に叶わざればやうやくすかさんがために相似せる華厳経へをとしつ・杜順・智儼・法蔵・澄観等是なり、又般若経へすかしをとす悪友は嘉祥・僧詮等是なり、又深密経へ・すかしをとす悪友は玄奘・慈恩是なり、又大日経へ・すかしをとす悪友は善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証是なり、又禅宗へすかしをとす悪友は達磨・慧可等是なり、又観経へすかしをとす悪友は善導・法然是なり、此は第六天の魔王が智者の身に入つて善人をたぼらかすなり、法華経第五の巻に「悪鬼其の身に入る」と説かれて候は是なり。
設ひ等覚の菩薩なれども元品の無明と申す大悪鬼身に入つて法華経と申す妙覚の功徳を障へ候なり、何に況んや其の已下の人人にをいてをや、又第六天の魔王或は妻子の身に入つて親や夫をたぼらかし或は国王の身に入つて法華経の行者ををどし或は父母の身に入つて孝養の子をせむる事あり、悉達太子は位を捨てんとし給いしかば羅睺羅はらまれて・をはしませしを浄飯王此の子生れて後・出家し給えと・いさめられしかば魔が子ををさへて六年なり、舎利弗は昔禅多羅仏と申せし仏の末世に菩薩の行を立てて六十劫を経たりき、既に四十劫ちかづきしかば百劫にて・あるべかりしを第六天の魔王・菩薩の行の成ぜん事をあぶなしとや思いけん、婆羅門となりて眼を乞いしかば相違なく・とらせたりしかども其より退する心・出来て舎利弗は無量劫が間・無間地獄に堕ちたりしぞかし、大荘厳仏の末の六百八十億の檀那等は苦岸等の四比丘に・たぼらかされて普事比丘を怨みてこそ大地微塵劫が間無間地獄を経しぞかし、師子音王仏の末の男女等は勝意比丘と申せし持戒の僧をたのみて喜根比丘を笑うてこそ無量劫が間・地獄に堕ちつれ。
今又日蓮が弟子檀那等は此にあたれり、法華経には「如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」又云く「一切世間怨多くして信じ難し」涅槃経に云く「横に死殃に羅り呵嘖・罵辱・鞭杖・閉繋・飢餓・困苦・是くの如き等の現世の軽報を受けて地獄に堕ちず」等云云、般泥洹経に云く「衣服不足にして飲食麤疎なり財を求めるに利あら
ず貧賤の家及び邪見の家に生れ或いは王難及び余の種種の人間の苦報に遭う現世に軽く受くるは斯れ護法の功徳力に由る故なり」等云云、文の心は我等過去に正法を行じける者に・あだをなして・ありけるが今かへりて信受すれば過去に人を障る罪にて未来に大地獄に堕つべきが、今生に正法を行ずる功徳・強盛なれば未来の大苦をまねぎこして少苦に値うなり、この経文に過去の誹謗によりて・やうやうの果報をうくるなかに或は貧家に生れ或は邪見の家に生れ或は王難に値う等云云、この中に邪見の家と申すは誹謗正法の家なり王難等と申すは悪王に生れあうなり、此二つの大難は各各の身に当つてをぼへつべし、過去の謗法の罪を滅せんとて邪見の父母にせめられさせ給う、又法華経の行者をあだむ国主にあへり経文明明たり経文赫赫たり、我身は過去に謗法の者なりける事疑い給うことなかれ、此れを疑つて現世の軽苦忍びがたくて慈父のせめに随いて存外に法華経をすつるよし・あるならば我身地獄に堕つるのみならず悲母も慈父も大阿鼻地獄に堕ちて・ともにかなしまん事疑いなかるべし、大道心と申すはこれなり。
各各・随分に法華経を信ぜられつる・ゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし、石はやけばはいとなる金は・やけば真金となる、此の度こそ・まことの御信用は・あらわれて法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ、雪山童子の前に現ぜし羅刹は帝釈なり尸毘王のはとは毘沙門天ぞかし、十羅刹・心み給わんがために父母の身に入らせ給いてせめ給うこともや・あるらん、それに・つけても、心あさからん事は後悔あるべし、又前車のくつがへすは後車のいましめぞかし、今の世には・なにとなくとも道心をこりぬべし、此の世のありさま厭うともよも厭われじ日本の人人定んで大苦に値いぬと見へて候・眼前の事ぞかし、文永九年二月の十一日にさかんなりし華の大風にをるるが・ごとく清絹の大火に・やかるるが・ごとくなりしに・世をいとう人のいかでかなかるらん文永十一年の十月ゆきつしまのものども一時に死人
となりし事は・いかに人の上とをぼすか当時も・かのうてに向かいたる人人のなげき老たるをやをさなき子わかき妻めづらしかりしすみかうちすてて・よしなき海をまほり雲の・みうればはたかと疑い・つりぶねの・みゆれば兵船かと肝心をけす、日に一二度山えのぼり夜に三四度馬にくらををく、現身に修羅道をかんぜり、各各のせめられさせ給う事も詮するところは国主の法華経の・かたきと・なれるゆへなり、国主のかたきと・なる事は持斎等・念仏真言師等が謗法よりをこれり、今度ねうしくらして法華経の御利生心みさせ給へ、日蓮も又強盛に天に申し上げ候なり、いよいよ・をづる心ねすがた・をはすべからず、定んで女人は心よはく・をはすれば・ごぜたちは心ひるがへりてや・をはすらん、がうじやうにはがみをしてたゆむ心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふるまい・いゐしがごとく・すこしも・をづる心なかれ、わだが子となりしもの・わかさのかみが子となりし・将門・貞当が郎従等となりし者、仏になる道には・あらねども・はぢを・をもへば命をしまぬ習いなり、なにと・なくとも一度の死は一定なり、いろばしあしくて人に・わらはれさせ給うなよ。
あまりに・をぼつかなく候へば・大事のものがたり一つ申す、白ひ叔せいと申せし者は胡竹国の王の二人の太子なり、父の王・弟の叔せいに位をゆづり給いき、父しして後・叔せい位につかざりき、白ひが云く位につき給え叔せいが云く兄位を継ぎ給え白ひが云くいかに親の遺言をばたがへ給うぞと申せしかば親の遺言はさる事なれどもいかんが兄を・をきては位には即くべきと辞退せしかば、二人共に父母の国をすてて他国へわたりぬ、周の文王に・つかへしほどに文王殷の紂王に打たれしかば武王・百箇日が内に・いくさを・をこしき、白ひ叔せいは武王の馬の口に・とりつきて・いさめて云くをやのしして後・三箇年が内にいくさを・をこすはあに不孝にあらずや、武王いかりて白ひ叔せいを打たんと・せしかば大公望せいして打たせざりき、二人は此の王をうとみて・すやうと申す山にかくれゐてわらびを・をりて命を・つぎしかば、麻子と申す者ゆきあひて云くいかに・これには・をはするぞ二人