
弘安四年九月廿日 日蓮花押
上野殿御返事
上野尼御前御返事
麞牙一駄四斗定あらひいも一俵・送り給びて南無妙法蓮華経と唱へまいらせ候い了んぬ。
妙法蓮華経と申すは蓮に譬えられて候、天上には摩訶曼陀羅華・人間には桜の花・此等はめでたき花なれども・此れ等の花をば法華経の譬には仏取り給う事なし、一切の花の中に取分けて此の花を法華経に譬へさせ給う事は其の故候なり、或は前花後菓と申して花は前に菓は後なり・或は前菓後花と申して菓は前に花は後なり、或は一花多菓・或は多花一菓・或は無花有菓と品品に候へども蓮華と申す花は菓と花と同時なり、一切経の功徳は先に善根を作して後に仏とは成ると説くかかる故に不定なり、法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り・口に唱ふれば其の口即仏なり、譬えば天月の東の山の端に出ずれば其の時即水に影の浮かぶが如く・音とひびきとの同時なるが如し、故に経に云く「若し法を聞くこと有らん者は一として成仏せざること無し」云云、文の心は此の経を持つ人は百人は百人ながら・千人は千人ながら・一人もかけず仏に成ると申す文なり。
抑御消息を見候へば尼御前の慈父・故松野六郎左衛門入道殿の忌日と云云、子息多ければ孝養まちまちなり、然れども必ず法華経に非ざれば謗法等云云、釈迦仏の金口の説に云く「世尊の法は久しくして後要らず当に真実を説きたもうべし」と、多宝の証明に云く、妙法蓮華経は皆是れ真実なりと・十方の諸仏の誓に云く舌相梵天に至る云云、これよりひつじさるの方に大海をわたりて国あり・漢土と名く、彼の国には或は仏を信じて神を用いぬ人もあり・或は神を信じて仏を用いぬ人もあり・或は日本国も始は・さこそ候いしか、然るに彼の国に烏竜と申す手書ありき・漢土第一の手なり、例せば日本国の道風・行成等の如し、此の人仏法をいみて経をかかじと申す願