百六箇抄 〈血脈抄〉
弘安三年 五十九歳
与 日興
具騰本種・正法の実義・本迹勝劣正伝、本因妙の教主・本門の大師・日蓮謹んで之を結要す。
万年救護写瓶の弟子日興に之を授与す云云、脱種合して一百六箇之れ在り、霊山浄土・多宝塔中・久遠実成・無上覚王・直授相承本迹勝劣の口決相伝譜、久遠名字より已来た本因本果の主・本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮詮要す。
理の一念三千・一心三観本迹
三世諸仏の出世成道の脱益寿量の義理の三千は釈迦諸仏の仏心と妙法蓮華経の理観の一心とに蘊在せる理なり。
大通今日・法華本迹
久遠名字本因妙を本として中間・今日・下種する故に久成を本と為し中間・今日の本迹を倶に迹と為る者なり。
応仏一代の本迹
久遠下種・霊山得脱・妙法値遇の衆生を利せん為に無作三身・寂光浄土従り三眼三智をもつて九界を知見し迹を垂れ権を施す後に説く妙経の故に今日の本迹共に迹と之を得る者なり。
迹門為理円の一致の本迹
松柏風波・万声一如・諸法実相の理上の観心は応仏の域を引かえたる故に本迹とは別れども唯理の上の法相なれば本迹理観の妙法と顕す、迹化は付属無きが故に之を弘めず。
心法即身成仏の本迹
中間・今日も迹門は心法の成仏なれば華厳・阿含・方等・般若・法華の安楽行品に至るまで円理に同ずるが故に迹は劣り本は勝るる者なり。
心法妙法蓮華経の本迹
山家云く一切諸法・従本已来・不生不滅・性相凝然・釈迦口を閉ぢて身子言を絶す云云、方便品には理具の十界互具を説く本門に至つて顕本理上の法相なれば久遠に対して之を見るに実相は久遠垂迹の本門なる故に色法に非るなり。
従因至果・中間今日の本迹
像法の修行は天台・伝教・弘通の本迹は中間・今日の迹門を因と為し本門修行を果と為るなり。
本果の妙法蓮華経の本迹
今日の本果は従因至果なれば本の本果には劣るなり、寿量の脱益・在世一段の一品二半は舎利弗等の声聞の為の観心なり、我等が為には教相なり、情は迹劣本勝なり、又滅後像法相似・観行解了の行益も以て是くの如し、南岳・天台・伝教の修行の如く末法に入つて修行せば帯権隔歴の行と成つて我等が為には虚戯の行と成る可きなり、日蓮は一向本・天台は一向迹・能く能く之を問う可し。
疏の九に云く爾前皆虚にして実ならず迹門は一虚一実・本門は皆実不虚云云、爾前二種の失の事・一には存行布故仍未開権とて迹門の理の一念三千を隠せり、二には言始成故尚未発迹とて本門の久遠を隠せり迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて爾前・二種の失一つ脱がれたり、本門に至りて迹門の十界因果を打破
る是即ち本因本果の法門なり、実の一念三千も顕れず二乗作仏も定らず云云、世間の罪に依つて悪道に堕ん者は爪上の土・仏法に依つて悪道に堕ちん者は十方の土の如し、故は信心の根本は本勝迹劣余の信心は枝葉なり。
余行に渡る法華経の本迹
一代八万の諸法は本因妙の下種を受けて説く所の教なるが故に一部八巻乃至一代五時・次第梯隥は名字の妙法を下種して熟脱せし本迹なり。
在世観心法華経の本迹
一品二半は在世一段の観心なり天台の本門なり、日蓮が為には教相の迹門なり云云。
脱益の妙法の教主の本迹
所説の正法は本門なり能説の教主釈尊は迹門なり、法自ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し。
脱益の今此三界の教主本迹
天上天下唯我独尊は迹身門・密表寿量品の今此三界は即本身門なり。
脱益像法時剋弘経の本迹
天台の本迹は倶に日蓮が迹門なり時剋亦天地の不同之在り。
脱益迹門修行の本迹
正法一千年の修行の徳より像法一日の徳は勝れたるなるべし。
脱益迹門自解仏乗修行の本迹
熟益は迹・脱益は本なり之に就いて之を思惟す可し。
脱の五大尊の本迹
他受用応仏は本・普賢・文殊・弥勒・薬王は迹なり。