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日蓮大聖人・池田大作

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昭和十八年  

若き日の手記・獄中記(戸田城聖)

前後
1  社員宛て
 勇気を出して残留社員はがんばりください。
 私が皆を慰めなくてはならぬのに心配を掛けて申しわけない。信仰第一主義に正しく強く時局下の日本人として生きてください。私もこの信念で精神練っている。いかなる時が来ようと、君等の留守中の出来事の結果について、よかれあしかれ責任を負うから安心してやってほしい。
   (昭和十八年九月)推定
 ☆昭和十八年七月六日、東京拘置所(東京都豊島区西巣鴨三二七七)へ送られた。不敬罪、あるいは神道を無視したとの理由といわれるが、結局は日本政府の思想統制の弾圧以外何ものでもない(昭和三十二年八月一日付け『週刊朝日』による)。終戦の約一か月まえ、昭和二十年七月三日釈放された。入獄以来、七百二十九日目である。
 戸田は、栄養失調と戦いながら、ひたすら信心と信念に生き、むさぼるように読書をした。一日に何冊もの本を読み、思索を続け、身を以って生と死と信仰の理を悟った。
 この手紙は宛て先が不明だが、おそらくはじめて手紙を許されたころのものと推察される。たぶん、日本小学館の社員一同に出したものと思われる。
2  会社関係者宛て
 私がこんなになって、いろいろと不自由でしょうが、辛抱ください。
 平和の時のグーダラ船長たる私より、狂瀾怒濤の時の私の船長ぶりは、貴女が承知だ。幹部諸氏に山田高正の二の舞いするなと注意してください。
   (昭和十八年九月)推定
 ☆たった一行ではあるが、狂瀾怒濤を乗りきっていこうとする強い彼の性格が現われている。
3  子母沢寛様
 私の留守中お世話ただただ感謝致しております。勝安房守の第五巻出版の事、心配していますが、私が帰るまで一切の交渉事、不自由も腹立ちもありましょうがお待ちください。留守中、大消極策で仕事をさせ、ここで一切を指し図しているのですから、メクラの下手な碁打ちの様なものです。しかし本業の大体のカンは承知していますから安心して下さい。
  煩悩も 真如の月も 宿らせて
    独房のふーど 夢の円らか
   (昭和十八年九月)推定
 ☆戦争激しきとはいえ、入獄前の戸田の出版事業は、全盛をきわめていた。彼は数社の出版社を経営し、実権を握っていた。そのうちのひとつ大道書房の著者に子母沢寛がいた。子母沢は故郷(厚田村)が同じだった関係で特別に親しかった。
4  夫人宛て
 先日お手紙有難う。
 何回も何回も読みました。
 差し入れその他よく注意してくれてうれしい。厚く御礼を申します。何分長い留守、万事に気をつけて頼みます。私の事で世話になっている方々にはよくよく礼を言って下さい。
 1 防空壕が出来ましたか。まだならH君に頼むこと、家を修繕した人だ。B君を通じてベンタツしなくては材料不足でオクレるとお父さんに話しなさい。お金は日小から払ってもらいなさい。シッコイ程催促ノコトですよ。
 2 秀英社の十二月の配当、商手の配当を生活費にもらっておきなさい。
 3 石ケンを差し入れして下さい。本は十二冊まで許してもらいました。君に頼んで整えてもらって入れて下さい。差し入れ屋を時々まわって注意して下さい。家庭にある本は入れてはイケマセヌ。皆読んだ本ですから。
 4 畑に冬の間去年の様に肥料を入れる様、義信に話してさせて下さい。
   (昭和十八年十二月)
5  日本小学館氏宛て
 本の差し入れを君に頼んであるが、N君が主となって整えて家にまわして下さい。一日一冊平均読みますから。
 1 学芸社、昭森社、聖紀書房の物頼みます。ただし小説だけ、野村胡堂君のものはいらぬ。時代、現代両小説のこと、昔からのものまだ読んでいません。
 2 奥川書房の長田幹彦のもの、長隆舎のもの(忠臣蔵ハイラヌ)、大道書房の探偵もの(君のこしらえたもの)。
 3 人生劇場(尾崎士郎)、吉川英治の宮本武蔵、唐宋八家文(抄ニテヨシ、解シャク付キデナケレバ駄目デス)。
 4 店、その他近親に私が読んだ、持っているかを確かめて、持っていない面白そうな本を集めて、ドシドシ入れて下さい。
 5 幹部として終生たてるだけの修養怠りなさるな。私のあらゆるものは「上数に倍す」ですからね。
   (昭和十八年十二月)
