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日蓮大聖人・池田大作

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辧殿御消息 
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とて十人ましまししが・なかに目犍連尊者と申せし人は神通第一にてをはしき、四天下と申して日月のめぐり給うところをかみすぢ一すぢきらざるにめぐり給いき、これは・いかなるゆへぞと・たづぬれば・せんしやうに千里ありしところを・かよいて仏法を聴聞せしゆへなり、又天台大師の御弟子に章安と申せし人は万里をわけて法華経をきかせ給へり、伝教大師は二千里をすぎて止観をならい・玄奘三蔵は二十万里をゆきて般若経を得給へり、道のとをきに心ざしのあらわるるにや・かれは皆男子なり権化の人のしわざなり、今御身は女人なりごんじちはしりがたし・いかなる宿善にてやをはすらん、昔女人すいをとをしのびてこそ或は千里をもたづね・石となり・木となり・鳥となり・蛇となれる事もあり。

  十一月三日                     日蓮在御判

   をとごぜんのはは

をとごぜんが・いかに尼となり候いつらん、法華経にみやづかわせ候ほうこうをば・をとごぜんの尼は・のちさいわいになり候に○○○。

辧殿御消息

                    文永九年七月 五十一歳御作

不審有らば諍論無く書き付けて一日進らしむべし。

此の書は随分の秘書なり、已前の学文の時も・いまだ存ぜられざる事・粗之を載す、他人の御聴聞なからん已前


に御存知有るべし、総じては・これよりぐして・いたらん人にはよりて法門御聴聞有るべし互に師弟と為らんか、恐恐謹言。

  七月二十六日                    日蓮花押

   辧殿・大進阿闍梨御房・三位殿

辧殿尼御前御書

                   文永十年九月 五十二歳御作

                   与 日昭母妙一

しげければとどむ、辧殿に申す大師講を・をこなうべし・大師とてまいらせて候、三郎左衛門尉殿に候、御文のなかに涅槃経の後分二巻・文句五の本末・授決集の抄の上巻等・御随身あるべし。

貞当は十二年にやぶれぬ・将門は八年にかたふきぬ、第六天の魔王・十軍のいくさを・をこして・法華経の行者と生死海の海中にして同居穢土を・とられじ・うばはんと・あらそう、日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし、しかりと・いえども弟子等・檀那等の中に臆病のもの大体或はをち或は退転の心あり、尼ごぜんの一文不通の小心に・いままで・しりぞかせ給わぬ事申すばかりなし、其の上自身のつかうべきところに下人を一人つけられて候事定めて釈迦・多宝・十方分身の諸仏も御知見あるか、恐恐謹言。

  九月十九日                     日蓮花押

   辧殿尼御前に申させ給へ


辧殿御消息

                    建治二年七月 五十五歳御作

                    与 日昭

たきわうをば・いゑふくべきよし候けるとて・まかるべきよし申し候へば・つかわし候、ゑもんのたいうどののかへせにの事は大進の阿闍梨のふみに候らん。

一  十郎入道殿の御けさ悦び入つて候よし・かたらせ給え。

一  さぶらうざゑもんどのの・このほど人をつかわして候しが、をほせ給いし事あまりに・かへすがへすをぼつかなく候よし、わざと御わたりありて・きこしめして・かきつかはし候べし、又さゑもんどのにもかくと候へ、かわのべどの等の四人の事はるかに・うけ給はり候はず・おぼつかなし、かの辺に・なに事か候らん一一に・かきつかはせ、度度この人人の事はことに一大事と天をせめまいらせ候なり、さだめて後生はさてをきぬ・今生にしるしあるべく候と存ずべきよし・したたかに・かたらせ給へ、伊東の八郎ざゑもん今はしなののかみは・げんに、しにたりしを・いのりいけて念仏者等になるまじきよし明性房にをくりたりしが・かへりて念仏者・真言師になりて無間地獄に堕ぬ、のと房はげんに身かたで候しが・世間のをそろしさと申し・よくと申し・日蓮をすつるのみならず・かたきとなり候ぬ、せう房もかくの如し。

おのおのは随分の日蓮が・かたうどなり、しかるを・なづきをくだきて・いのるに・いままで・しるしのなきは・この中に心の・ひるがへる人の有ると・をぼへ候ぞ、をもいあわぬ人を・いのるは水の上に火をたき空にいゑを・つくるなり、此の由を四人にかたらせ給うべし、むこり国の事の・あうをもつて・おぼしめせ、日蓮が失にはあらず、ちくご房・三位・そつ等をば・いとまあらば・いそぎ来るべし・大事の法門申すべし・とかたらせ給え、十住毘婆沙等