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日蓮大聖人・池田大作

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種種御振舞御書  (3/17) わづかの小島のぬしら
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けしたり、わたうども二陣三陣つづきて迦葉・阿難にも勝ぐれ天台・伝教にもこへよかし、わづかの小島のぬしらがをどさんを・をぢては閻魔王のせめをばいかんがすべき、仏の御使と・なのりながら・をくせんは無下の人人なりと申しふくめぬ、さりし程に念仏者・持斎・真言師等・自身の智は及ばず訴状も叶わざれば上郎・尼ごぜんたちに・とりつきて種種にかまへ申す、故最明寺入道殿・極楽寺入道殿を無間地獄に堕ちたりと申し建長寺・寿福寺・極楽寺・長楽寺・大仏寺等をやきはらへと申し道隆上人・良観上人等を頸をはねよと申す、御評定になにとなくとも日蓮が罪禍まぬかれがたし、但し上件の事・一定申すかと召し出てたづねらるべしとて召し出だされぬ、奉行人の云く上のをほせ・かくのごとしと申せしかば・上件の事・一言もたがはず申す、但し最明寺殿・極楽寺殿を地獄という事は・そらごとなり、此の法門は最明寺殿・極楽寺殿・御存生の時より申せし事なり。

詮ずるところ、上件の事どもは此の国ををもひて申す事なれば世を安穏にたもたんと・をぼさば彼の法師ばらを召し合せて・きこしめせ、さなくして彼等にかわりて理不尽に失に行わるるほどならば国に後悔あるべし、日蓮・御勘気をかほらば仏の御使を用いぬになるべし、梵天・帝釈・日月・四天の御とがめありて遠流・死罪の後・百日・一年・三年・七年が内に自界叛逆難とて此の御一門どしうちはじまるべし、其の後は他国侵逼難とて四方より・ことには西方よりせめられさせ給うべし、其の時後悔あるべしと平左衛門尉に申し付けしかども太政入道のくるひしやうに・すこしもはばかる事なく物にくるう。

去文永八年太歳・辛未九月十二日・御勘気をかほる、其の時の御勘気のやうも常ならず法にすぎてみゆ、了行が謀反ををこし大夫の律師が世をみださんと・せしを・めしとられしにもこえたり、平左衛門尉・大将として数百人の兵者にどうまろきせてゑぼうしかけして眼をいからし声をあらうす、大体・事の心を案ずるに太政入道の世をとりながら国をやぶらんとせしににたり、ただ事ともみへず、日蓮これを見てをもうやう日ごろ月ごろ・をもひまう


けたりつる事はこれなり、さいわひなるかな法華経のために身をすてん事よ、くさきかうべをはなたれば沙に金をかへ石に珠をあきなへるがごとし、さて平左衛門尉が一の郎従・少輔房と申す者はしりよりて日蓮が懐中せる法華経の第五の巻を取り出しておもてを三度さいなみて・さんざんとうちちらす、又九巻の法華経を兵者ども打ちちらして・あるいは足にふみ・あるいは身にまとひ・あるいはいたじき・たたみ等・家の二三間にちらさぬ所もなし、日蓮・大高声を放ちて申すあらをもしろや平左衛門尉が・ものにくるうを見よ、とのばら但今日本国の柱をたをすと・よばはりしかば上下万人あわてて見えし、日蓮こそ御勘気をかほれば・をくして見ゆべかりしに・さはなくして・これはひがことなりとや・をもひけん、兵者どものいろこそ・へんじて見へしか、十日並びに十二日の間・真言宗の失・禅宗・念仏等・良観が雨ふらさぬ事・つぶさに平左衛門尉に・いゐきかせてありしに或はどつとわらひ或はいかりなんど・せし事どもはしげければ・しるさず、せんずるところは六月十八日より七月四日まで良観が雨のいのりして日蓮に支へられてふらしかね・あせをながし・なんだのみ下して雨ふらざりし上・逆風ひまなくてありし事・三度まで・つかひをつかわして一丈のほりを・こへぬもの十丈・二十丈のほりを・こうべきか、いづみしきぶいろごのみの身にして八斎戒にせいせるうたをよみて雨をふらし、能因法師が破戒の身として・うたをよみて天雨を下らせしに、いかに二百五十戒の人人・百千人あつまりて七日二七日せめさせ給うに雨の下らざる上に大風は吹き候ぞ、これをもつて存ぜさせ給へ各各の往生は叶うまじきぞとせめられて良観がなきし事・人人につきて讒せし事・一一に申せしかば、平左衛門尉等かたうどし・かなへずして・つまりふしし事どもはしげければかかず。

さては十二日の夜・武蔵守殿のあづかりにて夜半に及び頸を切らんがために鎌倉をいでしに・わかみやこうぢにうちいでて四方に兵のうちつつみて・ありしかども、日蓮云く各各さわがせ給うなべちの事はなし、八幡大菩薩に最後に申すべき事ありとて馬よりさしをりて高声に申すやう、いかに八幡大菩薩はまことの神か和気清丸が


頸を刎られんとせし時は長一丈の月と顕われさせ給い、伝教大師の法華経をかうぜさせ給いし時はむらさきの袈裟を御布施にさづけさせ給いき、今日蓮は日本第一の法華経の行者なり其の上身に一分のあやまちなし、日本国の一切衆生の法華経を謗じて無間大城におつべきを・たすけんがために申す法門なり、又大蒙古国よりこの国をせむるならば天照太神・正八幡とても安穏におはすべきか、其の上・釈迦仏・法華経を説き給いしかば多宝仏・十方の諸仏・菩薩あつまりて日と日と月と月と星と星と鏡と鏡とをならべたるがごとくなりし時、無量の諸天並びに天竺・漢土・日本国等の善神・聖人あつまりたりし時、各各・法華経の行者にをろかなるまじき由の誓状まいらせよと・せめられしかば一一に御誓状を立てられしぞかし、さるにては日蓮が申すまでもなし・いそぎいそぎこそ誓状の宿願をとげさせ給うべきに・いかに此の処には・をちあわせ給はぬぞと・たかだかと申す、さて最後には日蓮・今夜・頸切られて霊山浄土へ・まいりてあらん時はまづ天照太神・正八幡こそ起請を用いぬかみにて候いけれとさしきりて教主釈尊に申し上げ候はんずるぞいたしと・おぼさば・いそぎいそぎ御計らいあるべしとて又馬にのりぬ。

ゆいのはまに・うちいでて御りやうのまへに・いたりて又云くしばし・とのばら・これにつぐべき人ありとて、中務三郎左衛門尉と申す者のもとへ熊王と申す童子を・つかわしたりしかば・いそぎいでぬ、今夜頸切られへ・まかるなり、この数年が間・願いつる事これなり、此の娑婆世界にして・きじとなりし時は・たかにつかまれ・ねずみとなりし時は・ねこにくらわれき、或はめこのかたきに身を失いし事・大地微塵より多し、法華経の御ためには一度だも失うことなし、されば日蓮貧道の身と生れて父母の孝養・心にたらず国の恩を報ずべき力なし、今度頸を法華経に奉りて其の功徳を父母に回向せん其のあまりは弟子檀那等にはぶくべしと申せし事これなりと申せしかば、左衛門尉・兄弟四人・馬の口にとりつきて・こしごへたつの口にゆきぬ、此にてぞ有らんずらんと・をもうところに案にたがはず兵士どもうちまはり・さわぎしかば、左衛門尉申すやう只今なりとなく、日蓮申すやう不か