6  日本小学館B氏宛て
 留守部隊長として万万の労苦お察し致します。私が帰りましたら第一線で万事引きうけるつもりですから、どうか、がんばって下さい。家庭の事、会社の事、万事頼みます。Sの相談にものってやって下さい。七月二、三日に君に仕事をたのんだが報告先に困っていると思う。十二月で打ち切る様報告を聞いて下さい。SともFさんとも関係あるからよろしくご相談ください。
 カギサの収支決算十二月にハッキリして幹部で状勢をのみこんでいて下さい。
 私にいつでも報告できる様に一切をしておいて下さい。今度私が帰れ得る時あれば、その時は、カギサの直接支配して大いにがんばるから。防空ゴーを家庭でつくると言っていたが出来たかどうか。出来なかったらH君をベンタツして作ってやって下さい。
  静けさに 生命みつめて くらしけり
     独房住まいの 朝な夕なは
 皆によろしく。早く皆に会いたい。そして勇ましく働きたい。僕は差し入れの薬で丈夫になりつつある。
   (昭和十八年十二月)
7  夫人の父上宛て
 お父様へ
 いろいろとご苦労、相すみませぬ。
 1 電話はつきましたか。工事費は店から出させましたか。
 2 防空壕の修理、H君でうまく行かなかったら、K君のところで頼んだ人があるはずだから聞いてたのみなさい。
 3 貴い仏に差し上げる毎月の百円、トンと指し図を忘れて相すみません。四海書房へ話して私の給料を貴方が受け取っておいて下さい。今までの分は商事の給料を今月からとって充当して下さい。
 4 生活費の指し図を会社へしてないのでI子(夫人、以下同)が面食らっているでしょう。会社への手紙は出すのですが、仕事の指し図に追われて手落ち致しておりました。本月秀英社と本年の配当で過ごせたら、過ごす様I子に話して下さい。次便は来月着になりましょうから、正月に「社」から三千円届ける様手紙出します。
 金がなくなったらこちらへ手紙下さい。私から指し図してやります。直接お話になるより良いでしょうが、入用の時は遠慮なく話して下さい。
 5 カギサ自廃、奥川、大道、日小、秀英社は自廃と聞いてはお父さんも、私の事業がおしまいではないか、また会社のものに財産が「かきまわされ」やしないか、「生活に困りゃしないか」と心配でしょう。しかし一切ご心配なく、らくに暮らしていなさい。私を信じ、社員を信じていて下さい。ここにおっても事業の運行、その状態はよくわかります。また出たら賞、罰を明らかにする私の決心を皆はよく知っております。安心して私の帰りをお待ち下さい。
   (昭和十八年十二月九日)
 ☆お父様とあるのは、夫人の父。戸田はこの父をほんとうの父のように尊敬していた。
8  夫人宛て
 1 シャツ、モモヒキ、ユカタ、タオル、タビを二十日に宅下げする。今着ているものを出すのだ。今度入れてもらうと三月までは出せまい。だからシャツ、モモヒキは、ごく家にあるもの、最上等のもの、ボタンに気をつけて入れて下さい。ユカタは「セル」にして下さい。出来なければよい。
 2 御護り様の差し入れは、何枚か、調べて下さい。
 3 本はY君にも頼んだから、四、五十冊至急そろえさせなさい。すぐ持って来なかったら、平塚へ速達、電報、電話とやりなさい。私がそうしろと言ったと。
  A 岡本かの子著老妓抄(古本屋で家の人がさがすこと)。
  B 法華経廿八品の講義あるいは和訳。これはF君にさがしてもらいなさい。
 4 先日、T(夫人の弟)が十円の差し入れ、Tの働いた金と思ってうれしい。人は誠心だけがうれしいものだ。
 5 十一月二十六日付け手紙七日拝見。花の差し入れ感謝、戸田流の活け花をやって楽しんでいる。差し入れ金の度に訪問を喜んでいる。昨日「ボン」の差し入れ、突然で非常にうれしかった。
  餓鬼道に うけた回向の うれしさは
     浮き世の宝 極楽の味
 一粒一粒頂いてたべた。おかげで昨日はあたたかかった。
 ボンは甘いから糖分がとれる。この間石ケンは入りました。石版を許されています。石バンフキ。細ィ石筆差し入れ願います。
 毎日寒い。
   (昭和十八年十二月九日)
 ☆獄中の生活は、戦争下とはいえ、過酷をきわめたものと思われる。偉大な信念と信心がなければ、生きて出獄は不可能であった。彼は書を読み、花を活け、凡人では克服できないものを克服しとげた。Tとは夫人の実弟。

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