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日蓮大聖人・池田大作

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孝子御書 
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孝子御書

御親父御逝去の由・風聞真にてや候らん、貴辺と大夫志の御事は代末法に入つて生を辺土にうけ法華の大法を御信用候へば悪鬼定めて国主と父母等の御身に入りかわり怨をなさん事疑なかるべき・ところに、案にたがふ事なく親父より度度の御かんだうをかうほらせ給ひしかども兄弟ともに浄蔵・浄眼の後身か将た又薬王薬上の御計らいかのゆへに・ついに事ゆへなく親父に御かんきを・ゆりさせ給いて前に・たてまいらせし御孝養心に任せさせ給いぬるはあに孝子にあらずや、定めて天よりも悦びをあたへ法華経十羅刹も御納受あるべし。

其の上貴辺の御事は心の内に感じをもう事候、此の法門・経のごとく・ひろまり候わば御悦び申すべし、穴賢穴賢兄弟の御中不和にわたらせ給ふべからず不和にわたらせ給ふべからず、大夫志殿の御文にくわしくかきて候きこしめすべし、恐恐謹言。

  弘安二年二月二十一日                日蓮花押


両人御中御書

                    弘安二年 五十八歳御作

                    於身延

大国阿闍梨・えもんのたいう志殿等に申す、故大進阿闍梨の坊は各各の御計らいに有るべきかと存じ候に今に人も住せずなんど候なるはいかなる事ぞ、ゆづり状のなくばこそ・人人も計らい候はめ、くはしく・うけ給わり候へばべんの阿闍梨にゆづられて候よし・うけ給わり候き、又いぎあるべしとも・をぼへず候、それに御用いなきは別の子細の候か其の子細なくば大国阿闍梨・大夫殿の御計らいとして弁の阿闍梨の坊へこぼちわたさせ給い候へ、心けんなる人に候へば・いかんが・とこそをもい候らめ、弁の阿闍梨の坊をすりしてひろくもらずば諸人の御ために御たからにてこそ候はんずらむめ、ふゆはせうまうしげし、もしやけなばそむと申し人もわらいなん、このふみついて両三日が内に事切て各各御返事給び候はん、恐恐謹言。

  十月廿日                      日蓮花押

   両人御中

   ゆづり状をたがうべからず


右衛門太夫殿御返事

抑久しく申し承らず候の処に御文到来候い畢んぬ、殊にあをきうらの小袖一・ぼうし一・をび一すぢ・鵞目一貫文・くり一籠たしかにうけとり・まいらせ候、当今は末法の始の五百年に当りて候、かかる時刻に上行菩薩・御出現あつて南無妙法蓮華経の五字を日本国の一切衆生にさづけ給うべきよし経文分明なり、又流罪死罪に行わるべきよし明かなり、日蓮は上行菩薩の御使にも似たり此の法門を弘むる故に、神力品に云く「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」等云云、此の経文に斯人行世間の五の文字の中の人の文字をば誰とか思し食す、上行菩薩の再誕の人なるべしと覚えたり、経に云く「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし是の人仏道に於て決定して疑有ること無けん」云云、貴辺も上行菩薩の化儀をたすくる人なるべし。

  弘安二年己卯十二月三日               日蓮花押

   右衛門太夫殿御返事