窪尼御前御返事
弘安元年六月 五十七歳御作
すずの御供養送り給い了んぬ、大風の草をなびかし・いかづちの人ををどろかすやうに候、よの中にいかにいままで御しんようの候いけるふしぎさよ、ねふかければはかれず・いづみに玉あれば水たえずと申すやうに・御信心のねのふかく・いさぎよき玉の心のうちに・わたらせ給うか、たうとしたうとし、恐恐。
六月二十七日 日蓮花押
くぼの尼御前御返事
妙心尼御前御返事
弘安元年八月 五十七歳御作
あわしかき二籠なすび一こ給い候い了んぬ、入道殿の御所労の事、唐土に黄帝・扁鵲と申せし・くすしあり・天竺に持水・耆婆と申せしくすしあり、これらはその世のたから末代のくすしの師なり、仏と申せし人はこれにはにるべくもなきいみじきくすしなり、この仏・不死の薬をとかせ給へり・今の妙法蓮華経の五字是なり、しかも・この五字をば閻浮提人病之良薬とこそ・とかれて候へ。
入道殿は閻浮提の内日本国の人なり、しかも身に病をうけられて候病之良薬の経文顕然なり、其の上蓮華経は第一の薬なり、はるり王と申せし悪王・仏のしたしき女人五百余人を殺して候いしに・仏阿難を霊山につかはして青蓮華をとりよせて身にふれさせ給いしかば・よみかへりて七日ありて忉利天に生れにき、蓮華と申す花はかかるいみじき徳ある花にて候へば仏妙法にたとへ給へり、又人の死ぬる事は・やまひにはよらず・当時のゆきつしまのものどもは病なけれども・みなみなむこ人に一時に・うちころされぬ・病あれば死ぬべしといふ事不定なり、又
このやまひは仏の御はからひか・そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人仏になるべきよしとかれて候、病によりて道心はをこり候なり、又一切の病の中には五逆罪と一闡提と謗法をこそおもき病とは仏はいたませ給へ今の日本国の人は一人もなく極大重病あり所謂大謗法の重病なり今の禅宗念仏宗律宗真言師なりこれらはあまりに病おもきゆへに我が身にもおぼへず人もしらぬ病なりこの病のこうずるゆへに四海のつわものただいま来りなば王臣万民みなしづみなんこれをいきてみ候はんまなここそあたあたしく候へ。
入道殿は今生にはいたく法華経を御信用ありとは見え候はねども・過去の宿習のゆへの・もよをしによりて・このなが病にしづみ日日夜夜に道心ひまなし、今生につくりをかせ給ひし小罪はすでにきへ候いぬらん、謗法の大悪は又法華経に帰しぬるゆへに・きへさせ給うべしただいまに霊山にまいらせ給いなば・日いでて十方をみるが・ごとくうれしく、とくしにぬるものかなと・うちよろこび給い候はんずらん、中有の道にいかなる事もいできたり候はば・日蓮がでしなりとなのらせ給へ、わずかの日本国なれどもさがみ殿のうちのものと申すをば・さうなくおそるる事候、日蓮は日本第一のふたうの法師ただし法華経を信じ候事は一閻浮提第一の聖人なり、其の名は十方の浄土にきこえぬ、定めて天地もしりぬらん・日蓮が弟子となのらせ給はば・いかなる悪鬼なりともよもしらぬよしは申さじとおぼすべし、さては度度の御心ざし申すばかりなし、恐恐謹言。
さるは木をたのむ・魚は水をたのむ・女人はおとこをたのむ・わかれのをしきゆへにかみをそり・そでをすみにそめぬ、いかでか十方の仏もあはれませ給はざるべき、法華経もすてさせ給うべきとたのませ給え・たのませ給え。
八月十六日 日蓮花押
妙心尼御前御返事
窪尼御前御返事
弘安二年五月 五十八歳御作
御供養の物数のままに慥・に給い候、当時は五月の比おひにて民のいとまなし・其の上宮の造営にて候なり、かかる暇なき時・山中の有り様思ひやらせ給いて送りたびて候事御志殊にふかし。
阿育大王と申せし王はこの天の日のめぐらせ給う一閻浮提を大体しろしめされ候いし王なり、此の王は昔徳勝とて五になる童にて候いしが釈迦仏にすなのもちゐをまいらせたりしゆへにかかる大王と生れさせ給う、此の童はさしも心ざしなし・たわふれなるやうにてこそ候いしかども仏のめでたくをはすればわづかの事も・ものとなりて・かかる・めでたき事候、まして法華経は仏にまさらせ給う事星と月とともしびと日とのごとし、又御心ざしもすぐれて候。
されば故入道殿も仏にならせ給うべし、又一人をはする・ひめ御前も・いのちもながく・さひわひもありて・さる人の・むすめなりと・きこえさせ給うべし、当時もおさなけれども母をかけてすごす女人なれば父の後世をもたすくべし。
から国にせいしと申せし女人は・わかなを山につみて・をひたるはわをやしなひき、天あはれみて越王と申す大王のかりせさせ給いしが・みつけてきさきとなりにき、これも又かくのごとし・をやを・やしなふ女人なれば天もまほらせ給うらん仏もあはれみ候らん、一切の善根の中に孝養父母は第一にて候なれば・まして法華経にてをはす、金のうつわものに・きよき水を入れたるがごとく・すこしももるべからず候、めでたし・めでたし、恐恐謹言。